2020年7月13日月曜日

書籍化記録:2020年4-5月_ねこだまり


 編集から後半の章含めて全章が戻ってくる。相変わらず長かったので文章を削られる。
 チェックしようとしたところ、最初に『█████』(検閲済み)というタイトルが付けられているのが目に入る。

 む。

 好みではないタイトル。
 うーむ、いかん。いやいかん。
 自分も最初タイトルを『凍てつき村の心臓歌』にしていて、本文とか写真について「良いですね! 素晴らしいですね!」と全肯定・低姿勢で殴ってくる編集が何も言わなかったので「あ、まずいんだな」と思って打ち消したが、これよりは良いと思う。

 とりあえず返信。
1点だけ、いまのうちに聞いておきたいことがあります。
0-1章ファイルでタイトルが載っていたのですが、『█████』だと売れる・売れないはわからないのですが、個人的には現代的であまり好きではないです。
自分も原稿書いている間にタイトルあまり考えていなかったのですが、『南極の火』か『南極への火』あたりだと最後の終章でオチて良いのではないかな、と思うのですが、どうでしょうか? 地味すぎてダメ、キャッチーではないなどあるでしょうか?
(黒塗り部分、削除済み)

 これに対する編集からの返信をまとめると、

  • 社内で企画を取り扱うのに呼称が必要なので仮タイトルをつけた
  • 名付けたのは編集長
  • 最後まで協議していきたい


 編集長か! こうなったら光文社ごとぶっ潰すしかねぇ! くそう、やったらぁ! 

 とりあえず仮案で、
南極の火
南極で心臓の音は聞こえるか
生還の保証なし 59次南極地域探検隊
とタイトル案を出して裏で価格に関する話し合いも進める。
 
 この時点で原稿が約370ページ。いくつかの写真についてはカラーになるため、価格帯は1000円を超えるくらいになりそう、という連絡。

了解です。
税抜きで1000円くらいだとちょうど良いな、と思っていましたが、高くなると少し不安がありますね。出版のことはよくわかりませんが。
「Xページ削ればXX円価格を安くできる」「カラー予定の写真X枚に収めればXX円程度にできる」などの情報で、もし有用そうなものがありましたらお知らせください。

 個人的な論だが、同じ商品でも価格は高いほうが満足度は高い
 なんだっけ、下條信輔の本で読んだような、いわゆる通過儀礼効果みたいなもんで、要は費やした金や時間を正当化するため、高い金額を出したほうが人間は自分自身満足させるものなのだ。

 が、今回は満足度なんぞ知ったこっちゃねぇ。お手軽価格が大好きで、1000円がわかりやすくて良いのだ。税込1080円だと煩悩感があってちょうど良い、などと思ったらそういえば昨今消費税が10%になっていたのだったか。日頃まともな金銭感覚がないので忘れがちである。



 そろそろ完成が近づいてきたあたりで、本に掲載する写真の許可取りを開始するために写真の整理をしていると、「あれ、これって描写して大丈夫なんだろうか」という部分がいくつも出てくる。アレとかアレとかさぁ。
 確認してみると出さんほうが良いのかなー、というのがけっこうある。黒の組織南極観測隊(隊員にそれぞれペンギン種類でコードネームが割り当てられている)。

 出してまずそうなのは出さなくて良いのだが、問題は出して良い情報と出してはいけない情報の区別がつかない。
 こういうときに役立つのが観測隊報告。極地研の学術情報リポジトリには インデックスリスト:日本南極地域報告 でまとまっている。

https://nipr.repo.nii.ac.jp/index.php?action=pages_view_main&active_action=repository_view_main_item_snippet&index_id=1268&pn=1&count=20&order=16&lang=japanese&page_id=13&block_id=104

59次隊なら
[第59次(2017-19)]
-> [第59次日本南極地域観測隊報告]
で見られる。これは公開情報なので、ここに載っているような内容(たとえばビールを5回、どぶろくを2回仕込んだ、とか)は出しても問題ないわけである。もし問題があっても、責任転嫁ができる。



 4月後半、急に月末まで在宅勤務に。
 SNSだと「在宅勤務だと猫が仕事させてくれなぁい❤️ 困るぅ🐓=3🐖=3🐂=3🚗=3」というような発言が散見されるが、うちでは昼飯に起きてくる以外は昼間はたいてい寝ているので何もない。
 というか我が家の猫、保健所でもらってきた方なのだがなんかやけに落ち着いているというか、猫って朝起こしてくるとかそういう話をよく聞くけれど、朝は枕元で座って監視しているだけで特に起こしにはこない。猫のくせに狭いところ入らないし、なんなんだこいつ。もしかして猫じゃない?

