南極
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2019年4月29日月曜日

南極/南極までの遠さはどれくらい


「まだちょっとだけ続きます」と書いてから早一ヶ月、いかがお過ごしでしょうか。わたしは『アベンジャーズ/エンドゲーム』(*1)を観ていました。
*1) アメコミの二大柱のひとつ、マーベルによるマーベル・シネマティック・ユニバース(MCU)の集合作である『アベンジャーズ』シリーズ4作目。MCUとしては22作目。アベンジャーズという単語は作中では地球最強のスーパーヒーロー集団を指す。

 まだ上映中の映画にネタバレをするつもりはないので深くは語りませんが、今回はとにかくキャップ(*2)がかっこよかった。
*2) アベンジャーズ初代メンバーのひとりにしてBIG3、キャプテン・アメリカ。キャプテン(弱いほう)。肉体的にはわりとただ強いだけ(ホークアイよりはマシ)のにいちゃんといっても過言ではない。

 今回、いつも通りスチャラカ感溢れるアベンジャーズだったわけで、スチャラカするたびに映画館の会場の中でも失笑が溢れていたのですが、スチャラカスチャラカしている中で唯一観客から笑いではなく「おお」という小さな歓声が漏れたのがキャップがかっこよかったシーン。具体的にどうかっこいいかはきみの目で確かめてくれ!

 ネットの声では「MCUはすべて観てから」派と「とりあえず観ろ」派がいますが、個人的には「アベンジャーズシリーズ(と『シビルウォー/キャプテン・アメリカ』)だけ観ておけばOK」派です。

 さて、平成が終わり、イチローが引退し、『氷と炎の歌』の続巻の情報はなく、『Mount & Blade II: Bannerlord』も発売されないまま、MCUもひとつの区切りとなったわけですが、あと一回でこのブログも終わりになると思います。
 終わったらAmazonプライムビデオで観た映画のレビューをするブログに切り替えてもいいのですが、そうすると際限がないのでやめておきます。

 これまで南極の魅力——は伝えてこなかったような気がするけれど、南極の、えっと、こう、アレとか、そういうアレをアレしてきた気がしますが、今回は南極については相応にわかってもらえただろいうということで、5Wではなく1Hの「どうやって南極に行くの?」ということで書いていきます。



どうすれば南極に行けるの?


 わたしが高校生の頃、OBの南極観測隊の人の講演を聞く機会がありました。これがきっかけになって、南極に行こうと舵を切り始めたのですが、そのときの話では、南極に行くための主たる方法はふたつで、

  1. 金持ちになる
  2. 研究者になる

ということでした。

 1の「金持ちになる」に関してですが、ツアーで探してみると100万円だとかそのあたりの価格で見つかります。どういうツアーなのかまでは見ていませんが、だいたいは南アメリカかアフリカ経由で南極半島(*3)に向かうルートではないかと思います。ツアーに参加するだけの金と余裕があるならば、問題なく南極に行けると思います。
*3) 経度0度方向を上にして南極大陸を俯瞰したとき、西南極の左上から突き出ている角のような部分。ちなみに昭和基地があるのは右上の東南極領域。


 一方で2の「研究者になる」に関して説明すると、たとえば59次の越冬隊で見てみるとわかりやすいですが、59次隊の32人中、研究を専門としている人間(学生含む)はわずかに5人。
 一見すると少ないように見えますが、職種分類別に見ると研究者の5人は人数比的にトップです。なぜなら、研究者以外の隊員は、各分野をたったひとりでこなすエキスパートであるがゆえ、ひとつの業務につきひとりずつしか存在しないからです。例外は気象、医者、調理くらいで、気象は5名、医者と調理は各2名だけ。それ以外は各分野に1名ずつという形になっています。

 例外的に、観測装置の保全や定常観測を行うモニタリング隊員はそれまでの経歴とはまったく関係ない仕事を行うという人が多いです。日本にいる間に南極で行う仕事の打ち合わせや訓練を行い、現地で仕事をします。
 59次越冬隊の3人のモニタリング隊員も、いずれも研究職とは関係ない仕事をしてきた人々ですが、現地では観測を行いました。しかしこちらはこちらで狭き門です。

 つまり、上に挙げた2をより詳細に述べるなら、「南極に行きたいなら研究者か気象庁職員になるのが人数的にはベストで、そうでなければ医者か調理関係者になるべきだがそちらのほうがだいぶ厳しい。それ以外だとかなり凄腕じゃないと無理」ということになります。



どうすれば研究者になれるの?


 わたしの場合、根本的に金を儲けることができない、お金持ちに向かない人間性だという自覚があったので研究者になったので、「研究者になる」というルートで説明します。ちなみに自分はそもそも研究者として大成したとはお世辞にも言えない人間なのですが、逆にいえばそういう人間でも行けるということでご了承ください。

 まず研究者になるためには博士になる必要があります。本当に博士号を取っておく必要があるのかどうかは定かではありませんが、まぁ腐るもんでもなし、取っておきましょう。
 さて、中世から近世であれば、研究者になれるのは金持ちのみというのが常識でした。研究は道楽だったのです。現代ではどうかといえば、300年前と比べればマシとはいえ、やはり金がかかるもの。金がかかるというか、出ていく一方だと困るわけで、しかし学士のときのようにバイトをするような余裕はなかなかありません。


 そこで取得したいのが奨学金、しかも貸与ではなく給付型の奨学金で、特にその中で勧めたいのが日本学術振興会の特別研究員。ぶっちゃけ今回の記事は、この特別研究員という制度を紹介するために書いたといっても過言ではないです(*4)。
*4) この過言ではないという表現をするときはたいてい過言だが、今回は本当に過言ではない。

 日本学術振興会(以下、学振)は研究の助成を行う独立行政法人で、一般的に世の中にまったく役に立たず企業から支援を受けようがない研究者はこの学振の世話になっていると言っても過言ではありません(*5)。
*5) これは過言。

 特別研究員というのは、その中でも博士課程の学生〜若手のポストドクターへの助成を行うために作られた制度で、簡単にいえばこの特別研究員というものに採用されると、

  • ・月あたり20万円(*6)の研究奨励金
  • ・年あたり最大で150万円(*6)の科研費

が貰えます。
*6) どちらもDC1、DC2の場合の金額。

 重要なのは、上の「研究奨励金」というもので、これは実質的な給料に相当します。つまり、研究に使わずに生活費等に充ててよいお金です。

 昨今(でもないが)、研究費の使い込みなどが発覚して研究費の私的利用に厳しいご時世で何事か、と思われるかもしれませんが、研究奨励費というのは本当にそういうお金で、要は「博士課程に進んだ学生がバイトとかせずに研究してくれや。これで美味いもんでも喰え」という目的のお金なのです。怪しくない! 怪しくないよ!(*7
*7) 怪しい。

 ちなみに科研費のほうはちゃんと研究に使わなければいけないお金です。私的利用するとなんかよくわからないおじさんとかに怒られるのではないかと思います。一度、「金を使った研究をすれば研究費で買って使い終わった金を換金して儲けられるのでは?」と真剣に話し合ったこともありますが、私用はしないでください。

 一律20万円なので家賃の高いところに住んでいる人にとっては厳しいかもしれませんが、一種の不労所得です。いや働いているんだけど。なんというかこう、ほとんど修士までの流れを変えずに研究していれば金が貰えるというアレです。報告書などは出す必要がありますが、申請して採択するまでの苦労に比べればまったく大変ではありません。
 書いててなんか怪しい勧誘に見えてきたけど、まったくそういうのではなくて、くそっ、この記事書いたから学振が金くれねぇかな。えっと、まぁわからなければ大学に進学してから教授とかに訊いてください。


 個人的には「学振の特別研究員に採択されるかどうか」が大きな分かれ目であると言えます。わたしは修士課程のときに就職活動をしていて内定を貰っていたのですが、特別研究員のDC1(修士2年の春に応募、博士1-3年の間採択)にも応募しており、もしこれが通ったら申し訳ないが受かっていたところをお断りして博士課程に進学しようと思っていました。
 結果的には落ちていて駄目じゃねぇか。いやまぁそれでも結局就職ごめんなさいして一年後、DC2(博士1年の春に応募、博士2-3年の間採択)なんとか通りました。特別研究員は応募して採択されない場合は業績/能力/計画の3要素に分けてどのような評価だったかが返ってきます。わたしの場合、業績部分が当時ほとんど何もなかったのでそこだけ異常に低くてアウトで、DC2のときはここを改善してなんとか通りましたオラッ! これでも喰らえッ!

 さて、では特別研究員に採択されるにはどうすればいいか、ということですが、これについては特にアドバイスはありません。わたし自身、採択率が高いわけじゃないし、大したアドバイスはできません。クソみたいな文章を量産することなら自信があるのだけれど。 

 大事なのは「特別研究員」という制度があるということを知っていることと、早めに準備しておくこと(前年の春に応募しなくてはなりません)、そして何より、研究室の先生が特別研究員応募に協力的であること。
 わたしの場合、学生時代のボス(教授)が鬼のように協力的な人で、何度も文書をチェックしてもらいました。もちろん文章を書くのも論文を出すのも自分自身なわけですが、実際に読んでもらうと違います。特に学生相手と研究者相手では違います。というのも、学振特別研究員の申請書のフォーマットは、研究者が応募する科学研究費助成事業(科研費)とかなり似通っているからです。何度も科研費に応募、採択している研究者であれば、一定のコツを心得ています。

 特別研究員に採択されたら、あとはまぁ適当に頑張ってください。
 博士課程終ったら就職ですが、これもよくわからねぇんだよなぁ。いや実際経験があるのだからわかっているべきだと思うのですが、自分の流れが一般的なのかどうかがわからないので説明が難しい。なんか求人とかあると思うので、履歴書とか書いて、で、こう、ガッとやればいいんだと思います。学部や修士の就職と異なり、博士の採用はわりと年度末ギリギリです。



極地研はどういうところなの?


