2017年12月31日日曜日

その他/宇宙よりも遠い場所


 昨日12/30までS16という氷床上の拠点に観測で出向いていました。


 その間にも砕氷船「しらせ」は進んでおり、昭和基地のすぐ近くに接岸しました。おかげでインターネットが開通したわけですが、まだだいぶ回線が細いです。なので「しらせ」乗船中にメール投稿をしていた記事の改稿は1月中頃に持ち越したいと思います。ちなみに乗船中に投稿していた記事は以下の4つ。

→観測隊/オーストラリアでの行事(http://jare59.blogspot.jp/2017/12/blog-post.html)
→観測隊/砕氷船しらせ(http://jare59.blogspot.jp/2017/12/blog-post_8.html)
→観測隊/日本南極地域観測隊の歴史(http://jare59.blogspot.jp/2017/12/blog-post_11.html)
→南極/環境保護条約(http://jare59.blogspot.jp/2017/12/blog-post_20.html)

 さて、本題。インターネットが開通したのでメールを確認していたら、『宇宙よりも遠い場所』という南極を扱ったアニメの宣伝メールが来ていました。

 現状、インターネット接続が非常に重く、そもそもあんまり使うなと言われているので公式サイトまでは確認できないのですが、ググった限りではとりあえず略称は『よりもい』で放送時間としては、


  • AT-X:  1月2日 毎週火曜 夜8時30分~
  • TOKYO MX:1月2日 毎週火曜 夜11時00分~
  • BS11:  1月2日 毎週火曜 夜11時30分~
  • MBS:   1月9日 毎週火曜 深夜3時00分~


となっているそうです。テレビ日頃見ないのでこの略称がようわからん。

 内容に関してですが、砕氷船「しらせ」の公室サロンにポスターが貼ってあって、「なるほど女子高生4人が南極に行くのだな」ということは理解できるのですが、具体的な内容までは予想できません(*1)。
*1) いやまぁ、一般受け狙うのならたぶん「ペンギン」と「オーロラ」が中心になるんだろうけど。

 そもそもゲームに関しては重度のオタク(*2)なのですが、アニメってほとんど見ないのですよね。ここ十五年で『ラーゼフォン』、『Gガンダム』、『タイガー&バニー』(1期)、『グレンラガン』(劇場版)、『君の名は』くらいしか見ていない(*3)。なので昨今のアニメの自然な流れというものが予想できない。
*2) 『汝は人狼なりやいなや』のクローンを未明までぶっ続けでやって独語の授業中に鼻血を出したり、5年くらい前に終わった海外デジタルカードゲームのストーリーの翻訳を延々やっていたり、PCゲームのリプレイをだらだらやっていたりする。
*3) なので『君の名は』を見ても、「いや、Remember11プレイ済みだし……」という感想しか出なかった。

とはいえ、初めての南極でわずかな期間とはいえ、氷床斜面上の観測拠点でその一端を体験したわけです。それならば、きっと『よりもい』の展開も予想できるはず。

 というわけで放送が始まってしまうまえに、『よりもい』の展開やありそうな要素について予想していきたいと思います。


[1] 主人公たちは南極に強い関心や憧れを持っている
 これはまぁ当然でしょう。研究者であればそうとは限らないかもしれませんが、そうではないなら南極という一種の閉鎖空間へわざわざやってくるのですから、何かしらの理由があるはずです。たいして給料が良いわけではない(というか会社から出向してくる人の場合、普通は下がるらしい)のですから、その理由は精神的・心理的なものであるに違いありません。


 つまり単純に「行きたいから」という願望を持っているはずなわけですが、「なぜそんな願望を持っているのか」という描写はどうするべきか。わかりやすいところでは、親類縁者に南極経験者や寒冷地に関係した人間がいて話を聞いて憧れを持つようになった、なんていうのが良さそうです。


[2] 高校は中退している
 なんかいきなり怪しくなったぞ。大前提を覆すようですが、女子高生が女子高生の身分のままで南極観測隊に参加することは難しいでしょう。万が一参加できても同行者(隊員ではない)のはずで、現行のシステムがどうなっているのか詳しいところはよくわかりませんが、参加は夏期間に限定されてしまう可能性が高いです。しかし夏では明るすぎて、推しの要素であろうオーロラ回をねじ込めない。

 となると、高校を中退させて越冬隊員として参加させるのが適当な気がします。中退してしまったら「女子高生」ではありませんが、まぁ元女子高生ということでひとつ妥協してもらうしか。


[3] 登場人物にアイヌの末裔とロシア人がいる
 南極は当たり前ですが寒いです。ゆえに重装備——かというと実はそこまででもありません。しっかりとした南極用の服を着ている前提ですが、日差しのある夏の期間であれば暖かさを感じるほど。特に労役……じゃなかった労働をしているときは身体も温まってくるので、上着を脱いで普段着のような格好で動くこともあります。

 もちろん風が強い日は、冷たい空気が体温を奪うとともに吹き付ける雪粒が身体を冷やしていくため、十分な装備が必要です。とはいえ常に風が強い日ばかりではありません。雨の日があれば晴れの日もあり、夜があれば昼もあるのです。

