2059年5月9日金曜日

はじめに

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 このウェブログは2017-2019年に行われる、第59次南極観測隊の一隊員による、南極観測隊に関連する内容を非公式に記載したものです。本内容は、概ね以下の5つに大分されます。


  1. 南極そのものに関するもの
  2. 南極観測隊に関するもの
  3. 南極観測隊員に関するもの
  4. その他
  5. 書籍化記録


1) 南極そのものに関する内容 → タグ:南極
 第59次南極観測隊(以下、JARE59)は、当たり前ですが南極で活動を行います。南極地域の定義は一般に南緯60度以南の領域で、ここから先は日本とは大きく異なる気候や生態系が待ち受けています。それらについて紹介しつつ、実際に南極にいる間は実際の画像を交えて紹介できればと思います。

→南極/南極の気温(2017/11/21)
→南極/環境保護条約(2017/12/20)
→南極/ブリザード(2018/01/04)
→南極/S17(2018/02/16)
→南極/オゾンホール(2018/04/18)
→南極/漁協と釣りと生態調査(2018/05/07)
→南極/いつでも死ねる場所(2018/08/13)
→南極/南極までの遠さはどれくらい(2019/04/29)


2) 南極観測隊に関する内容 → タグ:観測隊
 この内容が(おそらく)メインコンテンツになる内容です。

→観測隊/スケジュール(2017/11/13)
→観測隊/研究観測(2017/11/24)
→観測隊/観測隊構成(2017/11/26)
→観測隊/オーストラリアでの行事(2017/12/01)
→観測隊/砕氷船しらせ(2017/12/08)
→観測隊/日本南極観測隊の歴史(2017/12/11)
→観測隊/昭和基地(2018/02/25)
→観測隊/夏の過ごし方(2018/03/10)
→観測隊/生活諸係(2018/03/23)
→観測隊/南極ごはん(2018/04/08)
→観測隊/冬の過ごし方(2018/06/08)
→観測隊/夏訓練と冬訓練(2018/07/14)
→観測隊/情報発信(2018/07/29)
→観測隊/輸送の手引き(2018/09/12)
→観測隊/みずほ・あすか・ドーム基地(2018/10/18)
→観測隊/昭和基地の娯楽(2018/11/05)
→観測隊/内陸観測(2019/01/27)
→観測隊/限界医療(2019/02/12)
→観測隊/観測隊の装備品(2019/03/07)


 南極に関する記述がある本やウェブサイトはすでに十分な数があるのですが、その大部分の内容は南極の自然気候や生物、研究活動、探検歴史などに関するものです。しかし南極についてではなく、日本の南極観測隊そのものに関しては同じ研究者に対してもあまり知られていません。

 JARE59でどれくらい期間、何人くらいの人間が、どのような活動をするのか。
 JARE59ではそのためにどんな準備をして、どんな訓練を行い、どのような行程を経て活動をしていくのか。
 JARE59は何を目的としているのか。

 そのようなことを記述していきたいと思います。

 現地での実際の活動や、それに関してすっごーいたーのしーといった内容は基本的には記載しない予定です(*1)。というのも、自分は今回が初めての南極で、右も左もわからないし、失敗することもあるだろうし、何もかもうまくいかず、前後不覚になり果てることもありえるわけで。要は現場で実際にうまく行くかわからないので、そういった内容は可能な限り書かないというリスク軽減だと思ってください。
*1) なんかすごくすっごーいわーいたーのしーになったら書くかもしれません。

 それと本ウェブログは基本的に観測隊の最新の活動内容をお届けするものではありません。南極観測隊の活動が国家事業の一種であり、大本営の報道が優先する必要がある場合があるためです。非公式が先に発表するとどうなるかはよくわかりませんが、もしかするとわたしの首が飛ぶかもしれません(*2)。
*2) うっひょー。

 例えば南極に突如開いたゲートからのちにジャムと呼ばれる異星人の飛行機が飛び出してきたり、遊星に付着していた物体Xによって基地が破壊されてどうせ死ぬなら道連れだという勢いで頑張っていたとしても、そういったレベルの情報はかなり重要なので公式発表(*3)があるまでの間はこちらから発表するとはできません。
*3) そういう情報が流れたら戻ってきた隊員の血液が高温に晒された途端に正体現さないかどうかとか、L型アミノ酸をきちんと消化できるかどうかをちゃんと確認してください。