 必ずしも国立極地研究所(以下、極地研)の研究者でなければ南極観測隊の研究者になれないというわけではないのですが、59次越冬隊の研究者5名は全員が極地研の研究者でした(正確には、うちひとりは総研大という極地研など複数の研究所が基盤となっている大学院の学生ですが)。


 だから、もし南極に興味があるのなら、極地研に来てみるのも悪くはないのかもしれません。まぁ来たところで見学案内とかないんだけど。

 東京都立川市にある極地研は、正確には「大学共同利用法人 情報・システム研究機構 国立極地研究所」という名前で、現在の建物は統計数理研究所(統数研)・国文学研究資料館(国文研)という研究機関と共同で施設を利用しています。
 このうち国文研は1階で資料展示を行っているため、休館日以外でしたら見学できるのですが、極地研はというと一般公開する資料がないので、なんでもない日に来ても見るものがショーウインドウの中のコオリウオの標本やペンギンの剥製、野生の研究者くらいしかありません。


 そういうわけで、極地研を見学したいなら夏に行われる一般公開のときに来ていただければいいかと思います。
 それ以外だと、併設施設である南極・北極科学館があります。こちらは、

  • ・入場料無料
  • ・火〜土曜の10〜17時開館(入館は16時半まで)
  • ・日曜、月曜、祝日、年末年始、特別休館日は休館

となっています。日曜のほか、月曜も休館なのでご注意ください。
 ちなみに現在のゴールデンウィーク期間中ですが、ガッツリ休んでいます。ホワイト企業ゥ。いぇい。ゴールデンウィーク中だと、5/5の子どもの日のみ開館しているそうです。



北極南極科学館に行きたいけど、お父さん/お母さんが嫌がりそうなんだけど?


 お母さんはららぽーと立川立飛に行ってください。極地研最寄りの多摩モノレール高松駅のすぐ隣の駅にあり、歩いても行ける距離です。たまには運動してください。


 お父さんはIKEAにでも行っててください。好きやろ家具とかきみ。よく知らんが。
 家具が厭なら『アベンジャーズ/エンドゲーム』を見に行ってください。



立川で『アベンジャーズ/エンドゲーム』は観られるの?


 シネマシティで観られます。

 注意点として、シネマシティ映画館は2箇所あります。距離としては非常に近いため、間違えてもすぐに移動はできますが、予約する際はどちらかは確認しておくべきでしょう。






アベンジャーズでは誰が好きなの?


 ホークアイです。
 ところでホークアイで検索すると、検索候補が「ホークアイ アベンジャーズ いらない」「ホークアイ 弱い」「クソ雑魚弓おじさん」とかになるのどうにかなりませんか?

 二番目はファルコンだったんですが、エンドゲームまで観たいまとなってはキャップかもしれません。



ジャスティスリーグ/X-MENだと誰が好きなの?


 ジャスティスだとバットマンです。あの周りのヒーローが雑魚秒殺している間に、雑魚と頑張って戦っている弱さが良いのです。

 X-MENは、子どもの頃に駄菓子屋にマーベルの対戦格闘ゲーム躯体がありまして、そのときに棒を使うおじさんを使っていた記憶がありました。いま調べてみたら、ガンビットというヒーローだそうです。そんなことは関係なくサイロックです。



アメコミ映画は何が好きなの?


『アンブレイカブル』です。

 関係ないんですが、南極から帰るしらせの船の中で他隊員に「オススメの映画は?」と聞かれたときに素直に「シャマランの『サイン』」と答えたら翌日になって「貴重な2時間を無駄にした。5人で観たから合わせると10時間を浪費させられた」と言われました。しかしそのまた翌日に『最“狂”絶叫計画』を観てくれたおかげで「観ておいて良かった」と言われました。人生何が助けになるかわからんなほんま。

 本日は以上です。

2018年8月13日月曜日

南極/いつでも死ねる場所

 久しぶりにG=ヒコロウ(*1)の新作が出るそうです。8月31日。
*1) 呼吸するように休載する漫画家。

 G=ヒコロウはファミ通ブロス(*2)で『プロフェッサーシャーボ』やっている頃から好きなのですが、ほんとこのおっさん新刊出してくれない。道満晴明はわりとコンスタントに新作出しているけど、G=ヒコロウはほとんど見ないから食えているのか心配になりますね(*3)。
*2) ゲーム雑誌なのか漫画雑誌なのかよくわからない雑誌。表紙が『パラサイト・イヴ』とかでプレステ全盛期なのに毎回『風来のシレン』のページがあったりした。
*3) パンとかね。

 久しぶりに新刊だからありがたいのですが、南極にいると当たり前ですがAmazonの荷物受け取れないので、電子版でないと買う意味がありません。電子版出してくれるかな。ヒコロウ、電子版があるの、合作の『ジークンドー』しかないのですよね。Amazonだと。

 とはいえ電子版があるにしても、ダウンロードできるのは昭和基地だけ。みずほ基地やドームふじ基地への内陸旅行に出てしまえば、インターネットも使えず、電子版のダウンロードもできません。わたしは9月半ば〜10月半ばと、11月〜2月に内陸旅行に出るので、その前に電子版発売してくれないと。紙版と電子版ずれるのよくあるけど、あれ勘弁していただきたい。

 さて、というわけで今回は内陸旅行で直面する危険地帯について書いていきたいと思います。すごい強引だが、珍しく序文の無駄文から繋がったような。

「いつでも死ねる場所」として知られる南極は単純に寒いというだけで死を与えるに値するのですが、南極特有の地形がそれに組み合わさると、よりその危険性が高まります。



以下、危険地帯を4種類に分けてみました。


  1.  - 割れている:クラック、タイドクラック、クレバス、ヒドンクレバスなど
  2.  - 水が溜まっている:パドル、シャーベットアイスなど
  3.  - 凍っている:裸氷帯など
  4.  - 形がおかしい:プレッシャーリッジ、サスツルギ、ドリフト、ウインドスクープなど


1. 割れている


 クラック、クレバスといった「割れている」地形は非常にわかりやすく、その危険度がわかりやすい危険地形です。


 どちらも海氷・雪氷上に生じた裂け目のことを指します。山だと小さい指や手が入る程度の割れ目をクラック、人間が入る程度のものをクレバスと大きさで分けているようですが、南極だとそういうわけではなく、大きなクラックもあります。どう使い分けているのかよくわかりませんが、海氷上だとクラック、積雪(氷床)上だとクレバスと使い分けているパターンが多いように感じます。正しい使い方なのかはともかく。

 海氷上のクラックのうち、潮の満ち引きによって生じるものをタイドクラックといいます。大きな裂け目になりやすく、雪上車でも足を取られたり、落下の危険性もあります。

→海氷安全講習|昭和基地NOW!!
(http://www.nipr.ac.jp/jare-backnumber/now/back51/20100304.html)

 こうしたクラック・クレバスは上を通らないのが最適なのですが、移動のルートによってはそうも言っていられない場合も多々あります。通らなければいけない場合、重要なのは「割れ目に対して直角に渡る」こと。斜めに渡ると落ちやすくなり、危険です。また、道板と呼ばれる木の板(*4)を渡して重量を分散させることも重要で、雪上車が渡る場合でも道板を渡す場合があります。
*4) 燃えることを除けば、耐寒性に優れた高強度の素材である木材は南極でもっとも優れた素材で、建物や車両にも使われる。


 とはいえそれが可能なのは、あくまで見えている割れ目。積雪が上に薄く被ってしまったクレバスはヒドンクレバスと呼ばれ、察知が非常に難しくなります。配られた資料では「大陸旅行では最も注意しなければならない」とか書かれているんですが、どうせいいうねん。


2. 水が溜まっている


 水溜まりです。

 海氷の上の積雪の重みで、海氷が沈んだとき、そこに割れ目があると海水が染み上がってきます。こうなると積雪がどろどろとしたシャーベット状になってしまい、雪上車が上に乗ったときにキャタピラが嵌り、動けなくなります。このような地形をシャーベットアイスと呼びます。

 また、夏期間に強い日射にさらされると、海氷上に溶けた雪によって水溜まりができることがあります。これはパドルと呼ばれ、やはり雪上車の足を取るほか、海氷下まで穴が通じている場合は底なしとなっており、雪上車がそのまま沈んでしまう場合もあります。

 単に水が溜まっているだけとはいえ、下が不安定な海氷となると非常に危険なのですが、水が溜まっている以上、色が海氷と違っているので、水が溜まっていない場所を通るのがベストです。




3. 凍っている


 凍っていれば滑る。これは日本でも起きる現象で、それが南極でも危険なことはわかりやすいでしょう。

 さらに凍っているがゆえに起こる南極特有の事故をあげてみると、橇牽引時の衝突がありえます。雪上車は内陸旅行に向かう際はその準備作業のときに、ワイヤーで2トン以上の重さの橇を引いていますが、氷が露出している裸氷帯の上を通ってしまうと、橇が勢いを持って雪上車に衝突してしまうことがあり、大変危険です。これも凍っているところを通らないのがベストです。南極の危険地帯の対処ってこんなのばっかりですが、よく考えるとどこでもそうか。





4. 形がおかしい


 形がおかしい程度で文句はつけないでほしい、と農家の方なら思うかもしれませんが、形の影響がもろに出てくるのが南極。


 日本では、雪というのは穏やかなものです。しんしんと夜半から降り続けた雪は、どこまでも続く雪原を作り出し、一歩踏み出せばそこに足跡を受け入れます。
 が、ここは南極。雪は降り積もるものではなく、押しつぶされ、流され、吹き飛ばされてくるものなのです。低温で雪氷は塊、決まった方向から吹いてくる風は風紋を形作ります。サスツルギはこの風紋が大きく発達したもの。雪上車でその上を走行しようものなら、車両が傾き転倒しかねません。基本的には通らないのがベストですが、通らなくてはいけない場合は例によって垂直に超えます。

 また、障害物が存在しているとドリフトという盛り上がりが障害物の左右から後方にかけて形成され、抉られたようになった部分はウィンドスクープとなり、非常に不便な障害物となりえます。