 であるからして、物語全体を通しての脅威は日差しであるはずです。夏季は常に中空で輝く太陽は、直接照りつける陽のみならず60-99%という高い反射率を持つ雪氷面で跳ね返されて、上下からその影響を与えてきます。可視光は雲である程度遮られることもありますが、特に肌や目に影響の大きい紫外線はあまり防がれません。そういうわけで、南極では日焼け止めクリーム・リップを塗ったうえでサングラス+目出し帽(もしくは帽子とネックウォーマー)といった格好が普通です。実際、自分が観測拠点にいるときはそのような格好をしていました(下の写真のような。下の写真は自分ではないですが)。


 しかしながら、これではキャラごとの区別がつかない。みんな銀行強盗のような格好をすることになります。ひとりが目出し帽、ひとりが帽子+ネックウォーマーとしても、あとのバリエーションはどうするか。ここは民族的な格好に頼るとしましょう。

 というわけで、4人の主要人物のうち、寒冷地に適した民族衣装のあるアイヌとロシア人がいてそれらしい格好をしていると予想します。


[4] 全員屈強なマッチョだ
 当たり前ですが、南極は雪との戦いでもあります。

 今回自分が行って来た場所はS17という観測拠点で、ここは基地でもないのに建物があるという珍しい場所なのですが、ここも最初に行ったときには天井まで雪に埋まっており、最初に扉と吸気・排気口のところを2m近く雪を掘るという労働をしなくてはなりませんでした。


 また、南極は非常に風の強い大陸なので、観測装置を置くときは風に負けないようにしなくてはなりません。主な対策は雪の中に埋めたり、雪の中に台を組んだりして安定させることで、そのためにもやはり雪を掘る必要があります。

 降雪地域に住んでいる方であればご存知でしょうが、雪を掘るというのはそれだけでも重労働です。しかしながら南極の場合、さらに面倒なこととして「一度降って固まった氷の層がある」というのもあります。今回の地点だと0.8mくらいでスコップがなかなか通らず、その影響で最終日には中央の芯の部分にヒビが入ってしまったくらいです。

 そんな重労働、単なる女子高生ではなかなかこなせないはずです。であれば、全員屈強な肉体を持っているはずです。



[5] ヘリオペがキャンセルになったために座って茶を飲んでいるだけの回がある
 夏の間、沿岸から大陸に少し入った程度の場所であれば、基本的にヘリコプターで移動します。しかしながら航空機は悪天候に弱く、特に雲が出たり、地吹雪で地表面の状態がわからなくなると発艦せず、予定のヘリコプターオペレーション(ヘリオペ)はキャンセルされることとなります。この結果として、観測に出られなかったり、逆に観測から戻ってくる日が遅くなったりということも珍しくありません(*4)。
*4) なのでそれを前提にして装備・食料は持っていく。

『よりもい』はしっかりと南極のことを研究したアニメのはずです。であれば現実的な風景として、ヘリオペのキャンセルに見舞われて何もやることがなくなり、ただ茶を飲むだけの回もあるはずなのです。


[6] 水着温泉回の代わりに耐寒訓練回がある
 耐寒訓練については詳細は伏せるので、耐寒訓練は身近な南極観測隊経験者の方に訊いてください(*5)。
*5) 身近にいない? じゃあ砕氷船「しらせ」の乗船経験のある海上自衛隊員でもいいや。


[7] 途中から麻雀アニメになる
 プロジェクトXの南極観測隊特集では、第一回南極観測隊の越冬隊は途中からやる気なくして麻雀やってたという話だったので、女子高生もそうなるはずです。ちなみに自分は麻雀のルールは知りません。


 以上のことから想像されるあらすじ。

===
 伝説のマタギの祖父に育てられた寡黙な女子高生・健造は氷雪地域への憧れを胸に、高校を退学後に隊員として南極観測隊の越冬隊に参加する。船酔いに苦しみながらも、砕氷船・しらせでは強い男を求めるアイヌの末裔・永吉、ロシアからの交換科学者にしてコマンドサンボの使い手セルゲイ、孤高の山猫スナイパー尾形百之助*6)ら女子高生と交流を持つ。

 耐寒訓練などの試練を潜り抜けたのちについに南極大陸に到着、観測拠点のひとつであるS17において観測を始めようとした健造であったが、建物があるはずの場所にあったのは巨大な雪の塊であった。来る日も来る日も雪を掘り、ついに建物内に入れるようになって本格的な観測できるようになった健造であったが、観測装置を設置するにあたりまたしてもお肌を気にしながら雪を掘らざるをえなくなった。秒速20mを超える強風の中でも雪を掘り続け、ついに観測装置の設置に成功した健造。あとは帰りのヘリコプターを待つだけであったが、悪天候のためヘリが飛び立てない無線通信が入る。

 果たして健造ら4人の女子高生は基地へと戻れるのか!? 基地に戻ったとして設営作業は手伝えるのか!? よしんば夏をうまく過ごせたとして、越冬期間に入ってから観測装置が壊れ、やることがなくなって麻雀を始めたら止まらなくなってしまい、社会復帰ができなさそうだが大丈夫なのか!? うきうき女子高生南極物語はっじまーるよー♪
===
*6)ゴールデンカムイの12巻(Kindle版)の発売日っていつだっけ。

