2018年4月18日水曜日

南極/オゾンホール


 隊員でこのブログの存在を知っている人に、ブログを更新しろと言われてしまいました。

 確かに振り返ってみると最近確かに更新頻度が落ちています。でも最近は朝夕の薄明観測も始まったし、AWSとラドン計の調整もしないといけないし、計算モデルは調子がよくおかしくなるし、ギターも練習しないとだし、ビリヤード大会(四つ玉; *1が始まってしまったし、サガフロ*2のエミリア編のラスボスが倒せないし(*3)でわりと忙しいし………。
*1) 8ボールのようなポケットではなく、穴のないテーブルを使うキャロムの一種。1回戦は30点先取で5回ファールしたけど最後に10点入れて勝った。対戦相手のコメント「理不尽」。
*2) PSのサガシリーズ第一弾。連携が導入され、うまく繋がると『飛燕ロケット剣ローリンヒット』『ジャイアントプラズマスマ巻きスカッシュ』など意味不明の技が発生する。1997年のゲームだが最近になって連携数が更新され、最大41連携の記録ができた。Yahooニュースにもなったが、技名は『リヴァイヴァスライバベル水撃スープジャイアントロコ金剛カイザーブラスター陽子ロケット鬼バルカン破壊鉄下駄電束火炎プラズマ跳弾神速熱線放射ソニックディフレクト電撃濁流清流アル・三スカイ燕曲射短勁フラッシュライジングロザリオアル・十字塔無月真アル・羅刹掌』とのこと。詳しくは→「サガ・フロンティア」で“41連携”の発動が確認される 2分弱攻撃し続けて16万ダメージ - ねとらぼ
*3) これ書いている間に跳弾経由で連携して『跳弾払い散水』とか『跳弾エンド』でなんとかなった。

 相変わらずアカデミックさの欠片もないわたしは脳内サンディエゴな冒頭からスタートしましたが、今回はオゾンホールの話をしようと思います。


  1. オゾンホールとは
  2. オゾンホールの歴史
  3. これからのオゾンホール



1. オゾンホールとは


 オゾンホールは成層圏のオゾン(O3)が減少する現象です。

 まずオゾンO3の大気中での主な働きを見るために、オゾンの量と気温の鉛直分布を見てみることにします。


 上の図は米国標準大気[Atmosphere U.S.; 1]という、「とりあえず昨今の地球の大気はこんなふうになっているよ(*4)」というざっくらばんな大気状態をグラフにしたものです。図中、青が水蒸気量、橙がオゾン、緑が気圧、赤が気温を示します。それぞれの線をひとつの図で表すために、値の倍率を一部変更しています。
*4)ただし1976年のものなので、二酸化炭素の量が現在よりもずっと少なかったりしますが、まぁ今回はそこは関係ないのでご愛嬌。

 グラフを見てわかるとおり、オゾンは高度10kmから60kmあたりに分布しており、40kmより少し下あたりで最大値があることがわかります。同時に、気温もこの付近で極大になっています。

 オゾンと気温の関係から推定できるとおり、オゾンの大気中での主な効果は、光を吸収して上空の大気(特に成層圏といわれる11-50kmくらいの高度)を温めることです。

 人間は波長の違いによって、光を色として認識します。具体的には、波長が長いほど赤く、波長が短いほど紫として認識します。紫色に認識できる波長よりさらに短い波長となると、紫外線(紫よりもさらに外側の)と呼ばれる人間の認識できない光となります。特にオゾンによる吸収が強いのはこの紫外線の領域で、具体的には0.28μm(0.28の千分の一mm)以下の光です。
 光は波長が短いほどエネルギーが高いため人体にとって危険ですが、オゾンが存在していることでそれらを吸収し、その危険性が抑えられているというわけです。オゾンは光を吸収してエネルギーを得て、大気を温めます。

 余談ですが、グラフのオゾン濃度の最大高度と気温の極大高度は近いですが、一致しないことに気づいた方は良い着眼点を持っています。オゾンが大量にある場所ほど、オゾンが紫外線を吸収するのでより温めそうですが、そうはなっていません。
 この原因は、オゾン濃度極大高度ではオゾンは多いですが、吸収される紫外線は少なくなっていることです。光は上空から降り注ぐため、オゾンが少ない領域で先にそれらを吸収してしまえば、それより下の領域でオゾンが多くともそれほど温度は上がらないというわけです。