 プレッシャーリッジは潮流によって海氷がぶつかりあって形成された小高い丘のようなもので、単純に障害になるのみならず、砕けた箇所から水が染み出し、パドルやシャーベットアイスの原因となります。



 以上、今回はこのように南極で脅威になる地形をまとめました。基本はすでに書いたように、

  • ・危ないところは渡らない
  • ・渡らなければならないなら、その地形に対して垂直に渡る

の2点を押さえておくことが重要となるわけですが、その前にその「危ないところ」を発見しなければならないわけで、それが最も難しいわけです。ちくしょう。すまん罵倒が出た。

 頭で書いた通り、今後内陸旅行に出る機会が二度あるので、そのあと帰ってこなかったら死んだと思ってください。今回は以上です。

2018年5月7日月曜日

南極/漁協と釣りと生態調査

 ノートパソコンのディスプレイが壊れました。

 壊れたといっても、右側1/4が映らなくなってしまっただけで、残りの3/4は無事なのですが、もともと使えた領域が使えなくなるとなるとなんと不便に感じるものよ。Macなので、Air Dropやアップデートの通知はギリギリ見えるものの、ブラインド選択になります。心の目が試される。

 原因はイヤホンの端子をディスプレイとキーボードの間に挟んだまま、ディスプレイを閉めようとしてしまったことです。ヒビが痛々しい。日本に戻るまでまだ10ヶ月ほどあるのに。

 こうなると、他の機械も壊れないとは限りません。ディスプレイは外付けディスプレイをつなぐことでなんとかなりますが、ハードディスクが壊れたりすると手もつけられないわけで、たまにはバックアップでもとるか、という気分に。

 マシンがお釈迦になったのなら、このウェブログの更新も難しくなるでしょう。であればいまのうちに書きたいことを書くべきで、『名探偵コナン』の黒の組織のボスの正体はウォッカだと思っています。ジンがピンチになったら急にでかくなって「きみには期待していたのだが、がっかりだよ、ジン」とか言うの。あの、こう、RED(*1)のウォーターズみたいな。ちなみに『名探偵コナン』は京極さんが出たあたりくらいまでしか読んでいません。
*1) 村枝賢一の漫画『Red -living on the Dead-』。南北戦争後のアメリカで一族を殺されたインディアン・レッド、西南戦争の生き残り伊藤伊衛郎(イエロー)、インディアンに興味を持つ娼婦アンジーが西部を放浪する。

 さて、心残りをなくしたところで、今回は先日行った生態調査釣りに関連した内容を書こうと思います。

 といっても概要は簡単。海氷が十分に厚くなっているところへ赴き、アイスドリルで穴を空け、そこに餌をつけた針を垂らすだけです。


 ドリルで海氷上に穴を空けるとき、大量に氷の削りカスが出ます。これは削りカスの山で穴の位置を視認しやすくするために、穴の近くに寄せておくのが望ましいです。


 運が良ければ、針を落としてすぐにかかります。

 使っている餌は、フリーマントルで釣った魚や購入した烏賊、オキアミ、蛸などです。赤いのは着色しているためで、赤いほうが魚が寄って来やすいといわれており、紅生姜でも釣れるそうです。また、醤油や出汁のような匂いがする香料を付ける人もいました(*2)。
*2) ちなみにこのように色をつけたり匂いをつけたりするのは、南極特有ではない。魚は意外と鼻が良い。


 前回の生態調査釣りでは、午前午後合わせて全体の釣果が20匹超、自分の釣果は3匹でした。釣れたのはショウワギスという、ハゼに似た魚が主です。




 さて、生態調査釣りですが、なぜこう、あの、ほら、釣りっていうか、その、アレだ、生態調査ということになっているかということについて説明します。

 まず、南極環境において、魚類は比較的蔑ろにされている部類です。

 基本的に南極地域で保護されているのはペンギンやアザラシで、たとえば名前でわかりやすい『南極のあざらしの保存に関する条約』(1980年に効力発生)では、

第一条 適用範囲
(2) この条約は次の種類について適用することができる。
・みなみぞうあざらし(ミロウンガ・レオニナ)
・ひょうあざらし(ヒュドルルガ・レプトニュクス)
・ウェッデルあざらし(レプトニュコテス・ウェデルリ)
・かにくいあざらし(ロボドン・カルキノファグス)
・ロスあざらし(オントフォカ・ロスィ)
・みなみおっとせい属(アルクトケファルス属)に属する種類

に関して、条約適用範囲である南緯60度以南の海域での捕獲・殺傷を禁じています。ただし例外があり、

第4条 特別許可
(1) この条約の規定にかかわらず、いずれの締約国も、次のことを目的として、限られた数量のあざらしをこの条約の目的及び原則に従って殺し又は捕獲するための許可証を発給することができる。
 (a) 人又は犬に不可欠な食料を供給すること。
 (b) 科学的に調査に供すること。
 (c) 標本を博物館、教育施設又は文化施設に提供すること。

 食っていいんかい。

「不可欠な食料」という意味がいまいち読み取れないのですが、ようは毛皮・脂といった商業的な目的でなければ仕方がない、といった見方なのでしょう。あるいは食料欠乏の場合に捕獲できるように、ということかもしれません。なんにしても、あくまで「許可証を発給することができる」なので、食べるためだから捕獲して良い、というわけではないようです。

 ともかくとして、この条約で守られているのはアザラシなどの海洋哺乳類だけです。

『南極の海洋生物資源の保存に関する条約』(1982年効力発生)では、

第一条
2 南極の海洋生物資源とは、ひれを有する魚類、軟体動物、甲殻類その他の南極収束線以南に存在するすべての種類の生物(魚類を含む。)である資源をいう。

ということで、魚類も保存の対象にはなってはいますが、あくまで「資源」としてで、保護の対象というわけではないようです。

 そういうわけで、釣り——すなわち魚類の捕獲は、法的には縛られてはいません。

 しかしながら、法的に許可されていれば好き放題にして良いわけではないわけで、日本では『娯楽としての魚類等海棲生物の捕獲に付いてのガイドライン』を制定しています。このガイドライン曰く、

◇生物種・魚種による規制はないが、生き物であることを念頭に、娯楽として常識的な範囲での捕獲に止めること。

ということになっており、捕獲結果として、捕獲日時や種類、捕獲場所、体長、重量などを記録しておくことが定められています。南極観測隊ではそれを守っているというわけです。健全ゥ。

 生態調査らしく、大きな魚類の場合は胃袋の中を開いて餌を調査するということもやることになっています。今回釣れた中だと、胃袋の中を開くほどの大きなサイズではなかったのですが、釣れたときに食べていたらしいゴカイのような虫が出てきて、ショウワギスの主たる餌がわかります。

 現在までのところ、釣れているのはほとんどがショウワギスですが、釣りを主導している漁協係はライギョダマシという大型魚を釣ることを目標とし、日夜邁進しています


 ライギョダマシは通常の竿と糸で釣るには大きすぎる魚なので、通常の竿と仕掛けでは釣ることができません。大型の設置式器具を用い、大きな針に魚を餌として取り付けて放置し、かかるのを待ちます。

 この記事を書いている2018年5月7日、漁協はライギョダマシ用の仕掛けを設置しました。
 これまでライギョダマシは、2年に1度程度のペースで釣れているようですが、果たして今次隊は釣り上げることができるのか。続報をお待ちください。

 なお、これまでに釣れた魚はスタッフで美味しくいただきました。



2018年4月18日水曜日

南極/オゾンホール


 隊員でこのブログの存在を知っている人に、ブログを更新しろと言われてしまいました。

 確かに振り返ってみると最近確かに更新頻度が落ちています。でも最近は朝夕の薄明観測も始まったし、AWSとラドン計の調整もしないといけないし、計算モデルは調子がよくおかしくなるし、ギターも練習しないとだし、ビリヤード大会(四つ玉; *1が始まってしまったし、サガフロ*2のエミリア編のラスボスが倒せないし(*3)でわりと忙しいし………。
*1) 8ボールのようなポケットではなく、穴のないテーブルを使うキャロムの一種。1回戦は30点先取で5回ファールしたけど最後に10点入れて勝った。対戦相手のコメント「理不尽」。
*2) PSのサガシリーズ第一弾。連携が導入され、うまく繋がると『飛燕ロケット剣ローリンヒット』『ジャイアントプラズマスマ巻きスカッシュ』など意味不明の技が発生する。1997年のゲームだが最近になって連携数が更新され、最大41連携の記録ができた。Yahooニュースにもなったが、技名は『リヴァイヴァスライバベル水撃スープジャイアントロコ金剛カイザーブラスター陽子ロケット鬼バルカン破壊鉄下駄電束火炎プラズマ跳弾神速熱線放射ソニックディフレクト電撃濁流清流アル・三スカイ燕曲射短勁フラッシュライジングロザリオアル・十字塔無月真アル・羅刹掌』とのこと。詳しくは→「サガ・フロンティア」で“41連携”の発動が確認される 2分弱攻撃し続けて16万ダメージ - ねとらぼ
*3) これ書いている間に跳弾経由で連携して『跳弾払い散水』とか『跳弾エンド』でなんとかなった。

 相変わらずアカデミックさの欠片もないわたしは脳内サンディエゴな冒頭からスタートしましたが、今回はオゾンホールの話をしようと思います。


  1. オゾンホールとは
  2. オゾンホールの歴史
  3. これからのオゾンホール



1. オゾンホールとは


 オゾンホールは成層圏のオゾン(O3)が減少する現象です。

 まずオゾンO3の大気中での主な働きを見るために、オゾンの量と気温の鉛直分布を見てみることにします。


 上の図は米国標準大気[Atmosphere U.S.; 1]という、「とりあえず昨今の地球の大気はこんなふうになっているよ(*4)」というざっくらばんな大気状態をグラフにしたものです。図中、青が水蒸気量、橙がオゾン、緑が気圧、赤が気温を示します。それぞれの線をひとつの図で表すために、値の倍率を一部変更しています。
*4)ただし1976年のものなので、二酸化炭素の量が現在よりもずっと少なかったりしますが、まぁ今回はそこは関係ないのでご愛嬌。