 最新の内容や南極観測隊に関するまともな情報が欲しければ、
→国立環境研究所 南極観測のホームページ
→昭和基地NOW
 などをご覧ください。

3) 南極観測隊員に関する内容 → タグ:隊員
 自分が高校生のとき、とある公演をした南極観測隊経験者の方は「南極に行きたければ金持ちか研究者になれ」と言いました。残念ながらお金持ちには向いていなかったので(*4)研究者になり、結果的には南極に行くことになったので、個人としては方針はおおむね正しかったわけですが、実際のところ観測隊の中で研究者が占める割合はそれほど多くありません。JARE59の観測隊にはいろんな人々がいます。
*4) はー金が欲しい。

 そうした雑多な人物を紹介していくわけですが、年齢とか血液型とか家族構成とか趣味とか弱点とか性癖とか黒歴史とか、なんかそういう他人の個人情報とかわたくしわりと関心がないというかどうでも良いのでしません。

→隊員/気水圏一般観測研究夏隊員の場合(2018/03/01)
→隊員/気水圏夏隊同行者の場合(2018/03/12)
→隊員/多目的アンテナ越冬隊員の場合(2018/04/06)
→隊員/重点研究観測宙空圏越冬隊員の場合(2018/06/15)
→隊員/気象定常観測越冬隊員の場合(2018/07/02)
→隊員/車両越冬隊員の場合(2018/11/03)

 紹介するのは、

  • 南極での仕事内容:何をするために南極に来たか
  • 南極に来ることになった経緯:どうすれば南極に来られるか

に絞りたいと思います。というのも、これらの情報が新たに南極に来たいと思っている人々に役立ちそうだと思ったからです。

4) その他 → タグ:その他(+おわりに)
 それ以外の内容です。

→その他/もふもふモフモフ(2017/11/24)
→その他/宇宙よりも遠い場所(2017/12/31)
→その他/ドラゴンと蜃気楼(2018/05/21)
→その他/ドーム旅行中に書いていたもの(2019/01/26)

→おわりに(2018/05/30)

5) 書籍化記録 → タグ:書籍
 光文社新書『南極で心臓の音は聞こえるか 〜生還の保証なし、南極観測隊〜』の執筆開始から出版に至るまでの記録です。

→書籍化記録:2019年7-9月_村長召喚
→書籍化記録:2019年10月_台風19号通過
→書籍化記録:2019年11月_シャイニング続編
→書籍化記録:2019年12月_天元無限智勇双全ブラスターマスターゼロ2 
→書籍化記録:2020年1月_ブリジット・クリアリー焼殺事件
→書籍化記録:2020年2-3月_Iconoclasts
→書籍化記録:2020年4-5月_ねこだまり
→書籍化記録:2020年6月_すべてがFになる
→書籍化記録:2020年7月_サイン
→書籍化記録:2020年8月_ラジヲ


 以上の内容を適宜更新していくことになります。隊員のSNSの情報発信は公序良俗に反するものや観測隊・南極観測の名誉を傷つけるものは認められないことになっていて、なんかこの「はじめに」を書いた時点でだいぶ怪しい気がするのですが、突如このブログが消えたらそういうことだと思ってください。

 遅れましたが、このページを含む本ウェブログの主な記述者は越冬の一般観測研究の山田です(*5)。本ウェブログはの2017年11月からJARE59越冬隊終了の2019年3月までを目標にのろりのろりと更新していく予定です。
*5) この「越冬」だとか、「一般観測研究」だとかについてもおいおい説明できれば。

2020年8月12日水曜日

書籍化記録:2020年8月_ラジヲ

 

 ラジオ放送当日の話。

 夏季休暇を取っていて、接続テストは昼からなので寝ていて良いのだけれど、たまに無限に寝てしまうのでいちおう7時半に起きる。相変わらず猫は近くで見守っているだけで起こしてこない。

 起きて猫の水を変えて餌をやって顔を洗って、今から気が重いので食欲がなくてグラノーラだけ食べる。


 メールを見ると朝6時半に構成作家から台本が来ていた。えっ、おまえちゃんと寝てるの……? 