 在宅勤務。
 多くの人は研究者がどういうことをやっているのか知らないだろうが、実は研究している。分野によって何をやっているかは違うだろうが、自分は特にパソコンの前に座っていることが多いタイプで、実際修士以降は他人が観測したデータをネット経由でダウンロード→解析というのが9割9分である。気象系は多くのデータが無料で公開されていて、たとえば気象庁の地上観測データなんか日本語であるから簡単に取れるけど、衛星データなんかも簡単に取得できるので解析する力があれば特に(PC以外の)機材はなくても研究ができてしまう。安楽椅子研究者なのだ(こういう話も本には書かれている)(これ宣伝です)(買ってね)(コーナーで差をつけろ)。

 だから在宅勤務でも特に大きな変化はない……と言いたいのだが現在の職場がお役所のお膝元の研究所なのでネットワーク関係が厳しく、外からサーバーに接続できない。PCがあれば良いとはいえ、気象計算をするとなると高い計算能力や大規模な容量を必要とするので、普通のPCだと具合が悪いのだ。
 幸いというか不幸なことに先日出した論文が不受理(リジェクト)で戻ってきたので直すのをメインで行うとわりと時間が経つ。




 編集から、イラストレーターのイラスト案がいくつか送られてくる。ペンギンのイラストでいくつか案があったが、個人的には過剰にデフォルメしすぎない、図鑑レベルから一〜二段階柔らかくしたくらいが良い。漫画でいうと、『ぽんぽこたぬきのティーポット』とか『ねこだまり』とか。いや『ねこだまり』はそうでもないか。でもあれは鳴き声がリアルで好き。
(郷本, 『ねこだまり』1巻, ラバココミックス, p124より)




『ぽんぽこたぬきのティーポット』はクローディアス回がめっちゃ好きなのですが、それを除くとエジプトのミイラの話とかが好き。「ミイラから遺体を復元して3D画像で当時の人間の画像を再現する」というテレビの話に対して、「それってほとんど復活に成功しているのでは?」と言う話。


(森長あやみ, 『ぶんぶくたぬきのティーパーティー』2巻, LAZA COMICS, p100より)

「た、たし蟹!」と思ってしまった。これ元ネタとかあるのかな。



 ドームふじの写真について細々と編集とやりとり。

 日本の基地の中ではもっとも南極点に近い(大陸中心側にある)ドームふじ基地は映画『南極料理人』の舞台で、当時は越冬していたわけですが現在は雪に埋もれていて人はいない。
 書籍の中だと昭和基地のほかにS17、袋浦、みずほ基地、中継拠点、ドームふじといろいろな場所に行っているが、このうちみずほ、中継拠点、ドームふじは内陸と分類される地点で、最も近いみずほ基地ですら片道1週間程度は要する。そんな場所だからそこまで行く人間は少なく、たとえば59次越冬隊の中だと、58次合同のドーム旅行、59次越冬の中継拠点旅行、60次合同のドーム旅行に行った隊員だけで、10人程度。昭和基地〜沿岸くらいで一生を終える隊員は少なくない。

 一度行ってしまえばどういう場所なのか、というのは容易に思い描ける(雪だけだから)ような場所なのだが、実際に行ったことのない人にとっては想像しにくい場所ではあると思う。
 ザ・雪なので、写真もうまい具合に選出しないと何がなんだかわからない。今回のやりとりでたぶんきっとできればわかりやすい写真が掲載できたはずだと思いたい。




 顔が認識できる程度に隊員が写っている写真に関して、掲載許可を取っていく。
 以下、さまざまな隊員からのさまざまな反応。

  • 「ご自由にどうぞ」
  • 「ほかに何か必要なものがあったらご連絡ください」
  • 「本楽しみ」
  • 「変顔なのが不本意」
  • 「論文書いてます?」
  • 「タイトルは『四ツ玉ショット』にしろ」
  • 「印税の何%還元されるのか」

ウォォォォオオ!