 グラフを見てわかるとおり、オゾンは高度10kmから60kmあたりに分布しており、40kmより少し下あたりで最大値があることがわかります。同時に、気温もこの付近で極大になっています。

 オゾンと気温の関係から推定できるとおり、オゾンの大気中での主な効果は、光を吸収して上空の大気(特に成層圏といわれる11-50kmくらいの高度)を温めることです。

 人間は波長の違いによって、光を色として認識します。具体的には、波長が長いほど赤く、波長が短いほど紫として認識します。紫色に認識できる波長よりさらに短い波長となると、紫外線(紫よりもさらに外側の)と呼ばれる人間の認識できない光となります。特にオゾンによる吸収が強いのはこの紫外線の領域で、具体的には0.28μm(0.28の千分の一mm)以下の光です。
 光は波長が短いほどエネルギーが高いため人体にとって危険ですが、オゾンが存在していることでそれらを吸収し、その危険性が抑えられているというわけです。オゾンは光を吸収してエネルギーを得て、大気を温めます。

 余談ですが、グラフのオゾン濃度の最大高度と気温の極大高度は近いですが、一致しないことに気づいた方は良い着眼点を持っています。オゾンが大量にある場所ほど、オゾンが紫外線を吸収するのでより温めそうですが、そうはなっていません。
 この原因は、オゾン濃度極大高度ではオゾンは多いですが、吸収される紫外線は少なくなっていることです。光は上空から降り注ぐため、オゾンが少ない領域で先にそれらを吸収してしまえば、それより下の領域でオゾンが多くともそれほど温度は上がらないというわけです。

 このように紫外線を吸収し、上空の大気を温めるという重要な役割を担うオゾンですが、1900年代後半に、特に南極上空でその量が減少するという現象が観測されました。これがすなわち、オゾンホールです。


2. オゾンホールの歴史


 オゾンホールは1900年代後半に発見されました。オゾンホール形成の原因となるオゾンの破壊は、冷媒などに用いられていたフロンなどから作り出される物質が原因であるとされています。

 ではこのオゾンホールは誰によって発見されたかというと、実は日本人だったといわれているようなそうでもないような。
 なんかやけに曖昧な表現ですが、学生時代、

教授「オゾンホールを発見したのは日本の人なんだけど云々」
管理人「ほーん(どうでもいい)」

 みたいなやりとりがあったことは覚えているが細かいことはあんまり興味がないので覚えていない。
 
 さて、実際どうだったかと調べてみると、忠鉢さんという方が発見したとされています。

→気象庁気象研究所|過去の研究成果|オゾンホールの発見

 それまでいろんな国でオゾンホール(あるいはその余波)のようなものは観測されていたのですが、データの異常と感じられて捨てられていました。しかし南極昭和基地で観測をしていた忠鉢さんは異常とせずにギリシャの学会で発表。論文にはせず、論文化したのは他国の研究者だという半端な結果に終わっています。

 では認識としてはどうかというと、たとえば(引用として適切かどうかというとアレなのだけれど面倒だから)日本のWikipediaから引っ張ってくると、

人工衛星の映像が、まるで穴があいたように見えることからオゾンホールと呼ばれるようになった。南極上空のオゾンが毎年春期に減少することの発見は、ジョセフ・ファーマン、ブライアン・ガードナー、ジョナサン・シャンクリンの1985年の論文 (Farman et al. 1985 "Large losses of total ozone in Antarctica reveals seasonal ClOx/NOx interaction." Nature, 315, 207-210) によって発表されているが、最初の報告は1983年12月の極域気水圏シンポジウムおよび翌1984年ギリシャで開かれたオゾンシンポジウムでの、気象庁気象研究所(当時)の忠鉢繁らによる日本の南極昭和基地の観測データの国際発表である。
その後、ストラスキーらが人工衛星ニンバス7号の解析映像を発表し(Stolarski et al. 1986 "Nimbus 7 satellite mesurements of the spring time Antarctic ozone decrease" Nature, 322, 808-811)、オゾンホールがマスメディアを通じて一般に認知されるようになった。
オゾンホール - Wikipedia(最終更新 2017年10月29日 (日) 20:43)より

 とあり、いちおう日本では忠鉢さんが先駆けて発表したというのは認識されていることになります。
 では外国ではどうかというと、

南極の「オゾンホール」は英国南極調査隊のFarman、Gardiner、およびShanklinによって発見され、科学者たちに衝撃を与えた(最初の雑誌掲載は1985年5月のNature誌である[93])。これは極域のオゾン量が予想よりも遥かに減少していたためである[35]。衛星観測では南極点周辺でオゾンが大規模に減少していることを示された。しかし当初はデータ品質検証アルゴリズムが不十分であると考えられ、このオゾン減少は取り除かれていた(オゾン量が小さくなるのはエラーと考えられ、除外されていたのである)。現地観測によってオゾン量減少が捉えられて[60]からようやく生データが再検証され、オゾンホールは衛星データによって観測されるようになったのである。計算プログラムがエラーと想定した除外を行わずに再計算してみると、オゾンホールは1976年からすでに存在していた[94]。
The discovery of the Antarctic "ozone hole" by British Antarctic Survey scientists Farman, Gardiner and Shanklin (first reported in a paper in Nature in May 1985[93]) came as a shock to the scientific community, because the observed decline in polar ozone was far larger than anyone had anticipated.[35] Satellite measurements showing massive depletion of ozone around the south pole were becoming available at the same time. However, these were initially rejected as unreasonable by data quality control algorithms (they were filtered out as errors since the values were unexpectedly low); the ozone hole was detected only in satellite data when the raw data was reprocessed following evidence of ozone depletion in in situ observations.[60] When the software was rerun without the flags, the ozone hole was seen as far back as 1976.[94]
Ozone depletion - Wikipedia(This page was last edited on 6 April 2018, at 18:57.)日本語は管理人訳。

 となっており、英Wikipediaでは忠鉢/Chubachiという名前は一言も出てきません。
 まぁWikipediaに書かれている内容が一般の知見だというわけではないのですが(*5)、
*5) Wikipediaを書いているっていう人を見かけたことがないし。ゲームの攻略Wikiならともかく。最強リセマラランキングとかが載っていないほうの。

 ところで、英Wikiのほうに、

the ozone hole was detected only in satellite data when the raw data was reprocessed following evidence of ozone depletion in in situ observations.[60]

とあります。
 in situという慣用句が出てきますが、一般的にはたぶんあまり使われない表現だと思います。英和辞典を紐解いてみても、

in situとは
主な意味
本来の場所で、もとの位置に

というふうにしか書かれていませんが、地球物理学で"in situ"という表現が出てきたら、現地観測で、という意味になります。いや、本題にぜんぜん関係ないんだけど。

 話を戻します。上の文には[60]という引用番号が振ってありますが、これはReiner Grundmannさんという方が2001年に書いた『Transnational Environmental Policy : the ozone layer』という本を参考にしましたよ、ということのようです。Google Scholarという論文の検索・引用に使えるサイトで上のタイトルを調べてみると、『Transnational environmental policy: Reconstructing ozone』[Grundmann 2002; 2]という本がヒットしました。なんか微妙にタイトルが違う&年がちょっと違うのが気になりますが、うーむ、改訂したのだろうか、悩んでいても仕方がないので、同じ作者だしまぁいいかということでちょっと引用してみると、オゾン層の発見については以下のように書いてあります。

英国チームが結果を発表する前に日本の研究者たちが南極のオゾンの異常を発見した。だが彼らは国際的な大気研究コミュニティからは分離していたため、国際社会に警鐘を与えることはなかった。それはわずか11ヶ月のデータだった。日本人グループは1984年にギリシャで行われた国際学会でポスター発表を行い、これはFarmanたちの発表よりも1年早かった。結果は有名な雑誌には発表されることはなかったが、無名のところで出版された(Chubachi 1984)。彼らが自分たちの結果の重要性を理解していなかったと言ってしまうのは言い過ぎではないだろう。10月の並外れた値が観測されていたのだ。だがその結果は同じ分野の研究者にも世界にもまったく関心をもたらさなかった。日本人たちは南極でオゾンを計測し、確かに異常なオゾン量を観測したのだ。彼らはギリシャの学会でポスター発表をして、その結果はご存知の通りだ。誰も注意を払っていなかった。だがポスターで発表したところで、どれだけの人が見てくれるだろう。誰も注意を払っていなかったのだ。観測していたはずの異常な値を。
Even before the British team published their results, a Japanese group of researchers had found abnormal ozone values in the Antarctic. However, because they were isolated from the rest of the international community of atmospheric researchers,
they did not and could not present their findings in a way that would have alarmed the world public. Their data contained only a time series of 11 months.
They presented them in 1984 during a poster session at an international scientific
ozone conference in Greece, one year before the publication of Farman’s results.
The results were not published in a major journal but in a rather obscure
outlet (Chubachi 1984). It seems no exaggeration to say that they did not realise
what they were measuring. They stressed the anomaly of an exceptional high
value in October (which occurred after the concentration had dropped to 240
DU). In other words: their framing did not catch the attention of their colleagues
nor of the world public. The Japanese were measuring ozone in their station in Antarctica. And they found abnormal ozone levels. They reported that in a meeting in Thessaloniki. They had a poster, and you know how people look at posters. Nobody really paid attention. They had abnormal values, so what?
Grundmann, R. (2002). Transnational environmental policy: Reconstructing ozone. Routledge.より。日本語は管理人意訳。

 というわけで「大事な発見はちゃんと発表しろよ」ということで、研究者としては身につまされる想いですね! でも英語とか苦手なの! 学生時代も「国語だけは異常にできる」って言われてたの! なんで理系に進んだんだ。


3. これからのオゾンホール


 経緯はともかくとしてオゾンホールは発見、それまで有用かつ無害だと思われていたフロンなどが地球環境に大きな影響を与えるということがわかり、規制が進みました。

 オゾンホールの発見から約35年。現在はいったいどうなっているかというと、2016年に"Emergence of healing in the Antarctic ozone layer"(「南極オゾン層の回復」)という論文がSusan Solomonという人物らによって発表されました[Solomon et al., 2016; 3]。