 このように紫外線を吸収し、上空の大気を温めるという重要な役割を担うオゾンですが、1900年代後半に、特に南極上空でその量が減少するという現象が観測されました。これがすなわち、オゾンホールです。


2. オゾンホールの歴史


 オゾンホールは1900年代後半に発見されました。オゾンホール形成の原因となるオゾンの破壊は、冷媒などに用いられていたフロンなどから作り出される物質が原因であるとされています。

 ではこのオゾンホールは誰によって発見されたかというと、実は日本人だったといわれているようなそうでもないような。
 なんかやけに曖昧な表現ですが、学生時代、

教授「オゾンホールを発見したのは日本の人なんだけど云々」
管理人「ほーん(どうでもいい)」

 みたいなやりとりがあったことは覚えているが細かいことはあんまり興味がないので覚えていない。
 
 さて、実際どうだったかと調べてみると、忠鉢さんという方が発見したとされています。

→気象庁気象研究所|過去の研究成果|オゾンホールの発見

 それまでいろんな国でオゾンホール(あるいはその余波)のようなものは観測されていたのですが、データの異常と感じられて捨てられていました。しかし南極昭和基地で観測をしていた忠鉢さんは異常とせずにギリシャの学会で発表。論文にはせず、論文化したのは他国の研究者だという半端な結果に終わっています。

 では認識としてはどうかというと、たとえば(引用として適切かどうかというとアレなのだけれど面倒だから)日本のWikipediaから引っ張ってくると、

人工衛星の映像が、まるで穴があいたように見えることからオゾンホールと呼ばれるようになった。南極上空のオゾンが毎年春期に減少することの発見は、ジョセフ・ファーマン、ブライアン・ガードナー、ジョナサン・シャンクリンの1985年の論文 (Farman et al. 1985 "Large losses of total ozone in Antarctica reveals seasonal ClOx/NOx interaction." Nature, 315, 207-210) によって発表されているが、最初の報告は1983年12月の極域気水圏シンポジウムおよび翌1984年ギリシャで開かれたオゾンシンポジウムでの、気象庁気象研究所(当時)の忠鉢繁らによる日本の南極昭和基地の観測データの国際発表である。
その後、ストラスキーらが人工衛星ニンバス7号の解析映像を発表し(Stolarski et al. 1986 "Nimbus 7 satellite mesurements of the spring time Antarctic ozone decrease" Nature, 322, 808-811)、オゾンホールがマスメディアを通じて一般に認知されるようになった。
オゾンホール - Wikipedia(最終更新 2017年10月29日 (日) 20:43)より

 とあり、いちおう日本では忠鉢さんが先駆けて発表したというのは認識されていることになります。
 では外国ではどうかというと、

南極の「オゾンホール」は英国南極調査隊のFarman、Gardiner、およびShanklinによって発見され、科学者たちに衝撃を与えた(最初の雑誌掲載は1985年5月のNature誌である[93])。これは極域のオゾン量が予想よりも遥かに減少していたためである[35]。衛星観測では南極点周辺でオゾンが大規模に減少していることを示された。しかし当初はデータ品質検証アルゴリズムが不十分であると考えられ、このオゾン減少は取り除かれていた(オゾン量が小さくなるのはエラーと考えられ、除外されていたのである)。現地観測によってオゾン量減少が捉えられて[60]からようやく生データが再検証され、オゾンホールは衛星データによって観測されるようになったのである。計算プログラムがエラーと想定した除外を行わずに再計算してみると、オゾンホールは1976年からすでに存在していた[94]。
The discovery of the Antarctic "ozone hole" by British Antarctic Survey scientists Farman, Gardiner and Shanklin (first reported in a paper in Nature in May 1985[93]) came as a shock to the scientific community, because the observed decline in polar ozone was far larger than anyone had anticipated.[35] Satellite measurements showing massive depletion of ozone around the south pole were becoming available at the same time. However, these were initially rejected as unreasonable by data quality control algorithms (they were filtered out as errors since the values were unexpectedly low); the ozone hole was detected only in satellite data when the raw data was reprocessed following evidence of ozone depletion in in situ observations.[60] When the software was rerun without the flags, the ozone hole was seen as far back as 1976.[94]
Ozone depletion - Wikipedia(This page was last edited on 6 April 2018, at 18:57.)日本語は管理人訳。