 以上です。だいたいこんなあらすじだと思うので、『宇宙よりも遠い場所』略称よりもいをよろしくお願いいたします。

2017年12月20日水曜日

南極/環境保護条約


 南緯60度を過ぎた領域でも生物はちらほらと見られます。

 南極の生物というと代表的なのがペンギンやアザラシで、一週間くらい前まではマカロニペンギンが遠方で見えては一喜一憂したり、ノドジロクロミズナギドリのような空飛ぶ鳥の写真を撮ったり、クジラを眺めたりしていました。

 クジラが出現すると『◯◯方向に鯨を確認、距離○○m』などという館内放送が入りまして、そのたびに「ちょっと見てくる」と同室の方が飛び出していき、その数分後に『鯨は見えなくなった』というアナウンスが入ってほくそ笑むのが常だったのですが、先日は距離50mのところに複数個体が出現していて、「たまには見に行ってやるか」と外に出た自分にも見ることができました(といっても頭が少しと潮吹いているのがわかる程度だけど)。

 ちなみに数日前からはペンギンが過飽和状態で、その辺の海氷上をうろついているため、もはや被写体としての価値が失われつつあります。人間って飽きるのが早い。


 というわけで今回は南極の生物の話——といければ良いのだけれど、そういう話を書くにあたってはやはり写真が欲しいわけで、現行メールの平文でしか書けない状態だといまいち味気がない。

 なので今回は生物や環境を守るための保護条約に関するお話にしたいと思います。十二月末には(*1)だいたいの隊員が昭和基地に入り、インターネットが閲覧可能になるため、前回の記事のまま(*2)だと見た庶務とかの顰蹙買いそうだしまともなこと書いておかんと(*3)。
*1) この手の内容は公式発表を先にしないといけないので詳しい日付についてはぼかす配慮。
*2) 頭の話題が任天堂とイースと風来のシレンに終始している。
*3) 船内で発行した新聞でもう買っているが。

 以前に観測隊/日本南極地域観測隊のところで『南極条約』という単語が出てきました。1961年当時は日本を含む12ヶ国(*4)で発効されたこの条約、現在では53ヶ国が締結しております。
*4) アルゼンチン、チリ、ニュージーランド、南アフリカ、オーストラリア、フランス。ノルウェー、イギリス、ベルギー、日本、ロシア、アメリカ。

 この国際的な取り決めでは、南緯60度以南の地域に対して、

  • 領土権主張の凍結(どこの国のものでもない)
  • 軍事基地の建設等の禁止(平和的利用)
  • 科学的調査の自由およびその国際協力の推進

ということになっていました。


 しかしながら南極での基地活動や、年間3万人訪れるという観光客の増加の環境への影響が懸念されていたことで、平成九年(1998年)に『環境保護に関する南極条約議定書』(以下、議定書)が発効。こちらは39ヶ国が締結しています。どんな内容かを示すわかりやすい条文は第2条で、以下の通り。

第2条 目的及び指定
 締約国は、南極の環境並びにこれに依存し及び関連する生態系を包括的に保護することを約束し、この議定書により、南極地域を平和及び科学に貢献する自然保護地域として指定する。
(『南極保護に関する南極条約議定書』より)

 つまるところ、南極条約の時点では領土や軍事的な話に重きが置かれていたのに対し、こちらの『議定書』ではその名の通り、環境や生態系の保護に重きを置いているということになります。


『議定書』そのものは27条までの短いものですが、付随書が一から五まであり、一は環境影響評価に関して、二は南極の動物相及び植物相の保存に関して、三は廃棄物の処分及び廃棄物の管理について、四は海洋汚染の防止について、五は地区の保護及び管理に関してのものになっています。

 この『議定書』によって、はじめて南極が探検すべき場所から環境的に守らなければいけない場所になったといっても過言ではなく、逆に言うと付随書の内容はこれまで蔑ろにされていたことを取り締まるようになった内容であるともいえます(*5)。
*5) これ以前は生態系の保存やゴミに関して、めちゃくちゃいいかげんだった。たとえば日本の観測隊に関しても、現在はゴミは持ち帰るようにしているが、昔のゴミは現在も南極に残っていて、持ち帰られる日を待ち望んでいる。

 そういうわけで、南極の環境問題についてはこの『議定書』で国際的に規制できるようになったわけですが、日本の場合はさらに同年の1998年に『南極地域の環境の保護に関する法律』(以下、『保護に関する法律』)というものを制定し、さらに環境に配慮し始めました(*6)。
*6) とんだ好き者だぜ。

『保護に関する法律』の目的ですが、

第1条 この法律は、(中略)環境保護に関する南極条約議定書(同議定書の付属書Ⅰから付属書Ⅴまでを含む。以下「議定書」という。)の的確かつ円滑な実施を確保し、もって人類の福祉に貢献するとともに現在及び将来の国民の健康で文化的な生活の確保に寄与することを目的とする。
(『南極地域の環境の保護に関する法律』より)

となっています。第4条にも、

第4条 環境大臣は、議定書の的確かつ円滑な実施を図るため(後略)
(『南極地域の環境の保護に関する法律』より)