 この論文は、

図2のモデル計算の傾向比較から、9月に南極オゾン層の回復の兆しが見て取れる。これは対流圏のオゾン破壊物質の減少事実と矛盾しない。傾向がはっきりするまでは時間を要し、対流圏から成層圏への物質輸送による時間差もあるが、徐々に極域のオゾンは徐々に回復の傾向を示している。
The comparisons of the modeled trend profiles in Fig. 2 provide an important fingerprint of the onset of healing of the Antarctic ozone layer in September. This is consistent with the basic understanding that re- ductions in ozone-depleting substances in the troposphere will lead to a healing of polar ozone that emerges over time, with lags due to the transport time from the troposphere to the stratosphere, along with the time required for chemically driven trends to become significant relative to dynamical and volcanic variability.
Solomon et al. (2016)より。和文は管理人意訳。

とある通り、通常、オゾンホールが最も大きくなる10月ではなく、発生し始める9月に着目することでオゾンホールの回復傾向を示した論文です。
 オゾンホールの回復傾向について言及されたのはこの論文が初めてではないのですが、「Solomonが発表した」という点でこの論文は他とは一線を画します。

 Solomonがどういう人かというのを説明するためには、IPCCについて説明する必要があります。
 IPCC(Intergovernmental Panel on Climate Change=気候変動に関する政府間パネル)というのは数年ごとにおえらい学者が集まってもにょもにょ会議を行いつつ、気候変動の評価をする組織です。もにょもにょと会議をした結果は評価報告書としてまとめられるのですが、これは各国の政府に大きな影響力を持ちます。

→IPCCとは? | IPCC 第5次評価報告書 特設ページ

 一部は日本語化され、わかりやすい形にまとめられているので見てみると気候変動の現在がわかりやすいと思います。
 IPCCの最新の評価報告書は2013年の第5次ですが、Solomonはその前の第4次ではグループ1の共同議長を務めています。ようは四天王みたいなものです。「ヒャッハー、オゾンホールくらいぶっ潰してやるゼェ!」という狂戦士タイプでしょう。いつの間にかいなくなっていて、冷静軍師タイプに「奴ならもう出発しました」とか言われています。ソロモンなので悪魔を操って戦うとかそういう人だと思います。たぶん(*6)。
*6) 知らんけど。

 そんなSolomonが「オゾンホールが回復傾向に入った」と発表したので、この論文は大きなインパクトがありました(*7)。
*7) 個人的には論文読んで、この段階ではどうなんだろうなー、と思ったけど。うーむ。 

 オゾン破壊物質を減らしている以上は徐々に回復傾向にはあるわけで、オゾンホールの回復は時間の問題でしょう。環境問題への対処が上手く行っているということで、これ自体は喜ぶべきことです。

 しかしながら、実はこのオゾンの回復が地球温暖化に影響を与える可能性があったりするのですが、この話はまたの機会に。


 ちなみにオゾンは空の青さにも(特に陽が沈んでから)関係したりしますが、こちらもまたの機会にでも。




参考文献
[1] Atmosphere, U. S. (1976). Standard atmosphere. NOAA-S/T76-1562.
[2] Grundmann, R. (2002). Transnational environmental policy: Reconstructing ozone. Routledge.
[3] Solomon, S., Ivy, D. J., Kinnison, D., Mills, M. J., Neely, R. R., & Schmidt, A. (2016). Emergence of healing in the Antarctic ozone layer. Science, aae0061.

2018年2月16日金曜日

南極/S17


 2月になりました。

 もう月も半ばになってなっているというのに何を言っているんだハハハこやつめと思われる方もおられるかもしれませんが、時差というやつです。

 また二、三週間ほど更新が滞っておりましたが、べつに飽きたとか、ゲームやっていたとかそういうわけではなく、いやでもPS vitaがあるからゲームはやっていて、でもゲーミングノート持ってこなかったのでPCゲーはほとんどできないのですよね。
 自分の(日本で)持っているノートはラップトップというには少々重いノートなのですが、たしか『Hitman: Blood Money』(*1)が旧PCが動かなかったときに買ったやつなのでインディーズ程度ならプレイできる程度のスペックはある。ちなみに今の(本土に置いてきた)PCは『Divinity: Dragon Commander』(*2)が動かなかったときに買ったやつ。買った時期がわかりやすい。次は日本に戻ったあと『Mount&Blade2』(*3)のときかなー。でもM&Bはグラボよりメモリが大事だとか噂されていたし、メモリ増設か入れ替えるだけで十分かもしれない。
*1) ハゲバーコード(バーコードハゲではない)の暗殺者が明らかに目立ちすぎる変装をしているのに誰も気づかないことにツッコミを入れる変装ステルスアクション、その最高傑作とも謳われる4作目。スーツケースに爆弾つけて投げるのが好き。
*2) エルフ・ドワーフ・トカゲ・アンデッドから嫁を選ぶ恋愛シミュレーション。ゴブリンの嫁はゲーム開始時前に自爆している。
*3) 管理人がPCゲー5指に挙げるRPGの次作。兵となり、将となり、戦国乱世の大陸を駆け抜ける。絵面がわりと地味なので良さを示すのが難しい。

 越冬中時間があるので、ゲーミングノートを持ってきていれば宙ぶらりんになっていた『Vampire: the Masquerade -Bloodlines-』(*4)でもやれば良かった。
*4) TRPGのVampire: The MasqueradeシリーズをCRPG化したもの。Tremeraの血液魔法Thaumaturgy関係とSeduction型でやっていたが、HDDがクラッシュしたあと環境を戻すのが面倒で手をつけていなかった。周囲の敵を吐血させるPurgeが勢いあって好き。

 例によって、こうやって南極に純粋に関心のある方を全力で切り捨ててからの切り出しですが、えー、何が書きたかったんだっけ、ああ、そうだ、なんで更新していなかったかという話でした。観測のため、基地の外に出ていたためです。

 第59次南極地域観測隊の本隊は11月末にオーストラリアを出港後、12月終わり頃に昭和基地に到着しました。その後、(南半球の)夏期間の観測や設営作業を行い、2月1日付で越冬交代式を行いました。
 未だ完全に「越冬成立」と言える段階ではないのですが、少なくとも南極の短い夏は終わりを迎えてしまっています。
 冬来たる。
 しかしながらその前に、短い短い夏があり、そこでは夏にしかできない観測が行われていたのです。わたしは夏観測として、主にS17という観測地点に行っていたのです。

S17とは

まずS17の位置を確認してみましょう。



 上の図は南極大陸のおおよそ全域を表したもので、昭和基地があるのは黒縁取りの赤丸で示した場所です。この規模だとわかりにくいため、昭和基地周辺を拡大したものがその右の図になります。

 見ての通り、昭和基地(黒縁赤丸)が大陸から僅かに離れた東オングル島という島にあるのに対し、S17(赤丸)は南極の内陸にある観測地点です。グレースケールは(氷床を含む)地表面高度を表しており、ほぼ海面と同じ高さにある昭和基地と違い、S17はいくらか高いところにあるのがわかります。

 昭和基地から東に約20km、標高約600m。基地からヘリコプターでおおよそ10分程度のこの地点は大きく分けて二つの役割を持ちます。


1) 観測地点として
 昭和基地は海上の島に存在しており、その風景は夏場はさほど南極めいていません。全景を見渡してみると、確かに海には海氷が浮き、陸には雪が尾を引いていますが、むしろ目立つのは青銀色の雪や氷ではなく土気色の露岩であり、通行するトラックや建築中の建物、ヘルメットを被って歩く人々も手伝って、基地という名前にむしろ相応しいくらいであるといえます。

 一方でS17はといえば、内陸のそこにあるのは雪と氷ばかりです。



 内陸とはいっても斜面のほんの端ですが、昭和基地とはまったく違う世界が広がっているというのは身体で体感できます。
 S17にはふたつの小屋が存在し、片方が居住棟、もう片方が発電棟となっています。発電棟(および接続された居住棟)からは日本で一般に使われるような100V電源が取れるため、天気さえ許せば日本と同様の観測が行うことが可能です。



2) 航空拠点として
 S17の拠点小屋から東に覗ける位置に、雪面に線が入っているのが見えます。近づいてみると、それは幅50m長さ1kmととても太く、周囲には家紋のように三つの穴の空いた黒い旗が立っているのが見えます。

 これはDROMLAN(DROnning Maud LANd)飛行機のための滑走路です。11月末に出発する本隊よりも一ヶ月先駆けて出発する先遣隊は飛行機で南極入りしますが、彼らが最初に降り立ち、そして2月に帰還するときにはこの滑走路を使うのです。



S17の設備

-発電棟
 風下側にある発電棟はその名の通り発電を担う小屋です。前室には外で使う旗竿などが置かれていますが、そこからさらに入ると中央に大きな発電装置があります。この発電装置は隣の居住棟で人が生活している時期にのみ稼働しています。普通に暮らしている限りでは、燃料は(余裕を見て)約3日程度で給油することになります。

 発電装置は暖かくなるため、造水装置としても用いられます。造水装置というと大袈裟ですが、バケツに綺麗な場所の雪を取り、発電装置の上に置いておくだけです。半日〜1日程度で雪は融け、水を作ることができます。雪だけだと熱が伝わりにくいので、多少水を溜めておいてその上に雪を入れると多少効率が上がります。


 奥には扉が3つあり、いちばん右は倉庫のような扱いですが、残りの2つの個室はトイレとなっています。といっても、電気はあれど水が流れるわけがないので、水洗なわけがなく、汲み取り式でもありません。野外ではペールトイレという腰掛けられる缶のような形状に上蓋が付いたものを利用し、ここにゴミ袋をセットして大便は足します。