 発行部数が8000部で決まる。8000冊限定! うぉおおお! ナウオンセール!(まだ)

 8000部、47都道府県のうち岩手は0で残り46と仮定。あとAmazonとかのWEB書店や図書館が+4ぶん取るとして50。
 とすると1都道府県あたり平均で160冊。1つの都道府県の書店数がどれくらいかわからないが、小さいのも含めると少なくとも100はあるだろうと考えると1店舗あたり1.6冊
 つまり店舗に置かれている1-2冊を買い占めれば書店から小売に注文がかかる……? 騙すか、出版社。かけるぞ、増版。



 細かく図版を調整。
 ついでに初稿も送られてきたりなんかして、一週間で直せとのお知らせ。うっひょー楽勝じゃい、と思ったのだけれど文章直すのってクソ面倒でございますのだよね。

 論文でもそうなのだが、とりあえず後ろを振り返らずに書くのはクソ楽でございますですよなのだけれど、それを細かく直していくのが七面倒くさい。特に今回は書いてからけっこう間が空いているので、どういう流れなのかはちゃんと読まないのかわからない。

 初稿については説明していなかったが、どの本でも同じかどうかはわからないが、今回の出版までには、

  1. 原稿完成(内容が完結)
  2. 初稿確認(一次確認)
  3. 再稿確認(二次・最終確認)
  4. 書籍完成

という流れになるようである。

 初稿は郵送されてきて修正箇所を赤ペンで入れていく。今時紙か。
 紙は確認には良いのだが、赤入れるのにはちょっと不便(字が汚いため)。なのでついでにPDFも送ってもらう。





「そういや参考文献入れたいんだけど」ということを今更ながらに言うと、現在ページ数が320pで、コスト的にちょうど良いサイズと言われる。
 でも他人の都合聞かないマンなのでゴリ押す。

 参考文献って論文書くときには間違いなく必需で、

  1. 前提条件をいちいち書く必要がなくなる
  2. 知ってますよアピールができる

の2つの機能がある。

 1に関しては、たとえばお話だと世俗から隔絶された天才が独自の理論で超技術を作り出したりするのだが、実際はそういうことはありえない。なぜなら前提となる基礎知識がなくては何がわからなくて何がわかるのか、どういう計算が使えるのか、何が駄目で何ならできそうなのか、ということができないからである。特に観測的なデータについては4、5000年にわたる蓄積があってこそのデータなので、ひとりの人間がどれだけ賢くても歴史には及ばない。アインシュタインだって特許庁で働いていたから最先端の科学技術や物理法則、数式を知ることができたのだ。論文検索サイトGoogle Scholarでは『巨人の肩に立つ』というニュートンも引用していた文言が掲げられている。
 新たな知見を生み出すための前提条件について、それらを改めていちいち書き出さずとも済ませてくれるのが引用である。

 2の要素もでかい。
 基本的に論文というのは何かしら新しいことを書くものなので、これまでの常識とは必ずしも合致しないケースもある。これは完全に目新しい、たとえば地球は実は平たいだとかそういう話ではなくてもありうる。
 引用がないと、新しい話やデータが出てきた場合に、「こいつはこの業界のことをわかってない・適切な計算をしていない・適切な手法で解析を行なっていないからこんな結果になっちゃったんじゃないか」と思われかねない。が、適切な論文を引用できていると、「いやちょっとだけ教科書的な認識とは違っているかもしれないけどね?」と念頭に押して新たな知見を表に出せるのである。

 今回は、特に新しい結果を出すわけではない。そもそも研究論文ではないわけで、単純に引っ張ってきた知識を引用すれば良いだけである(一般的にはこういうやり方のほうがスタンダードな引用だろう)。とはいえ論文で書くように調べながら書いているならともかく、聞き齧りの知識だとどういう文献から引用するべきかが不明なことがあったりする。たとえば往復のしらせでは「南極大学」という講座があって、そこで得た知識を書く場合だと適当な引用が思いつかない。普通の大学の授業で得た知識とかもわりとこの傾向がある。

 どうせ使えるページもほとんどないようなので、最低限で適切な引用ができるやつだけにするか……ということで引用は4章の背景知識部分に集約させた。が、蓋を開けてみるとけっこう引用ページ余ったので、これはもうちょい付け足したほうが箔がついたかもしれない。まぁいいか。




 初校返送。

初稿見直し終わりました。すみません、紙になって読みやすくなったのと、外に出して問題ない&都合が悪い部分が明確に確認できたため、けっこう修正を入れています。
今回かなり直したので、たぶん再校のときは大丈夫なはずです。

 と返信メールで書く……が、この時点ではまだかなり見落としがあることがわかっていなかったのであった。






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Maira Gall