 台本といっても、おそらく想定されるQ&Aがあるだけで、しかも大竹まことも壇蜜も台本に沿って行動しないので台本は気にしなくて自由にやって良いとのこと。大変だな構成作家。六時間以下の睡眠を続けていると身体壊すからな、ちゃんと寝ろよ構成作家。盆と正月は実家に帰れよ、構成作家。


 気が重くてやる気が起きないので、スーパーへ行ってトマトと生ハムとビールを買う。何を作るのかというとトマトファルシですよ。 

 トマトファルシはエースコンバット5に出てきた潜水空母ではなく、トマトをくり抜いた中に肉とか野菜とか詰めるやつである。なんか……あのほら、西のどっかの国の料理だと思う。

 知っているトマトファルシが挽肉やパン粉、野菜を加えてオーブンで焼くタイプなので、オーブンがない我が家では無理かと思っていたが、冷製のもあるらしいということで作ってみることにしたのである。食欲があるのかないのかよくわからぬ。

 作り方は簡単で、ヘタの部分を切ってスプーンで中身を掻き出しておき、硬い部分を刻んだ中身を適当にほかのなんかと混ぜてからトマトに戻すだけである。今回は玉葱、胡瓜、チーズ、生ハム、オリーブオイルを混ぜて塩胡椒とパセリで味付けした。


 自分はトマトが好きで、トマトが野菜最強とすら思っている。

 急に小学生男子みたいな最強議論を始めてしまって恐縮だが、べつだん味が格別に好きかというとそうでもない(嫌いでもないが)。ただ基礎スペックが高い。

 トマトが高度なのは栄養価の高さと「栄養価が高そうな見た目」の両方を保持している点にある。仮に栄養価が高くても栄養価が高そうな見た目をしていないと、心理的な栄養が入ってこないのでいまいち吸収されない気分だが、栄養価が高そうな見た目が心に浸透して衝撃を与える。

 さらに生で食べられるのが素晴らしい。皮を剥く必要がないため、朝もう人生面倒くせぇはぁくそうもう駄目だ、というときは洗ってそのまま食べればいい。焼いてもいい。煮るのもありだ。

 水分が多いのも素敵である。いつも飲み物飲んでいるような人間なので、水分は重要だ。


 余談だが(もうどこから余談なのかわからないが)ラジオで食事の話をしたときに肉ばっかり挙げたのは肉が好きだからではなく、ほかの食べ物だと名前を聞かれても答えられないし味の評価も「なんか味がすごい」とかしか言えないからである(あとただのギャグ)。肉は「柔らかい」と正直に言っておけばとりあえず伝わるのだ。

 閑話休題。



 完成。

 トマトの中身をくり抜いてから他の具材と混ぜて戻すわけで、抜けるのが水分だけなのでどう考えても中に入れる具が余る。余ったぶんはパンに載せて焼くことにする。食欲がないので昼飯はトマトファルシと中身パンだけで良さそう。

 死にそうな調子のまま『Dark Devotion』をTrue Endでクリアして早めの昼食。トマトはよい。微妙にコスパが悪いのが欠点か。いまの1.7倍くらいの大きさのものが通常版になってほしい。


 12時半に接続テスト。

 接続は最初はZoomかSkypeの都合が良いほうで、という話だったが、どっちでも良いので文化放送側の好きなほうにしてほしいと提案してみると、文化放送独自のシステムを用意すると言われていた。えっ、いや、あの、べつにZoomでもいいよ……? 無理しなくても。

 この日までにZoomとSkypeは試していたのだが、Zoomは問題ないけどSkypeは接続できない。なんでじゃ。まぁいいや。

 接続テストは特に問題なし。向こうはなんというか貸し会議室を外から見たような小スペース。よくあるオフィスの長テーブルを連結させて正方形にしたようなものが置かれていて、マイクが六本くらい突き出ている。奥には大きな窓が見え外の風景が見えるが、東京なので電子スクリーンで架空の空を写しているのかもしれない。手前側のこちらとはやはり窓で区切られているので、おそらくあちらが放送側、こちらが制御側で制御側に映し出されているのだろう。


 ちなみにこの日のために3000円くらいのマイク買ったのだけれど、よくよく考えると接続がUSBで、MacBookはUSBもLANポートもないのですよね。穴がUSB-Cとイヤホンしかない。