 一方で小便は外の風下に旗を立て、そこにします。寒いです。さむい。


 発電棟の上部には気象庁設置の気象計が存在しています。ここには風力発電装置も取り付けてあり、発電小屋の装置が稼働していなくても気象観測測器は稼働し続けることが可能です。このデータはあくまでヘリコプターや飛行機の利用のために用いられることが多く、昭和基地の観測とは違って一般向けにデータは公開されていません。


-居住棟
 風上側にあるのが居住棟です。前室を抜けた先が居住棟のメインスペースとなっており、広さとしてはわたしが引き払ってきたアパートの部屋より広いくらいとなっています。

 入口から見て右手手前のスペースは循環型の暖房装置となっており、零下の外気温の中でも居住棟にいれば普段着で過ごすことが可能です。

 右手奥には台所があります。IHクッキングヒーターが備え付けてあり、電磁調理を行うことができるほか、グリル、トースター付き電子レンジ、冷蔵庫など、一般的な台所よりむしろ高性能な設備が備えられています。

 左手側には長テーブルがふたつくっつけられて置かれており、食事や休憩をすることが可能となっています。また、小屋内に宿泊する場合はこのスペースに布団を敷いて寝ていました。


S17の環境

先に地図で見たように、S17は昭和基地と違って大陸斜面上にあり、近くに熱源である海がないため常時雪と氷に包まれています。斜面上に存在するため、カタバ風と呼ばれる斜面を駆け下りてくる風の影響を受けやすく、日中の一部を除けばほとんどの時間帯で東方向から風を受け続けています。風速は昭和基地よりも秒速で5m程度強く、10-15m/s程度の風は珍しくありません。

 南極は沿岸では陸上や海氷上ではペンギンやアザラシや鳥類が、海面下では魚類やプランクトンなどが見ることができますが、大陸斜面上のS17では夏の期間であっても生物を見る機会はほとんどありません。しかし稀ながら、尾に黒い線の入った白い鳥が飛んでいく姿を見ることができます。


S17の今後

S17は観測拠点として用いることができるのみならず、DROMLANによる飛行機利用のための拠点として用いることができる非常に有用な拠点です。

 長期的な利用を目指し、雪の影響を防ぐために高床式のようになっていたうえにジャッキアップによって床を上げることが可能となっていはずの本拠点ですが、長期間の利用により、高床だった頃の面影はもはやなく、雪に埋もれつつある状況です。果たして本拠点はいつまで使うことができるのでしょうか。このままでは沈んで行くばかりのS17を救うのは……そう、金です。よろしくお願いします。




2018年1月22日月曜日

南極/雪上車SM100S


 南極のブログなんだからペンギンとか見られるんだろうなぁ、と思わせてからの雪、雪、氷、雪、ブリザードでお届けしております本ブログ、ここ三週間ほど更新がありませんでした。この間、外に出て観測があったわけですが、一週間ほど前には昭和基地入りしていたわけで、べつだんそれが主な理由というわけではありません。

 更新が滞っていた単純な理由は、ネットが重いからです。砕氷船しらせに乗っていたときより昭和基地に行ってからのほうがインターネットの接続が悪くなるとは思わなかったです。やりおる。明石が手に入らない。

 とはいえいつのまにか南極OB会のリンクに補足されているということでさらなるクソ&クソ(*1)のギリギリの路線を辿っていきたい(*2)本ブログ、多少の回線の重さには負けておられんわ、ということで更新です。
*1) R&Bみたい。
*2) 途中でゲームか映画の話題にのみ終始するブログに切り替えたい。

 今回は南極に来たということで、これがなければ始まらない、南極でしか見られないであろうものに関する話題……そう、雪上車です。


 あぁ、なんだ、え? 南極に来たらペンギンだとかオーロラとかだろうって? そんなものは動物園やプラネタリウムで見やがれ。氷床上で動いている雪上車が見られるのは南極だけだ。ちなみに氷床というのは氷河のでかいバージョンで、世界にはグリーンランドと南極にしかありません。規模でいうと南極の氷床はグリーンランドの何倍も大きいです(*3)。世界最大の氷床、その上を走る雪上車。どうだ見たくなっただろう。
*3) しらせ大学で習ったことを早速(*4)書いていく受講者の鑑。
*4) よく考えると1ヶ月前だったが、地球48億年の歴史に比べれば僅かな期間です。

 というわけで今回は雪上車です。雪上車なのです。男の子はこういうの好きじゃろ? わしもわかっておるのじゃよ。狐耳金髪ロリババアとか好きじゃろ?

『雪上車運用マニュアル』2017年度版(第9版; 以下、『運用マニュアル』)に記載されている雪上車は、

  • SM100S雪上車
  • PB300雪上車
  • SM60/65S雪上車
  • SM40S雪上車
  • PB100雪上車
  • SM30S雪上車

です。

『運用マニュアル』によれば、

  • 内陸調査・輸送旅行用の大型雪上車→SM100S、PB300
  • 氷上輸送用の中型雪上車→SM60/65S
  • 大陸周辺部調査旅行用の小型雪上車→SM40S
  • 助走・滑走路整備・氷上輸送用の小型雪上車→PB100
  • 沿岸・海氷調査旅行用の浮上型雪上車→SM30S

という分類になっているようです。

 今回の記事では、内陸調査・輸送旅行用として用いられるSM100Sについて説明していきます。なぜかというとコレしか運転したことがないからです。どうせコレ使うし、それにここで書いておけば忘れないし、忘れたとしても参照できるし。

 あのなんかアレだよな、このブログ、南極を紹介するというか自分のまとめのために使っている気がする。
 いや、でも内陸行くなら雪上車は確実に使うわけで、これはアレです、ペンギンとかオーロラの写真を載っけるより絶対役立つ。ペンギンの写真が載っている本なら佃煮にするほどありますが、現地での雪上車の運転方法が書かれたものなんてそうそう見つからないはず。良いのです、このブログはそういうブログなのです。素晴らしいな、この星を守るため。

 SM100Sは幅2.9m、長さ6.9m、11トン雪上車(11,500kg)で、これより重いのは前述した中では12トンのPB300のみで、雪上車としては大型に分類されます。最大積載量は1,000kg。最高速度は時速21kmとけっして早くはありませんが、最低運用気温は-60度で6種類の雪上車の中でももっとも寒さに強い機体です。そのため南極大陸氷床全域での行動に向きます。


 一方で重すぎるため、海氷上は基本的に走らないことになっています。ちなみに参考燃費は4.4l/kmです*5)。履帯(キャタピラ)持ちです。たぶん転倒の状態異常とか受けないんだろうな。つよいぞ。
*5) 4.4km/lではない。念のため。
(以上、データは『運用マニュアル』より)

 運転席を含めて4座席、2名分のベッドもあります。炊事が可能。3kVAの発電機で、100V電源の供給が可能となっています。


 今回は、夏季の内陸斜面上での実際の運用に関して下記に示します。なお、以下の内容は特に公式のものや『運用マニュアル』からの引用ではなく、個人的に教わった雪上車SM100Sの運用方法となります。正しい使い方は違うかもしれませんので、実際に南極で乗る場合は車両担当にご確認ください。


1) 立ち上げ
 まずは何があろうと立ち上げからです。
 内陸用の雪上車の駐車場は昭和基地から東へ約20km、標高約600mのS16という名の中継地点です。この地点は内陸旅行のための中継地点でもあり、日本の観測隊が内陸へ向かう場合は基本的に立ち入る場所でもあります。

 基本的に車両は風向きに正対する形で駐車されています。これは地吹雪によって風が障害物の左右や背後に吹き溜まる性質のためです。風向きに対して顔を背けるように駐車してしまうと、地吹雪のあとに出る際に前に向かえなくなってしまいます。

 とはいっても、ちゃんと風向きに正対して駐車していたからといって簡単に立ち上げられるかというと、それはまた別の話。地吹雪に晒され続けていた雪上車は当たり前のように雪の中に埋もれているので、これを適当に掘り起こす必要があります。ある程度の坂道は登れるので、前面に登り坂を作って掘り出します。

 外側の状態を整えている間に、雪上車そのものの立ち上げを行います。まずは車両上にある排気口に巻かれている毛布(雪除け)を取り除きます。また車両内部、中央部右側にあるバッテリーボックスを開け、マイナス端子をバッテリーに繋ぎます。


 エンジンオイル等も点検する必要があります。車両前部中央やその後ろに開けられる部分があるので、オイルがきちんと入っているかどうかを点検します。そうそう減るものではありませんが、まぁ雪上車立ち上げの儀だと思って確かめておきましょう。


2) 始動
 始動です。上の立ち上げ作業は車両を最初に立ち上げる場合にのみ行えばいいのですが、この始動作業からは車両に乗る際には毎度行う作業となります

 まずはクランキングです。車両のエンジンには立ち上げ当初は燃料がしっかり回っていないため、最初の始動時は燃料をしっかり馴染ませる必要があります。そのための作業がクランキングです。
 クランキングの方法は至極簡単。運転席右上のところに「クランキング」と書かれたツマミがありますので、これをONにして右下のエンジンキーを「START」に入れるだけです。きゅるきゅるという音がしますので10秒ほどSTARTに入れ続けます。この動作でエンジンに燃料が馴染むらしいですが、あまり連続でやり続けてはいけないので10秒入れたら30秒ほど休ませましょう。10秒START、30秒休み、と二、三度繰り返しているうちにオイルランプが消えればクランキングは完了です。
 

 ある程度燃料が回ったところでスタートです。クランキングのツマミをオフに入れ、エンジンキーをSTARTへ——と言いたいところですが、ここでひとつ注意点が。南極観測隊では車両のエンジンスタート/前進/後退時にクラクションで以下のような合図をするルールがあります。


  • 1回 - エンジン始動
  • 2回 - 前進開始
  • 3回 - 後退開始


 そういうわけで、まずはエンジンキーをSTARTまでには入れず、OFFからONへと回します。バッテリー警告等のランプが点灯しますが、ひとまずクラクション一回。それからエンジンキーをSTARTへ入れ続けて始動です。