とあるため、どうやらこの『保護に関する法律』は『議定書』をベースとしたうえで、それを実行していくための法律と考えて行くのが良さそうです。


 具体的な内容なんですが、法律の条文とか見ているとフンッとなるため、以前に解説されたことをそのまま書き下すと、

  • 南極地域で行う活動は事前に環境大臣の承認が必要
  • 行為者証の携帯の必要
  • 岩石の採取の禁止(石ころでさえもダメ)
  • 検査を受けていない生肉の持ち込みは禁止
  • 生物の持ち込みも禁止(食べるためのものは除く)
  • 哺乳類や鳥類の捕獲や殺傷の禁止
  • 植物の採取や損傷する行為も禁止
  • 廃棄物の分別と適切な処理

などがあるそうです。

 こうした法律がバックグラウンドにあるため、日本南極地域観測隊では、たとえば現地での研究活動をする場合でも、それが環境に配慮したものであるかどうか、「南極地域活動の目的、時期、場所、実施方法」などを書いた申請書を事前に提出する必要があります。

 たとえば気象観測装置でラジオゾンデというものがあります。簡単にいうと、風船に温度計などの観測装置をくくりつけて上空へ飛ばすものなのですが、その構造上、ラジオゾンデ本体は高確率で遺棄されることになります。


『保護に関する法律』では、基本的に、

第16条 何人も、南極地域においては、次の各号のいずれかに規定する方法による場合を除き、焼却物を焼却し、埋め、排出し、若しくは遺棄し、又はその他の方法による廃棄物の処分をしてはならない。(後略)
(『南極地域の環境の保護に関する法律』より)

なのですが、このラジオゾンデの場合は「次の各号のいずれかに規定する方法」に含まれているので飛ばす、ということを申請書に書く必要があるわけです(実際にはもうちょっと具体的に書きますが)。

 特にわかりやすい制限行為である、


  • 『保護に関する法律』第13条(鉱物資源活動の制限=勝手に石とか持って行っちゃダメよ)
  • 同法14条第1項(生きていない哺乳綱又は鳥綱に属する種の個体の南極地域への持込=ちゃんと検査を受けたものしか持っていっっちゃダメよ)
  • 同法同条第2項第1号(南極哺乳類若しくは南極鳥類の捕獲若しくは殺傷又は南極鳥類の卵の採取又は損傷=生物を傷つけちゃダメよ)
  • 同法同条同項第2号(生きている生物の南極地域への持込み=外から持ち込んじゃダメだって)
  • 同法同条同項第3号(南極地域に生息し、又は生育する動植物の生息状態又は生育状態及び生息環境又は生育環境に影響を及ぼすおそれのある行為=だから影響与えるようなのもダメだって……聞いてる!?)
  • 同法第16条(廃棄物の処分及び保管=ゴミもちゃんと持ち帰って言ったよね!? アナタっていっつもそう!)
  • 同法第18条(ポリ塩化ビフェニル及び南極地域の環境の保護に関する法律施行令第5条で定める物の南極地域への持込み=それなのになんでポリ塩化ビフェニルなんて持ち込むの!? 信じられない!)
  • 同法第19条(南極特別保護地区への立入り=もうここから先に入ってこないで!)
  • 同法第20条(南極史跡記念物の補修等=アナタなんてもう知らない!)


に関しては、少しでも侵す可能性がないかどうかを詳しくチェックされます(*7)。
*7) ちなみに14条第2項第2号の「生きている生物の南極地域への持込み」に関しては生物に「ウイルスも含む」とある。DNAではなくRNAによって情報を受け継ぐウイルスはしばしば生物の定義の境界上に存在することもあるが、『保護に関する法律』では生物扱いらしい。

 というわけで今回は南極の環境保護に関する法律のお話でした。勉強苦手なのでこういうの見るの疲れた。

 ちなみに現況ですが、第一便(砕氷船「しらせ」から昭和基地への最初の便)が飛びました。こういうことは公式発表があるまで書くなよアァンわかったかオイと言われているのですが、公式発表されたと連絡があったため書いておきます。

2017年12月11日月曜日

観測隊/日本南極地域観測隊の歴史


 先日は土日だった(すごいイベントみたいな書き方)のでこれは堂々とやるチャンスだと思い、PS Vitaをやっていました。ヒャア、ゲームデーだ! 世の中Switchだというのに(*1)Vita。しかも『風来のシレン5+』(*2)と『イース8』(*3)と微妙に時代に乗っていない。ちなみに『シレン5+』は去年入院中に買ったものです(*4)。
*1) 観測隊にも持ってきている人がわりとおり、外国人研究者が「みんなSwitch持ってやがる(*意訳)」と言っていましたが、彼のTシャツの背も「Nintendo」の文字が。ここまで侵食してくるか任天堂!
*2) 旧チュンソフトでSFCから発売された『風来のシレン』を元祖とするゲームシリーズ。当時の日本ではローグライクといえばこれと『トルネコの大冒険』しかなかった。
*3) 赤毛の冒険者アドル・クリスティンが各地で女性を取っ替え引っ替えしながら冒険していく日本ファルコムのゲームシリーズ。8だが8作目ではない。今作はヒロインがいきなり全裸だったので「ファルコム攻めてるな」と思った。
*4) でもメインでやっていたのは3DSでダウンロード販売されていた『ファイアーエムブレム 聖戦の系譜』(20年くらい前のSFCのゲーム)。