 USBへの変換ケーブルとLANポートへの変換ケーブルはあるのだけれど、同時には使えない。無線でも繋げるが、音声だけではなくて画像も送るのでWiFiだけというのは少々厳しい、ということでマイクを諦めることに。なんで買ったんだこれ。

 

 その後14時まで仮死状態で、14時15分に再接続。

 繋がりはしたものの、なぜか音声が出ないし向こうも聞こえない。まだ音声切っているのかな? と考えて生放送のことは忘れて一昨日から始めたSwiftの学習を始める。Swift UIはプレビューしながら構築できるので便利なのだが、画面を占拠するのが困り物。まぁ開始までいいじゃろう——などと考えていると向こうの画面が動き、カンペのようなボードに『ミュート解除できますか?』の文字が。あっ、問題あったのこっちか。

 やべっやべっ、と思ったのだが酒飲みながらだとわりと余裕が出るな。逆に何が原因かわからなかったので、一度ブラウザ閉じてもう一度開いたら直った。現在14時21分。あと4分。うひょーぎりぎり。


 生放送開始。手が震える。酒で誤魔化すしかない。クレ556のCM入れてるときにフライングしてしまった。

「蝉の声がめちゃくちゃ聞こえる」というようなことを言われたのだけれど、ヘッドホンをしているせいでよくわからない。Macbookのマイクの集音性が良すぎるのだろうか。もしかすると「東京と違ってクソ田舎の長野だと虫の音なんかが聞こえてきますのねオーホホ」という罵倒だったのかもしれない。

 ちなみに大竹まことは「耳鳴りなのかよくわからない」と言っていた。名雲桂一郎か。


 緊張で言葉が出てこない。

「暑いですね」に対して「南極の昭和基地も今はたぶん(マイナス)30度くらいなので同じくらいですね ^q^」とか想定していたのにそこまでつながらなかった。

 さらにはパニックで極夜が出てこない。相当である。日常会話で言えばうどんが出てこないレベル。「あの〜えっと、蕎麦じゃなくて、その、似てるけどこうあの……白いやつ、ほら、知ってるでしょ?」みたいな状態だった。


 最後に壇蜜がまとめに入っているタイミングで「いやそれは正確ではなくて」とか言い始める研究者にありがちなクソムーヴかましてしまう。うわー。こういう時間配分ができない輩になりたくないと思っていたのに。

 14時58分、終了。

 終わると腹が減ってきた。飲んでいるのでバイクに乗れないため、歩いてセブンイレブンまで行って唐揚げ棒を2本買う。暑い。今日も暑い。






2020年8月5日水曜日

書籍化記録:2020年7月_サイン


 発売日はまだだが、先んじて献本用の書籍9冊が届く。もともとは10冊だったのだが、1冊は「出版されたら1冊送ってくれ」という極地研からのかつての要請に応えて送っておいた。

 残り9冊。さてこの献本はどう扱えば良いんだろうか。ブックオフに売るか(SIMPLE2000シリーズThe最低)。
 そもそも献本という制度、使い方がよくわかっていない。論文でも出すと別刷りという、コピーみたいなものを貰えるのだが、これも使い道がよくわかっていない(昔は人に配ったりしたのだろうが、現代だとオープンアクセスならWEB上でダウンロードできるのでいっそう出番がない)。
 エロ小説とかとカバーすり替えて河川敷に置いておくと男子小中学生が寄ってきて面白いかもしれないが(そこからセクシーコマンドーに目覚めるかもしれないし)、新書サイズなのがネック。

 そういえば学生時代、卒業生が新しく訳した『カラマーゾフの兄弟』(これも光文社であった)を全校生徒に1巻を1冊ずつ配ってくれたような覚えがあるが、あれは訳者が献本を回したのか、訳者自身が購入して配ったのか、学校が買ったのか、それともドストエフスキーの霊がやったのか。
 1学年7クラスだったから3学年でだいたい7, 800人か。簡単のために800人800円だと64万円。うーん……? さすがに訳者が購入というのはないか……? といっても高校の図書費用で軽く出せる金額でもないし。
 なんかよくわからないおっさんが自治体に一千万寄付したりすることがあるらしいし、金はあるところにあるから訳者が買ったのかなぁ。