 となっており、英Wikipediaでは忠鉢/Chubachiという名前は一言も出てきません。
 まぁWikipediaに書かれている内容が一般の知見だというわけではないのですが(*5)、
*5) Wikipediaを書いているっていう人を見かけたことがないし。ゲームの攻略Wikiならともかく。最強リセマラランキングとかが載っていないほうの。

 ところで、英Wikiのほうに、

the ozone hole was detected only in satellite data when the raw data was reprocessed following evidence of ozone depletion in in situ observations.[60]

とあります。
 in situという慣用句が出てきますが、一般的にはたぶんあまり使われない表現だと思います。英和辞典を紐解いてみても、

in situとは
主な意味
本来の場所で、もとの位置に

というふうにしか書かれていませんが、地球物理学で"in situ"という表現が出てきたら、現地観測で、という意味になります。いや、本題にぜんぜん関係ないんだけど。

 話を戻します。上の文には[60]という引用番号が振ってありますが、これはReiner Grundmannさんという方が2001年に書いた『Transnational Environmental Policy : the ozone layer』という本を参考にしましたよ、ということのようです。Google Scholarという論文の検索・引用に使えるサイトで上のタイトルを調べてみると、『Transnational environmental policy: Reconstructing ozone』[Grundmann 2002; 2]という本がヒットしました。なんか微妙にタイトルが違う&年がちょっと違うのが気になりますが、うーむ、改訂したのだろうか、悩んでいても仕方がないので、同じ作者だしまぁいいかということでちょっと引用してみると、オゾン層の発見については以下のように書いてあります。

英国チームが結果を発表する前に日本の研究者たちが南極のオゾンの異常を発見した。だが彼らは国際的な大気研究コミュニティからは分離していたため、国際社会に警鐘を与えることはなかった。それはわずか11ヶ月のデータだった。日本人グループは1984年にギリシャで行われた国際学会でポスター発表を行い、これはFarmanたちの発表よりも1年早かった。結果は有名な雑誌には発表されることはなかったが、無名のところで出版された(Chubachi 1984)。彼らが自分たちの結果の重要性を理解していなかったと言ってしまうのは言い過ぎではないだろう。10月の並外れた値が観測されていたのだ。だがその結果は同じ分野の研究者にも世界にもまったく関心をもたらさなかった。日本人たちは南極でオゾンを計測し、確かに異常なオゾン量を観測したのだ。彼らはギリシャの学会でポスター発表をして、その結果はご存知の通りだ。誰も注意を払っていなかった。だがポスターで発表したところで、どれだけの人が見てくれるだろう。誰も注意を払っていなかったのだ。観測していたはずの異常な値を。
Even before the British team published their results, a Japanese group of researchers had found abnormal ozone values in the Antarctic. However, because they were isolated from the rest of the international community of atmospheric researchers,
they did not and could not present their findings in a way that would have alarmed the world public. Their data contained only a time series of 11 months.
They presented them in 1984 during a poster session at an international scientific
ozone conference in Greece, one year before the publication of Farman’s results.
The results were not published in a major journal but in a rather obscure
outlet (Chubachi 1984). It seems no exaggeration to say that they did not realise
what they were measuring. They stressed the anomaly of an exceptional high
value in October (which occurred after the concentration had dropped to 240
DU). In other words: their framing did not catch the attention of their colleagues
nor of the world public. The Japanese were measuring ozone in their station in Antarctica. And they found abnormal ozone levels. They reported that in a meeting in Thessaloniki. They had a poster, and you know how people look at posters. Nobody really paid attention. They had abnormal values, so what?
Grundmann, R. (2002). Transnational environmental policy: Reconstructing ozone. Routledge.より。日本語は管理人意訳。