 のっけから何のブログかわからない出だしとなりましたが、今回は日本南極地域観測隊の簡単な歴史について。


 まず世界の南極に関する歴史を簡単に見てみましょう。
 南極大陸そのものは古くから知られており、17世紀中頃の地図には既にその姿が描かれており、南極一周航海もされていました。18世紀から19世紀にかけては南極は捕鯨やアザラシ漁のための場所として使われていましたが、それはあくまで沿岸の商業的な行為で、漁師たちは大陸の中へはけして入っていこうとはしませんでした。


 しかし20世紀、それまで世界の様々な場所を踏破してきた冒険家たちが、未だ踏破しえぬ最後の場所として南極大陸を——とりわけ南極点(南緯90度地点)を選びはじめました。当時、有力とされた男がふたり。

 ひとりはロアール・アムンセン。

 ひとりはロバート・スコット。

 最終的にこの競争は馬ではなく犬橇を持ち込んだアムンセンに軍配が上がりましたが、アムンセンはノルウェー、スコットはイギリスとどちらも欧州の人間であり、南極点到達争いはさながら欧米列強の争いを南極まで持ち込んだだけのように見えなくもありませんでした。


 しかし実際には南極点を目指す探検家たちの陰に、日本人の姿もありました。

 初めて南極点を目指した日本人は、白瀬矗(しらせ・のぶ)だったといわれています。陸軍中尉だった彼は、何を思ったか北極点到達を計画。アメリカのピアリー隊に先に北極点に到達されてしまったため、代わりに南極へと急遽舵を取ります。このとき明治42年(1909年)、白瀬は47歳。

 1年後の明治43年(1910年)11月29日、排水量204トンの開南丸で探検に乗り出しました。しかしこの年の12月14日、ノルウェーのアムンセン隊が南極点初到達となり、白瀬隊の南極点初到達は夢と消えました。

 彼らは南緯80度5分、西経165度37分まで到達し、その地点を「大和雪原(やまとゆきはら)」と命名。一人の犠牲を出すこともなく、日本へと帰国しました。

 日本が改めて南極へ目を向けるまでには、それから50年近い時間を要します。昭和30年(1955年)、戦後の空気で澱む8月24日、日本で第1回南極地域公演特別委員会が組織されました。同年9月、IGY特別委員会南極分科会にて日本の南極観測参加が承認。

 実はサンフランシスコ平和条約2条に日本は「南極地域のいずれの部分に対する権利若しくは権限又はいずれの部分に関する利益についても、すべて請求権を放棄する」という条文があったため、日本の南極観測参加には強固な反対をされていましたが、最終的には承認されました。

 同年11月、政府が南極観測参加を決定。未だ戦後10年の時代に、1年で全ての準備を終え、1956年(昭和31年)11月8日、東京晴海埠頭を永田観測隊長以下53名の第一次隊を乗せた「宗谷」が出航しまいた。

 昭和32年(1957年)1月20日、宗谷は定着氷縁に接岸。東オングル島まで13kmの地点。
 同年同月29日、東オングル島に上陸。この場所を昭和基地と定めます。
 同年2月、プレハブの昭和基地が完成。宗谷は日本への帰路を取り、残された11名の隊員で越冬が開始するも、海氷上の食料の2/3が流出、小屋が火事で消失、ブリザードで破損するなど、さまざまな試練に遭います。


 しかし試練に遭ったのは越冬隊だけではありませんでした。翌年は海氷が厚く、宗谷の南極到達は遅れに遅れてしまいました。

 結果として昭和33年(1958年)2月24日、深夜の臨時発表で第二次越冬を断念。宗谷は人間のみの救助を行い、樺太犬15頭までは手が回らず放置されることとなりましが、さらに翌年の1959年1月、派遣された第三次隊で、生き残りの樺太犬であるタロ、ジロを発見されました(*5)。
*5) ちなみにタロ・ジロは現在はなぜかしらせ艦内の隊員居住区の掃除用具入れの名前になっていたりする。


 1960年、第4次隊の福島隊員が遭難(のちの観測隊で遺体が発見)という大きな事件も起きましたが、1961年に南極条約において、51の条約締結国の中から12ヶ国選ばれた原署名国のうちのひとつに日本が選ばれることとなりました。


 1910年の白瀬矗中尉による最初の南極探検から約100年、戦後の日本学術最大の挑戦とも呼ばれた南極観測開始から約60年が経過し、今回の第59次日本南極地域観測隊があるというわけです。


2017年12月8日金曜日

観測隊/砕氷船しらせ


 ついにやりました。やってやりました。庶務や隊長へのこのブログの連絡です。

「個人で南極関連のSNSをやっている場合は連絡してください」と思っていたため、連絡しよう、連絡しようと思っていたことは思っていたのですが、主にブログタイトルが恥ずかしくて(*1)報告できなかったわけですが、船上で庶務からSNS関連の連絡があったので、これは好機とばかりに連絡しました。
*1) 誰だよ「この星を守るため」なんてタイトル考えたやつ。

 だいぶ遅くなってしまった連絡ですが、このタイミングでの連絡は庶務や隊長もインターネットに接続できないため、ブログの内容の確認ができないというメリットがあります。へっへっへ、内容確認もせずに「連絡ありがとうございます」だなんて返信しやがって。これが講習で学んだリスク管理よ。