 始動してしばらくするとバッテリー等の警告ランプが消えるはずです。
 エンジンが始動したら、一度外に出てやることがあります。それは吸気口と排気口を開けることです。運転席ではエンジン温度を確認することができます。メーターは概ね50/80/100度の区切りになっているはずで、80度までがグリーン、それ以上がレッドゾーンとして塗られているでしょう。エンジンは温度が上がらないと機能が発揮できませんが、高すぎると壊れてしまいます。エンジンを冷却するために空冷で冷ましてやるというわけです。


 運転席を降りて車体前部に回り込むと、フロントガラス下に観音開きのような扉があります。これをとりあえず片方(長く乗るなら両方でも)開けておき、バーで固定します。後ろにも留め具で止めるタイプの口が三つ空いているので、そのうちひとつ(温度が上がってきたら他のふたつも)を外し、中に放り込んでおきます。

 これでエンジン周りはひとまずOK。立ち上がったので助手席側の後部座席近くの壁にある配電盤で、無線などのブレーカーをオンにしておきましょう。



3) 慣らし運転
 エンジンも始動してさぁ出発だ——と行きたいけど行けないのが南極。本格的な運転の前に、エンジンの温度を上げるための慣らし運転というものが必要になってきます。

 慣らし運転は約100mの距離を前進後退で三往復するだけの簡単なものです。慣らし運転のためには当たり前ですが発進しなければならないわけで、まずは前進後退の方法を知らなければなりません。
 
 SM100Sはこう見えてオートマです。なので左手のシフトレバーをニュートラルから一速へ入れれば、それだけで前進を始めます。時速はおそらく1km程度でしょう。エンジン回転数も500-600くらいだと思います。とりあえずこれで前進。先に書いたように前進前には2回クラクションを鳴らすことを忘れずに。
 ちなみにSM100Sはノーブレーキです。いや、いちおうブレーキとして使えるものはないではないんですが(サイドブレーキもあるし)、まぁ基本的に使わないです。止まるんじゃねぇぞ。



 100m進んだら一度シフトレバーをニュートラルに入れて止めてから、後退します。これも簡単で、レバーをリバースに入れるだけ。入れる前に3回クラクションを鳴らしましょう。ずんどこずんどこと100m後退して元の地点まで戻ります。

 これをもう一度繰り返します。エンジンが回っていると、だんだんと車内は暑くなってきます。外の天候が問題なければ、窓を開けておくとやや涼しくなります。手指を挟まぬように固定できます。また、天窓も開きます。それでも足元は暑いけど。

 二往復をアクセルを踏むことなく終えました。最後にもう一往復しますが、今度は軽くアクセルを踏んで行います。アクセルの位置は普通車と同じです。「軽く」の目安は、だいたいエンジンの回転数が1000回転程度になるくらい。一定速度で前進、そして後退します。

 これで雪上車で三往復を終え、慣らし運転終了です。所要時間としてはおおよそ30分くらいでしょうか。使う日の最初にやっておけばOKです。


4) 運転
 ここまで来てようやく運転に入れます。 

 先に書いたようにSM100S雪上車はオートマで、ギアはN/1/2/3/D/Rの四段変速です。夏季期間は2-3速で使っていたことが多かったです。
 カタログスペックでの最高時速は時速21kmですが、実際に回転数が一定数を超えないように使うとなると、時速12km程度がせいぜいになると思います。とはいえ歩くよりはずっと早いですし、重い荷物や橇も運べます。すごいぜ! でも燃費悪いぜ!

 SM100S雪上車にはハンドルがありません。代わりにロボのコックピットみたいなレバーがふたつ股のところに突き出ていて、これがハンドル代わりになります*6)。
*6) ロボのコックピット観がこれでもかというほど古い。

 操作は直観的で、引いているレバーの側のキャタピラが止まります。なので右に曲がりたい場合は右のレバーを引けば左だけが進むので曲がれるわけです。バックの場合も、右後方に進みたい場合は右を引きながら後退すれば良いというわけです。

 注意点として、あまり長くキャタピラを止めてしまうと、履帯が外れてしまう(脱輪)の可能性があります。なので大きく曲がりたいときには一定時間引く→戻す→引く、という動作を繰り返す必要があります。
 この一定時間だとか、あまり長くだとかがどれくらいなのか、という具体的な時間はぶっちゃけわからねぇのですが、少なくとも2秒くらいなら引いていられるようです。レバーは重く、何度も引いたり戻したりするのはわりと労働ですが、脱輪はまずいので嫌いな相手を罵倒しながら頑張りましょう。

 その他、走行中に注意する点としてはエンジン温度でしょうか。《始動》の項でも述べましたが、エンジン温度は80度まではグリーン、80度以上はレッドゾーンです。80度以上に温度が上がりそうだったら、前面の観音開きの扉を大きく開けたり、後部の排気口を開ける口を増やしたり、それでも温度が上がりすぎるようならエンジンを休ませましょう。


5) 駐停車
 停車の方法は簡単で、シフトレバーをニュートラルに入れるだけです。駐車はそのままエンジンキーをオフにするだけでOK。
 注意点があるとすれば、車の向きです。前にも書きましたが、南極は風が強く、障害物があると地吹雪が側面から背面にかけて雪溜まりを形成するため、風向きに正対するように駐停車しておかないと、いざ出すときに苦労することになります。

 また、雪が入ってくると良くないので、エンジン温度を下げるために開けておいた前面の観音開きの吸気口や後部の排気口を元どおりに閉めておきましょう。


6) 終了
 一定期間使わないとなったら、バッテリーが上がってしまうのを避けるために配電盤のブレーカーをすべてオフにしておきましょう。SM100Sはバッテリーと電気系統が直結なので、エンジンをオフにしても電気を使ってしまいます。


 また、さらに長いこと使わない場合は、立ち上げの際に繋げたバッテリーのマイナス端子を外し、雪が入らないように上面の換気口に毛布を被せて固定しておきましょう。これで雪上車の使用は終了です。おつかれさまでした。

2018年1月4日木曜日

南極/ブリザード


 ブリザードをご存知でしょうか?

 そう、世界的人気のRTS(*1)である『Warcraft』シリーズや名作ハクスラ(*2)の『Diablo』を生み出し、近年ではスマホのデジタルカードゲームを切り開いた『Hearthstone』などでも知られるそうそれはBlizzard Entertainmentだ。
*1) 日本でいわゆるシミュレーションだとか呼ばれるやつのリアルタイム版。
*2) ハック&スラッシュ。明確な定義はないが、ダンジョン潜ってキャラクター強化とレアアイテムを掘るのが目的のゲームはこういう分類をされる。

 気象庁の用語解説によると、
「ブリザード」はもともとは北アメリカでの激しい吹雪の呼び名ですが、南極の吹雪も同じ名で呼ばれています。
気象庁|用語解説 http://www.data.jma.go.jp/antarctic/ant_yogo.html より)

ということです。柱の男(*3)が10人くらい出て来たら名前がブリザードになったやつもいたかもしれません。
*3) サンタナってシュトロハイムが勝手に付けた名前だったはずなのに、いつのまにか正式名称になってない?

 そういうわけで南極でいえばブリザードといえば基本的には強い強風(*4)を指します。日本ではブリザードにA級、B級、C級という指標があり、A>B>Cで強いということになっています。
*4) 腹が腹痛みたいな表現。

 昨日の2018年1月3日ですが、非常に強い強風がありました。2018年1月2日20時05分に外出注意令が発令され、同月3日09時10分にはそれが禁止令に切り替わるほどでした。
 自分は「静かにしているのが好きなのか」と若干キレ気味に言われる程度にインドアなので外出禁止令が出されてもまったく困らないというか、むしろ堂々とダラダラできるのでありがたいのですが、それはともかくとしてその風について簡単に見てみたいと思います。

 まずは当時の風の概況を見てみましょう。


Antarctica_Japan JRA-NHM http://polaris.nipr.ac.jp/~nhm/antarctica_japan.html による6km解像度計算値 より)

 これは観測ではなく予報値(あらかじめ計算しておいた値)なのですが、まぁほぼ現象を捉えていると思ってください。
 線(コンター)は500hPaの高度場を示しているのですが、これはほとんど気圧と関連するようなものだと思っていただくとして、気圧の渦のようなものが近づいているのがわかります。これは低気圧で、3日は低気圧が接近しており、その影響として非常に強い風(図中、赤矢印)が発生していました。昭和基地は他国の海岸の観測基地と比べると比較的低気圧の影響を受けにくい地点なのですが、こういった低気圧に伴う強風は南極ではよくあるパターンです。

 ではそれが昭和基地にどのような影響を生み出していたかというと、既に3日の気象庁のデータは気象庁が出しているので、それを確認してみましょう。

気象庁|過去の気象データ検索 http://www.data.jma.go.jp/obd/stats/etrn/view/hourly_s1.php?prec_no=99&block_no=89532&year=2018&month=1&day=3&view= より描画)

 上の図は横軸が時間で、2018年1月2日の12時(昭和時間)がスタート、終わりが4日の00時となっています。縦軸は風速(青; m/s)視程(橙; km; *5)です。風速は1時間平均値ですが、視程は3時間ごとの目視による観測値なのでまっすぐな線が多いですが、あまり気にしないでください。
*5) どれくらいまで見えるか、という指標。

 見ての通り、時間の経過とともに風速(青線)の値は増加していき、3日の8時から18時ごろにかけては秒速30mほどの強い風となっていました。単純に一日で平均した平均風速では27.5m/s。最大風速(10分間平均風速の最大値)は34.6m/sという風でした。

 ではこの最大風速34.6m/sという風は具体的にどれくらい強い風だったのか?

気象庁|過去の気象データ検索 http://www.data.jma.go.jp/obd/stats/etrn/view/hourly_s1.php?prec_no=99&block_no=89532&view= より描画)

 上の図は1959年から2015年までの1月の最大風速が起きた数(日数)です。ただし1962-1966の一部期間は欠損しています。

 見ての通り、35m/sを超えるような風が観測された回数は1月は地平線を這うほどしか起きていません。30m/sを超える風も数えるほどで、実は2018年1月3日の強風は、1月としてはここ50年ほどで十指に入るほどの強風現象だったということがわかります。すごいや、さすがターンAのお兄さん!