 というわけで「大事な発見はちゃんと発表しろよ」ということで、研究者としては身につまされる想いですね! でも英語とか苦手なの! 学生時代も「国語だけは異常にできる」って言われてたの! なんで理系に進んだんだ。


3. これからのオゾンホール


 経緯はともかくとしてオゾンホールは発見、それまで有用かつ無害だと思われていたフロンなどが地球環境に大きな影響を与えるということがわかり、規制が進みました。

 オゾンホールの発見から約35年。現在はいったいどうなっているかというと、2016年に"Emergence of healing in the Antarctic ozone layer"(「南極オゾン層の回復」)という論文がSusan Solomonという人物らによって発表されました[Solomon et al., 2016; 3]。

 この論文は、

図2のモデル計算の傾向比較から、9月に南極オゾン層の回復の兆しが見て取れる。これは対流圏のオゾン破壊物質の減少事実と矛盾しない。傾向がはっきりするまでは時間を要し、対流圏から成層圏への物質輸送による時間差もあるが、徐々に極域のオゾンは徐々に回復の傾向を示している。
The comparisons of the modeled trend profiles in Fig. 2 provide an important fingerprint of the onset of healing of the Antarctic ozone layer in September. This is consistent with the basic understanding that re- ductions in ozone-depleting substances in the troposphere will lead to a healing of polar ozone that emerges over time, with lags due to the transport time from the troposphere to the stratosphere, along with the time required for chemically driven trends to become significant relative to dynamical and volcanic variability.
Solomon et al. (2016)より。和文は管理人意訳。

とある通り、通常、オゾンホールが最も大きくなる10月ではなく、発生し始める9月に着目することでオゾンホールの回復傾向を示した論文です。
 オゾンホールの回復傾向について言及されたのはこの論文が初めてではないのですが、「Solomonが発表した」という点でこの論文は他とは一線を画します。

 Solomonがどういう人かというのを説明するためには、IPCCについて説明する必要があります。
 IPCC(Intergovernmental Panel on Climate Change=気候変動に関する政府間パネル)というのは数年ごとにおえらい学者が集まってもにょもにょ会議を行いつつ、気候変動の評価をする組織です。もにょもにょと会議をした結果は評価報告書としてまとめられるのですが、これは各国の政府に大きな影響力を持ちます。

→IPCCとは? | IPCC 第5次評価報告書 特設ページ

 一部は日本語化され、わかりやすい形にまとめられているので見てみると気候変動の現在がわかりやすいと思います。
 IPCCの最新の評価報告書は2013年の第5次ですが、Solomonはその前の第4次ではグループ1の共同議長を務めています。ようは四天王みたいなものです。「ヒャッハー、オゾンホールくらいぶっ潰してやるゼェ!」という狂戦士タイプでしょう。いつの間にかいなくなっていて、冷静軍師タイプに「奴ならもう出発しました」とか言われています。ソロモンなので悪魔を操って戦うとかそういう人だと思います。たぶん(*6)。
*6) 知らんけど。

 そんなSolomonが「オゾンホールが回復傾向に入った」と発表したので、この論文は大きなインパクトがありました(*7)。
*7) 個人的には論文読んで、この段階ではどうなんだろうなー、と思ったけど。うーむ。 

 オゾン破壊物質を減らしている以上は徐々に回復傾向にはあるわけで、オゾンホールの回復は時間の問題でしょう。環境問題への対処が上手く行っているということで、これ自体は喜ぶべきことです。

 しかしながら、実はこのオゾンの回復が地球温暖化に影響を与える可能性があったりするのですが、この話はまたの機会に。


 ちなみにオゾンは空の青さにも(特に陽が沈んでから)関係したりしますが、こちらもまたの機会にでも。




参考文献
[1] Atmosphere, U. S. (1976). Standard atmosphere. NOAA-S/T76-1562.
[2] Grundmann, R. (2002). Transnational environmental policy: Reconstructing ozone. Routledge.
[3] Solomon, S., Ivy, D. J., Kinnison, D., Mills, M. J., Neely, R. R., & Schmidt, A. (2016). Emergence of healing in the Antarctic ozone layer. Science, aae0061.

0 件のコメント

コメントを投稿

© この星を守るため
Maira Gall