 そういうわけで公式のほうに連絡をしたため、基地到着後は庶務等からの確認を受けることとなります。もし検閲を受けて弾かれる部分があるとすれば、たぶん戦時中の教科書(*2)みたいになると思いますのでご了承ください。
*2) もしくはSCP。

 という書き出しで始まった今回、メールはできるもののインターネットに接続はできない、現在乗船中の砕氷船しらせに関するお話です。


  1. しらせの概要
  2. しらせの構造と設備
  3. しらせでの生活



1) しらせの概要


 砕氷船「しらせ」という名前は日本で最初(1910-1912年)に南極地域への探検を行った白瀬矗(しらせ・のぶ)中尉の名前に由来し、日本南極地域観測隊(JARE)の船としては四代目の船になります。


  • 1代目 宗谷
  • 2代目 ふじ(1965年就航)
  • 3代目 しらせ(1983年就航)
  • 4代目 新・しらせ(2009年就航)


 現在のしらせは新しらせで、様々な点で改良が施されています(*3)。
*3) 旧に乗ったことがないのでよくわからんけど、たぶん現在のしらせは変形したりするんだろう。


 しらせは往路は11月中旬に日本の晴海を出港後、11月末のオーストラリア、フリーマントルで観測隊を乗せて出発。12月下旬に昭和基地付近に到着します。

 復路は2月に昭和基地を出発し、東進して沿岸のいくつかの地点で観測を行ったのち北上をはじめ、3月の半ばごろにオーストラリアのシドニーに到着します。観測隊はここから空路ですが、しらせは2-3週間程度かけて帰国します。

 船体の大きさとしては長さx幅x深さx喫水が138x28x15.9x9.2m。基準排水量12,650トン、巡行速力15ノット(約28km/h)、人員:貨物が観測隊等80名:1,100トン。輸出力30,000馬力、推進方式はディーゼル電気推進2軸、運べる物資が燃料込みで約1,200トン(だいたい60%くらいが燃料)というのが手元にあるデータです。


2) しらせの構造と設備


 砕氷船しらせの艦内には、単なる推進施設や寝床のみならず、さまざまな設備が存在します。その中で代表的な設備について説明します——がその前に、船特有の階層構造について説明します。

 しらせで基本的に立ち入ることになるのは8つの層で、上から、


  • 06甲板:家でいえば屋上にあたり、気象観測装置が備え付けられている
  • 05甲板:重要設備である艦橋や気象海象室のほか、観測隊の気象観測に用いられる観測室(一観)がある
  • 04甲板:船長室、副長室、電話室のほか、DVDレンタル施設や郵便局も
  • 03甲板:士官室のほか、保養室(ジム)がある
  • 02甲板:専任海曹室などがあり、隊員よりは船員たちの層
  • 01甲板:飛行甲板があり、格納庫にはヘリが置かれている。体育時間は外でランニングも可能
  • 第1甲板:隊員寝室や食堂となる公室、風呂があり、基本的に隊員はここで活動。海洋観測などで用いられる観測室があるほか、外に出ると観測甲板も
  • 第2甲板:倉庫などがある


 となっています。


 基本的にしらせの艦内は隊員が自由に出入りできるようになっており、主要な船のコントロール設備がある艦橋(いわゆるブリッジ)も入ることができます。といってもここは大事な場所なので、行動や服装にいくつかの制限はありますが。立ち入り不可能なのは航空支援室や電信室といった機密情報が保持されている場所と、女性隊員区画くらいなものです。

□隊員寝室
 第1甲板にあります。隊員の寝泊まり場所なので、必然的にとどまることが多い部屋です。基本的に二人部屋で、家具は二段ベッドとソファのほか、机とロッカー2種が二人分あります。電源(100V)も引いているため、ここで一般的な作業も行うことができます。


 艦内にはLANが整備されており、インターネットは使用できませんが、衛星回線を使ってのメールが可能です。ただし容量削減のため、

  • 一通あたり500KBまで
  • 一ヶ月の総容量は3MBまで

といった制限があります。

 ちなみに実家の母に転入届やインターネットモデムの返送などを頼んでいたので、大丈夫だっただろうかとメールをしたら「Amazonで(転送されたものが)なんか届いたよ」と来ていたので「あ、やべぇ、なんかやべぇもの(*4)予約注文していたかな」と思っていたら『はじめての犬まゆげ』*5)でした。あぶねぇ、これはセーフのやつや。

*4) 定義は各自。
*5) 90年代からVジャンプで長寿連載している、石塚2祐子によるゲームエッセイ漫画。雑誌でのタイトルは『犬マユゲでいこう』だが、数年に一度単行本が出るとわけがわからんタイトルと装丁になり、旅行雑誌や料理本の棚に置かれることになる。数多くの『かまいたちの夜』でヒロインをヒグマに守らせ、『ウィザードリィ』でトルシエ監督に奇襲をかけさせた。

 艦上では電話も可能で、インマルサット衛星を利用。ただし金額は自己負担です。料金がどのくらいかというと、インマルサットサービスはグループ0〜5の6種類の料金(宛先)区分があって、しらせから日本への通話は受信する側の地域を参考し、日本は最も安い料金区分であるグループ0なのですが、KDDIスーパーワールドカードの1000円カードで通常時間だと4分12秒(割引時間帯となる深夜だと8分6秒)通話が可能。つまり1分あたり約238円くらいです。

