2020年7月16日木曜日

書籍化記録:2020年6月_すべてがFになる


 タイトル攻防戦が続く。

 最近はAV(オーディオ・ヴィジュアルではないほう)もタイトルがなろう小説みたいに全部解説しているらしいとどこかで聞いた。たぶん『失踪した彼女が改造された挙句ドリスコルのヴァンツァーの強化パーツになっていた件〜格97近98遠99回避99〜』みたいなのだろうか。

 新たに編集から、「█████[注:削除済み]」というタイトルを挙げられたのだが……うーむ、ここで退いたらいかんな、ということで厭だという理由をその場で3つ捏ねくりあげる。

『█████』というタイトルがあまり良くないと思う理由は3つあり、ひとつは「南極観測隊が特殊(異常)である」という事実はある程度既出、もしくは予想できる話だと思うのです。
 もちろん観測隊なんて知らない、何をやっているのかわからない、そもそも南極がどこにあるのか知らないという人が大多数だと思いますが、知らないとしても観測隊が特殊ではないと思う人はいないと思います。というのも、「どっか知らんところに行ってなんかやってくる人たち」だからで、たとえば石油掘削行者や蟹工船も特殊なわけです。
 そこに微に入り細に入り見ていくと面白いことはあるのだと思いますが、異常ですよ、と宣伝しても特にタイトルで驚きはないのではないかな、と思います。
 WEBで調べれば無料でいくらでも情報が手に入る時代、日常生活、基地、仕事、行事、たとえば海氷上のそうめんなんかも極地研のHPで出していたりするわけで、単に特殊性を求めるだけならそこで完結してしまうわけですし。
(旧タイトルは削除)

 二つ目の理由としては、理数的な要素が少しでもあるということを匂わせるには軽すぎると思うからです。
 今回、添削過程でだいぶん削ることになりましたが、観測項目や観測隊の活動のほか温暖化やオゾン層などにも平易な内容で簡単に言及しました。その結果として広く受け入れられるものになっている(いてほしい)と思っています。
 しかし『█████』というタイトルは楽しさ全振りでそうした要素を匂わせることができるかというと、難しいのではないかと思います。たとえばスーツを着た50代のくたびれた役職付きのハゲの中年が電車内で読むのに選ぶか、というと難しいのではないでしょうか。
 じゃあほかのタイトルなら中年を狙えるか、というとたぶん狙えないんですね。狙って当てるような層ではないですし。
 ただ『█████』だと楽しすぎる、楽しい要素を求めている人しか取られないとは思っていて、そのためには情報がないほうが良いのではないかと思います。
 現在の序章に合わない、という問題もあります。本屋でタイトルから楽しい南極観測隊を期待してからの序章〜1章だと拍子抜けしてしまいそうです(たとえば序章が海氷そうめんや極寒の和タリアンから始まっていれば別ですが)。
 いちばん何があるか伝わってこないのが『南極で心臓の音は聞こえるか』で、南極以外の情報がゼロなんですね。タイトル見て南極で心臓の音が聞こえるかどうか検証する本だと思う人はいないでしょうし。ただ「なんかよくわかんねぇタイトル」だと思ってもらうことは最低限できると思いますし、楽しいか楽しくないかはともかく、予想がつかない状態で「なんだろう」と思って気にしてもらえれば、手にとってもらえる率が上がるのではないかなと思います。とりあえず手にとってもらわなければ何にもなりませんし。
 また、これが正しい考えなのかどうかわかりませんが、個人的にはタイトルと内容の親和性についてはあまり気にする必要がないのではないか? と思います。タイトルに文句がつけばそれは中身が良かったということですし、そもそも結末に言及したレビューがつく時点で買われて最後まで読まれたということなので(何も文句が付かないほうがまずい)。
(旧タイトルは削除)


 3つ目の理由としては単純に萌えないというか、心中できないというか、あまり好ましくないな、と感じた個人的な我が儘です。

 なにを言っているんだおまえは。

 しかしながら重要なのは最後の3つ目である。
 今回、一般向けに書籍を書いたわけだが、(たぶん)研究者の実績としてこの行為はなんらプラスにならない。基本的に研究者の評価は論文が絶対的で、とにかく論文をたくさん、評価が良いところに掲載されるのが望ましい。
 今回の書籍はあぁ仕事したくねぇだ、金が欲しいだ、お代官さま年貢は待ってけろ、といったことばかり書いているので、研究者としてはむしろマイナスだろう。こんなやつ雇いたくない。