 ということは、これはものすごいブリザードのはず——きっとA級……いやS級や! 味の宝石箱や!
 と思いきや、今回の強風はA級どころかC級のブリザードにも達しないかもしれません。理由は視程です。

(気象庁|過去の気象データ検索 http://www.data.jma.go.jp/obd/stats/etrn/view/hourly_s1.php?prec_no=99&block_no=89532&year=2018&month=1&day=3&view= より描画)

 もう一度この図を。橙の線で描かれているのが視程で、これは単純に「どの距離まで見えるか」という指標です。ブリザードの強い風は地表面に降り積もった雪を吹き飛ばし、地吹雪となることが多々あります。これにより、視界は悪くなり、遠くのものがなかなか見えづらくなるというわけです。

 日本では以下の表ような指標を取っており、それぞれの等級には視程・平均風速・継続時間のすべてを満たしている必要があります。


 まず青の風速とその継続時間で見てみると、3日5時ごろからA級の指標である25m/sを超えており、そこから落ちることなく3日23時ごろまで25m/s以上を維持し続けていました。つまり、「風速25m/sを6時間以上」というA級ブリザードの指標のうちのひとつは達成したことになります。
 では視程はどうでしょうか? 橙の視程を確認すると、2日の夜から落ち始め、3日未明には4km程度まで落ちてしまっていました。しかしそこからはほとんど変動せず、C級の指標である「視程1km以下を6時間以上」にさえ引っかかりませんでした。

 そういうわけで今回の強風現象はC級ですらないのです。
 しかしながら、先に述べたようにA/B/C級のブリザードの指標は日本独自のものです。たとえば英Wikipediaを見てみると、

A blizzard is a severe snowstorm characterized by strong sustained winds of at least 35 mph (56 km/h) and lasting for a prolonged period of time—typically three hours or more.
(Blizzard From Wikipedia, the free encyclopedia, 2018-01-03 18:02 UTC時点 より)

とあるので、少なくとも時速35マイル(時速56km) = 秒速15.6mの吹雪がだいたい3時間以上続けばブリザードと認識されるようです。ブリザードの結果として”low visibilities(低い視程)”がもたらされることも書かれてはいますが、特にそれらがブリザードの階級分けに使われている、ということはありませんし、そもそも階級分け自体されていません。

 ではなぜ日本は視程を使ってブリザードを分類しているのか?
 その回答に関して、もともとこのA/B/C級ブリザードの分類がいつできたのかは知りませんが、「なぜ使い続けているのか」ということについてはある程度推測することができます。

 日本南極地域観測隊では、過去58回の観測行動のうち、唯一観測隊員から死亡者が出た事故がありました。第4次の福島紳隊員です。

 1960年10月10日、A級ブリザードの中で犬に餌を与えた後で彼は行方不明になりました。彼の遺体は8年後の1968年、昭和基地から4km南西で発見されたそうです。現在、彼が消息を絶ったと考えられている場所には福島ケルンという記念碑があります。

 視程という要素は直接的に気象場を表すものではなく、地表面状態や環境、時間によって異なる値を示す複雑な要素です。そのため、基本的には気象の数値計算などに使われる要素ではありません。
 しかしながら人間が南極で実際に活動しようとした場合は非常に重要となってくる要素です。先日S17という氷床上の観測地点に行った折には視程は30m程度でしたが、こうなると一度方向を見失ったらアウトで、雪上車から小屋への移動も困難な状況でした。下の画像はS17で30m/sを超える風が吹いていたときの雪上車からの写真。ギリギリ隣の橇と雪上車は見えていますが、足元はもうだいぶ怪しいです。さらに奥にある小屋は見えていませんでした。


 このように実際に人間が活動する上で必要な要素を鑑み、それを以って外出注意や禁止令を出すために、未だにこうした視程を条件のひとつに入れたブリザードの指標を使っているのでしょう。二度と同じような犠牲者を出さないために。

 ちなみに単純な風の強さを評価する場合、よく使われる指標だとBeaufortスケールというものもあります。こちらは風速だけでその強さを分けています。 

2017年11月21日火曜日

南極/南極の気温


 南極は地球上で最も寒い場所といわれています。



 上の図は山田がNHMという名前の計算モデル(*1)を用いてやっている予報計算(*2)です。別にこの図から何か言いたいとかではないのですが、ざっと南極の形状がわかるので掲載しました。図中、黒太線で表示されているのが南極大陸の外縁で、赤、青、緑の丸がありますが、これらはそれぞれS17H128ドームふじという日本の観測地点の場所を表しています。実はこの図には黒丸もあるのですが、赤丸とほとんど重なっていて見えません。(赤丸と被っている)黒丸の地点にあるのが南極観測隊の主要拠点である昭和基地です。
*1) 計算手法、プログラム。
*2) 天気予報のようなもの。実際の天気予報は、こういった計算を何パターンもやったり、何度も計算をし直したりしてから最終的な結果を出しているが、これは単純に一回のみの計算結果。

 この画像は→南極の気象予測のページにて掲載しているものです。現状このページはパスワードをかけずに、誰でも南極の気象予報の結果が見られるようになっています。
 余談ですが日本では気象業務法というものがあり、その中で第三章第十七条『予報業務の許可』については以下の通りになっています。

第一項 気象庁以外の者が気象、地象、津波、高潮、波浪又は洪水の予報の業務(以下「予報業務」という。)を行おうとする場合は、気象庁長官の許可を受けなければならない。

 これを破るとどうなるかというと、第七章第四十六条によれば、

第四十六条 次の各号の一に該当する者は、五十万円以下の罰金に処する。
二 第十七条第一項の規定に違反して許可を受けないで予報業務を行つた者

となっています。

 つ、つまりこのページは違法……!? ついに両手に縄が!(*3
*3) 濡れ手で粟のほうが嬉しいのに。

 と思いきや、気象業務法は国内法。これで縛れるのはあくまで国内の予報に関する話。南極は日本どころか、どこの国でもありません。ゆえに、予報し放題。合法予報最高!*4
*4) なんで合法とつけるとこんなに脱法っぽさが出るのだろう。

 閑話休題。

 さて、→南極の気象予測のページの右下あたりに棒グラフと線グラフがありました。半日に一回更新されるこの結果が現在どうなっているのかというと、11月16日の時点ではこんなかんじ。


 これはあくまでモデル計算(すなわち観測ではなく計算)ですが、わりと観測結果と合っているものと思っていただいて良いと思います。

 上図では気温と降水量、下図は風速と風向を示します。各色は昭和基地/S17/H128/ドームふじを表し、各地点は左上や右上の図の丸が対応します。地図を見てわかるとおり、ドームふじのみ内陸(海岸ではなくもっと内側)にあるためより寒く、軸の値が違うことに注意してください。

 掲載した図の計算開始時刻は世界標準時(イギリスのグリニッジを中心とした時刻)で6時、昭和はUTC+03なので9時です(ちなみに日本はUTC+09なので15時)。横軸が予報開始からの時間を表します。

 グラフから値を読み取ると、黒い線で現されている昭和基地の地上気温は左の軸の内側(coast)が対応し、この期間はだいたい0〜-5℃くらいで変化しています。

 気象庁の過去のデータから日本のデータと比較してみましょう(ちなみに気象庁の過去データからは南極昭和基地のデータも習得できます)。
→気象庁 過去のデータ・東京20171年11月日毎の値

 東京の11月16日の気温は平均でだいたい10℃くらい。つまり南極は東京と比較すると10-15℃くらい寒い。
 これを聞いて、うわぁ! しゅごいい! この南極寒い! さすがターンAのお兄さん! と思う人はなかなかいないと思います。ちなみに札幌は同日平均1.9℃です。北海道とたいして変わらねぇのかよ南極。大したことねぇなぁ。おれならワンパンだぜ……と思ってしまう方もいるかと思います。

 現在11月の気温を見たときに、南極の昭和基地の気温が日本とそれほど変わらない理由は、大きくふたつあります。
 まずひとつは季節の逆転です。


 上の図はBaseline Surface Radiation Network (BSRN)という観測ネットワークの地点である舘野札幌昭和基地の2014年の月ごとの平均気温です。舘野という場所は一般にはあまり聞き覚えのない場所かと思いますが、茨城県つくば市の地名で、高層気象台があるため日本の気象観測では重要地点です。まぁおおよそ関東の気温を表していると思ってください。

 見ての通り、南半球にある昭和基地と北半球の札幌や舘野の気温の傾向はまったくの逆です。南極での11月はこちらでいうと5月相当。温かいのも当然で、南極はこれからどんどんと冬に向かっていくのです。上図では1月や2月は札幌のほうが寒いときがありますが、3月以降は大きく引き離されていくことがわかります。

 昭和基地があまり寒くないもうひとつの理由は、昭和基地が海岸(というより島)にあるということ。

 北半球の地表での観測で最も低い温度を観測したのはロシアのオイミャコンで約-71℃といわれています。このオイミャコンという場所、実は緯度は約63度と、北は北ですが、90度北極点に比べると大して北にはありません。それなのになぜ北極圏に比べて気温が低いのかというと、オイミャコンは十分内陸にあるからです。


 水というものは比熱(温度が変化しにくい能力)が非常に高く、簡単に温度が上がったり下がったりしにくい物質であるといえます。そのため、水の溜まった海に近い地点では、冬になっても気温がなかなか下がらないのです。 

 オイミャコンは海から遠く離れた内陸にあるため、気温の変化は大きく、冬は簡単に気温が下がります。一方で昭和基地は海岸にある基地であるため、温かい海の影響を受けやすくなっているというわけです。

 内陸へ登っていってドームふじの気温を見てみると-40℃前後となっており、「これぞ南極」と言いたくなるような寒さになっていることがわかるかと思います(*5)。
*5) 南極はその地形から内陸の高度が高くなっており、これも内陸の寒さの一因です。

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Maira Gall