 一方で日本からしらせにかけることも可能なのですが、その場合は30円/6秒なので、1分あたり300円。しらせからかけるほうが経済的ですね。

 ちなみに(こちらもやはり有料ですが)FAXや電報も利用できます。

□公室
 第1甲板にあります。隊員が食事やミーティングを行う部屋です。掲示板やホワイトボードもあり、重要な情報はここに張り出されます。スクリーンやビデオデッキもあるため、スライドや映画の上映も行うことができます。

□風呂場
 第1甲板にあります。風呂場にはシャワーと浴槽が、脱衣所には洗濯機と乾燥機があります
 節水の観点から1日1度までですが、起床から消灯までの間、巡検中を除いていつでも入浴可能です。洗濯機と乾燥機も(節水を守ったうえで巡検中を除き)自由に使用することができます。

 ちなみにリンスインシャンプーや石鹸は備えがあります。また、港に停泊している間は浴槽の水は真水ですが、航海中は水の節約のため、海水になります(*6)。浴槽に浸かったあとはシャワーで洗い流しましょう。
*6) ナトリウム入りと書けば温泉のようなものでは。

□保養室
 03甲板にあります。ランニングマシーンやエアロバイクがあり、ジムともいう。0000-2100の間利用することができます。ただ、そこまで広い部屋ではないので、悪天候や夜間でなければ体育は甲板でやるという人のほうが多いようです。


 01甲板での艦上体育は休養日は0800-1800、氷塊停泊中は0800-2130(もしくは日没まで)の間、基本的に許可されています。ただし天候によっては許可されなかったり、場所が限定されなかったりという場合もあり。
 艦上ではキャッチボールなど、簡単な球技も行えないことはないですが、特に人数が多いのはランニングです。01甲板外周を周回し続けます。いまの時期はだいぶん寒いので、ある程度着込んでから走りましょう。ちなみに1周は約200mだそうです。

□郵便局
 04甲板にあります。名称としては「銀座支店昭和基地内分室」となっており、辞令を受けたスペシャリスト隊員としてしらせの乗員が駐在しています。ただし無給だそうです。


 郵便物の引き受けのほか、記念消印の押印、郵便切手の販売がなされており、国内と同料金です。しらせ往路ー夏期間で出された郵便物は、しらせ復路で持ち帰って4月中旬以降に発送予定。冬期間に出された郵便物は、翌年のしらせで持ち帰るため、翌年4月以降に発送予定です。

 ちなみに切手や消印の収集家という方が世の中にはわりといて、そういう方はどうやって調べているのかわからないのですが隊員に「押印して返送してくれ」という手紙を出してきたりします(*7)。今回、自分のところにも届いていました。余裕があるときに返します。
*7) 北極のラベン基地でもあった。

□DVDレンタル室
 04甲板にあります。通称TUTAYA。
 隊員には乗艦後しばらくしてからレンタル会員証が配られ、ここで貸し出しを受けることができます。一度に借りられるのはDVD2本とBOX1本の計3本までで、期間は一律2泊3日となります。ここで借りたDVDで、夕餉のあとに公室での上映会などもやっていたりします。


□観測室
 第1甲板や05甲板にあります。基本的に下のほうにある観測室ほど海に関するもので、上にある観測室は大気に関するものです。



3) しらせでの生活


 基本的なサイクルとしては、


  • 0600 起床
  • 0615 朝食
  • 1145 昼食
  • 1745 夕食
  • 1900 掃除
  • 1930 巡検
  • 2200 消灯


となっています(ただし停泊中は食事の時間が少し違います)。

 朝0600に「総員起こし」の放送が入り、起床します。そのまま公室で朝食です。

 ごはんはセルフサービスとなっており、時間には基本的に厳格ですが、量に関しては体調に合わせて選べます。新しらせは揺れにくい構造とはいえ、揺れるときは揺れ、酔うときは酔うので体調に合わせて盛りましょう。食事の種類は様々ですが、水曜日の朝はパン(といってもご飯も選べる)、金曜日は海軍カレーとなります(*8)。

*8) ちなみにわたしは海軍カレーを食い逃すことにかけてはプロフェッショナルで、訓練でしらせに乗船したときはなぜか金曜日がカレーにならず、観測装置を乗せに来たときに港の食堂に行ったときは盆休みで、さらにもう一度観測装置の調整に来たときは12時前なのに「食堂の米が切れた」ということで三度逃した。

 朝食後から昼食前にかけては個々人によって過ごし方が変わる自由時間。自由といっても、人によって艦上で仕事がある場合とない場合があるので、仕事がある場合もあります。


 自分の場合は艦上で雲や水蒸気、雨などの観測が1日1回あるのですが、この時間帯に忘れないうちにやってしまうことが多いです。

 昼1200に昼食。その後はまた自由時間。
 夕1745に夕食。この後はたいてい全体でのミーティングが公室であります。

 その後の掃除は艦乗員の方が観測隊の区画も清掃してくれるので、観測隊員の清掃場所は基本的に各自の寝室です。ちなみに掃除用具入れは第一回南極地域観測隊の樺太犬の生き残りである「タロ」「ジロ」という名前がついています。