 それでも書籍を書いている間は真面目に(ここでいう「真面目に」とは、四面四角に、という意味ではなく、面白くなるように、という意味である)書いた。

 学生時代にバイトしていたときに客が『LaLa』(少女漫画雑誌)を置いていって、なんでだっけ、処分してくれとかそんなんなんだろうか、客じゃなくて他のバイト店員かも、うーむ、細かいことが、年齢が、重みが、記憶を、消し飛ばして、いく。

 いやまぁそれはさておき、その『LaLa』に『本屋の森のあかり』が載っていた。
『本屋の森』は書店の話なのだが、当時掲載されていたのは夏目漱石の『夢十夜』の回。杜三さん(主人公が想い人の眼鏡)のお父さんが来たけど、杜三さんが仕事で抜けられないの代わりに主人公が東京名所や夏目漱石ゆかりの地を案内するという話だった(『LaLa』巻頭の新連載が飲尿の漫画だった号です)。

 わたくし個人的な法則で『2巻の法則』というのがあって、「漫画は2巻で急に面白くなるのがあるから1巻だけだと判断できない」(逆にいえば、2巻で急につまらなくなったり、あるいは1-2巻続けてつまらないとダメ)というもの。
 わりと『本屋の森のあかり』はそれにあてはまって、1巻は、こう、なんていうか、あの〜こう、女性をターゲットにした話というか。SIMPLE2000シリーズThe偏見だなこれ。
 当時『LaLa』に掲載されていた『本屋の森のあかり』が1巻の回だったらたぶん単行本買わなかっただろうなぁ、という話。

 いや、そうじゃなくて、ええと、何が言いたかったんだったか。こういう話、書いているうちに熱がこもってきて何が言いたいのかよくわからなくなるがいまがその状態です。
 そう、(たぶん)書籍のタイトルである。

 中学生のときだったか、書店に『すべてがFになる』のゲーム版のポスターが貼ってあって「なんじゃこりゃ」と思った。彼岸みたいなところで四季が腰掛けて手を差し出しているようなポスターだったような気がする。
 原作ありと知って読みたくなって講談社文庫のコーナーに向かったわけですが、わりと敷居が高いのだよなああいうところ。

 小学生までは素直に児童書コーナーの本読んでて、特に借りていたのが海外の推理小説で『モルグ街の殺人』や『ドラゴンプールの怪事件』とか、日本のだと『魔人ゴング』『夜光人間』とか。しかし内容ほとんど記憶になくて、『夜光人間』の裏表紙のにょきっと突き出ている夜光人間がめちゃくちゃ怖いこととか、小林少年がめっちゃ積極的に女装してよくわからん球に閉じ込められて川に流されていたりしたことくらいしか覚えていない。
 児童書って文字を大きくするためかめちゃくちゃでかいのですが、文庫の小さいこと小さいこと。
 考えてみれば当時『ゴクドーくん漫遊記』とかの角川スニーカー文庫で文庫そのものは読んだことあったはずなのですが、『すべてがFになる』は小さいし厚いし文字が小さいしルビがほとんどないし挿絵もないし(当時はまだこのサイズで「めちゃくちゃ分厚い」という感覚だった)で新鮮であった。新鮮で、こういった小さな本は素敵であった。

『本屋の森のあかり』に話が戻るが、4巻に『不思議の国のアリス』の話があって、これは夏休みに児童書コーナーで話の内容をネタバレしていく小学生の話。



(磯谷友紀, 『本屋の森のあかり』4巻, Kissコミックス, p26 より)

 いろいろあって、児童書コーナーしか行かなかった小学生が一般向け書籍に入るのだが、そこでの本はやはり今まで手にとってきた本とは違う——と思わせておいてわりとそうでもない。大人向けの本のほうが絵や図が大きかったり、平易だったりもする。

 しかしそれでも、子どもは手に取らないものなのだ。そこで一段障壁があるからだ。大人のものは大人のものだからだ。
 子どもが一般書のコーナーに行くときに限らず、新しい本を手に取るには(もともと本が好きというのでない限り)何か足掛かりが要る。何かひとつ、乗り越えるための何かが必要で、それがタイトルなり表紙なり、本文とは別の要素なのだ。

 今回の書籍はべつだん子どもがターゲットなのではないが、とにかく手にとって欲しいということで齧り付いてどうにか自分が良いと思うタイトルをなんとか刻むことができた。実際良いかどうかはまた別問題ではあるのだが、とにかく納得できるものにはなった。
 ちなみに『すべてがFになる』のゲーム版は当時すぐには買わず、数年経ってからふと見つけて購入した。打越鋼太朗のパートで急に熱血になっていた。



「帯はこれで良いか」という旨のメールが届く。

 本の帯とかCDの、あのーなんだ、あの、あれよ、ほら、背表紙的なところについている、あのほら、あれ……あれよ、わかる? え? CDは買わない? あっ、はい、いや、そう……というアレなのですが、あの手のやつは中に入れておくというのが一般的だと思う。CDならライナーノーツとか歌詞カードに重ねて(サイズが微妙に大きすぎるときは折れるのを見ないフリ)、本だと帯代わりに使う。

 本に限らないのかもしれないが、自分の所有物を出来る限り最初の状態のまま綺麗にしておきたい、という人は多いと思う(姉がそうである)。
 自分はどっちかというと汚いほうが好きまであるので、水と油。本は南極に行く前に大部分処分してしまったが、たとえば『戦闘妖精・雪風』シリーズだとこんなレベル。形が留められなくなったのでテープで止めている。極端に汚染されていない限りは読めればなんでもいい。



 ちなみに自分の場合、バイクでもそうで、最初に乗ったボルティST1も今乗っているCB223Sも前の持ち主の色が濃く、ボルティだとエンジンガードの棒が突き出ていて、CB223に至ってはシールドが付いていたり、グリップヒーターが付いていたりする(ちなみにグリップヒーターはアクセル回したときに戻りにくくなったので外しました)。

 帯の文言を見ると、『宇宙よりも遠い場所(よりもい)』の予想の影響がでかいのだろうなぁ、と感じられる。あれがバズったというより、正確にはあれにリンクつけてツイートしてくれた人がバズったような気がするが。
 出版社側でそういう認識だとすると、あのリンクツイートをしてくれた人のおかげで出版社に目をつけられたわけで、そう考えるとありがたいものよ。印税は流しません。



 編集側の確認で、大量の赤が入る。誤字脱字ほか、文章的・構造的におかしいところもあったり。

 前回、初稿を送るときに、

今回かなり直したので、たぶん再校のときは大丈夫なはずです。

 などと言っておきながらうひょー恥ずかしー!

 基本的に調子に乗りやすいというか、勢いで行動しやすい性分で、自分自身でもそれがわかっているから日頃はできるだけ感情を動かさないようにしているわけで。自分の中では比較的真面目に見たと思ったから「大丈夫!✌️^q^✌️」とか書いちゃったけど気をつけよう。




 今のところ定価が1200円くらいになってしまうという連絡。

 1200円。
 1GV = 1960円なので、0.61GV。

 うーむ、高いよなぁ、と思いながら近くにあった山内恭 著『南極・北極の気象と気候』をひっくり返してみたら1800円でした。あ、あれ、意外とこんなもの? いやでもこれ新書じゃないのか? 新書サイズだけど。
 わたくしあんまり値段見てもの買うタイプじゃないので、たまに物の値段見るとビビります。結局人間界で生きるのに向いてないのだよな。比較的物欲(というか所有欲)が薄いから助かっている部分はある。

 それはともかく、1200円はいかにも高い。
 前の記事でも書いたとおり、「高くても1000円くらいにしたい」と編集とは話していたので、もうちょっと頑張ってもらう。

 ちなみに安く仕上げたいというのはべつに「みなさまの負担にならずにお手元に届けば……」とかおクソみたいなこと考えているわけではなく、売れてほしいからです。
 理想的には税抜き980円なのだよな。でレジに持っていって1078円……あれ高い、あそうか税抜きかこの値段、くそ、騙された、でももうレジまで持ってきちゃったし、と思っていただきたかった。







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Maira Gall