 掃除のあとにある巡検というのは簡単にいえば見回りで、清掃状況などを点検することです。といってもこれは隊員が行うのではなく、乗員が行うのですが、この間は入浴やトイレ、洗濯機などの使用ができないので先に済ませておきましょう。

 2200には消灯となります。といってもすぐ寝ろというわけではないので、人によっては起き続けている場合もあり。

 その他、しらせでの注意点ですが、しらせは軍籍なので、威容の保持という考え方があります。
 要はあんまりだらしない状態を見せるな、ということで、具体的には、

  • 下着姿やスリッパで上甲板に出ない
  • レールにもたれかからない
  • 洗濯物を外に干さない

などを言われています。

 また気になるところとしては船酔いだと思います。しらせは先代に比べると「揺れない」と言われていますが、まぁ完全に揺れないわけがないわけで。出港後は具合を悪くした方もいたようです。わたしの場合は現在は慣れて平気になりましたが、最初は船酔いの薬を飲んでいました。

 観測船の船酔いというのは酷くなるとゾンビ化に似ていて、以前に乗った観測船だと台風の中に突入したので多くの観測員が具合を悪くし、観測時間までの間はベッドカーテンの隙間から手だけ出ている状態で、観測時間になると顔色の悪い者どもがふらふらと彷徨い歩くという有様でした。それに比べるとしらせはだいぶん平和ですね。ゾンビでも『ウォーム・ボディーズ』(*9)レベル。
*9) ゾンビがイケメンすぎるゾンビ恋愛映画。

2017年12月1日金曜日

観測隊/オーストラリアでの行事


上司(のような人)と以下のような会話があり、(広報にはまだ言っていないけど)いちおう少しだけ認められることとなりました。


「頼まれたんだけど、ブログやらない?」
自分、もうやってますけど。
「ああ、そう。じゃあそれで」
クソみたいな内容ですけどいいですか?
「クソみたいな内容でもいいよ」



 クソみたいな内容でも良かった。

 ハードルが下がったわけですが、下がりすぎて陥没したかもしれません。ハードル走でハードルの高さが0mならそれはメリットでしょうが、しかしもっと下がっていくと穴に足を取られる可能性だけではなく、一歩の間違いも死が見えるので、あながちメリットばかりと言えない気がする。

 今回はタイムリーにオーストラリアでの行事に関する内容です。


 第59次南極地域観測隊(JARE59)の本隊は11月27日に成田を出発後、オーストラリアのブリスベンを経由し、パースへと向かいます。パースからはバスでさらにフリーマントルへと向かい、ここには先に日本を出発していた観測船しらせが停泊しています。観測隊はここから南極へと出発するわけですが、これを書いている12月1日現在、未だ観測隊は港を出発しておりません


 これは何かトラブルがあっただとか、忘れ物をしただとかいうわけではなく(*1)、もともとの予定通りの行動です。
*1) ちなみにわたし個人としてはSDカードを忘れた。現地で買った。オーストラリア、物価高ない?

 物資の積み込みや各種手続きのほかに、オーストラリアでの大きな行事としては、

  1. 現地日本人会の忘年会
  2. 日本人学校の見学会
  3. 艦上レセプション

の3つがあります……ありますが、1の忘年会については参加していないので「こういうのがある」という報告まで。

 2の見学会についてですが、こちらは地元の日本人学校の小・中学生がしらせ内部を見学し、南極観測隊・しらせ乗員への質問コーナーを設けたのちに昼食を食べ、その後に日本人学校生徒の歌や踊りを見せてもらうという流れになっています。


 わたしもこちらには途中から参加しました。ええ、はい、昼食からです。「餅が食えるよ」と言われて甲板に躍り出ました。「カレーもあるよ」とも言われました。カレーが美味い。主たる準備を行ってくれたしらせの方には感謝。

 わたしは餅とカレーを食べるくらいしかやっていないのですが(*2)、生徒の踊りも見せてもらいました。子供達が歌ったり踊ったりしているのを見たり、感謝の言葉を聞いたりすると、日本の妻子を思い出して涙腺が緩みます。子どもいませんが。妻もいねぇ。くそうくそう。
*2) こういう場合、「何もやっていないのに」などというべきかもしれないが、今回食うだけ食っているので何もやっていないよりマイナスだ。

 3の艦上レセプションですが、こちらはしらせの艦上に大使館の方などお世話になった現地の方々を招いて立食形式で食事会を行い、交流を深めるという内容になっています。こちらもメインの準備はしらせの方々によるものです。

 隊員のひとりとして参加し、2の日本人学校見学会でも訪れてくれた日本人学校の先生や校長先生、オーストラリアの大学の先生、職業を聞いていないおじさん、どういう方なのかを聞き忘れたおじさん、たぶん偉い方なのだろうけど正体不明のおじさんなどと交流を深めることができました。

 あと天麩羅に群がっていた女性おふたりへ。「お前の名前は覚えたからな」とおっしゃられましたが、わたしが剣道をやっていたのは小学生のときだけです。中高は体育と武道の授業だけなので忘れてください。ひぇっ、ご勘弁。


 このようにオーストラリアでは支援してくださる方々と交流を行い、英気を養ったのちに南極地域へとようやく出航することになるわけです。


© この星を守るため
Maira Gall