 理想的には知らない人に読んでもらうことである。というのも知人に読まれるのは恥ずかしいので厭だからである。基本的に自分の人生、誰からも無視されて存在を感じられずに生きたい
 とはいえ、さすがに知らない人にいきなり本を送りつけるのもアレなわけで、しかし宣伝はしなくてはならないし……などと考えていくと、これは「日常会話をするような身近な人間ではないけれど、過去に知人だった(直接は感想を聞かないで済む)人に送るのが正しいのではないか?」と思いつく。急にメールで「本が出ました買って」だとアレだが、一冊送って「本が出ました」と知らせれば、そこから人伝に情報が波及するかもしれないし。

 というわけでメールをしたためてレターパックライトを買ってちまちま発送する。これ送付される前に、出版社から「どこかに送りたいところはありますか?」と訊かれていたので、このときにここまで検討しておけば送料とか節約できたな。うむ。





 書籍発売に伴ってnote記事等が動く。
 書籍発売されたので、なぜか(なぜかではないが)『サイン』の話をします。

『サイン』のあらすじを簡単に説明。主人公のメル・ギブソンは事故で妻と信仰を失った元・神父で、いまは弟とともに息子・娘とたまにキレ散らかしながら一緒に暮らしている。弟はやさぐれているし、子どもたちはそれぞれ問題があって日々悩みつつ生きているのだけれど、あるとき自分の農場でよくわからない事件があってそこから信仰に向き合っていく、というストーリー。

 監督はM・ナイト・シャマラン(毎度シャラマンなのかシャマランなのかわからなくなる。これを書いているときも確認したら間違えていた)。『シックス・センス』で有名な——と書こうとしたが1999年の映画だから、若い読者にとっては上映当時は前世だった可能性すらあるな。
 自分は『シックス・センス』はそこまででもないが、『サイン』は好き(また観たいかと言われたらそうでもないが)。ちなみにFilmarks映画レビューだと3.1/5。めちゃくちゃ面白い映画なのだけれど、きっと友だちと喋りながら見たらつまらないというか、批評しなければいけないような見方だと面白くないと思う。

『サイン』はたぶん観た人間の受け取り方で大きく感想が変わる映画で、個人的には事件そのものには意味がないというか何でも良くて、メル・ギブソンの受け取り方にだけ意味があるのだと思う(メルギブソンの行動も面白いのだが)。
 大事なのは、べつに「神さまがいてすべて見守ってくれている、すべては啓示なのだ」とか「この世には奇跡というものがある」ということではなくて、「無駄じゃなかった」とか、「やればできる」とか、「人生良いこともある」とか、そういう肯定的な感情だと思う。

 冷静になって考えてみればサイン(啓示)のはずがなくて、何がサインだアホかおまえはとメルギブソンをバットでフルスイング、ついでにシャラマンの家もフルスイングという話に持っていきたくなるのだけれど、そうじゃなくて、あれはサインで、だからそういうものなのだと、これで良かったんだと、何も間違っていなかったのだと。ダメだったかもしれないけれど全部ダメなわけじゃなかったと。馬鹿だったかもしれないけど全部馬鹿だったわけじゃなかったと。辛かったけどそれだけじゃなかったのだ、暗い話だけじゃなかった、良いこともあったと。そういう話なのだと思う。

 もしかするとシャマラン監督は別のことを言うかもしれないけれど、シャマランよりわたしのほうがこの映画について詳しいので信じてくれて良いです。あいつ家抵当に入れて映画撮ってるからなやばい。





 あまりに売れ行きが気になりすぎて、暇さえあればAmazonや紀伊國屋書店の在庫を確認してしまうので、自動で在庫を確認してグラフを描くプログラムを書く
 といってもcrontabとかでほんとに自動化してしまうとDOS攻撃みたいになってしまうので、走らせるのは手動(そもそも自宅にサーバーがないので、ノートを開いているときに思いついたときだけ実行)。

 Amazonは途中で在庫補充されてしまったので残り数が見られなくなってしまったが、紀伊國屋はWEB書店の在庫(というか大元の在庫か?)が出ているのでわかりやすい。紀伊國屋在庫ありすぎでは? 不安になる。





 長野市で瞬電に近い停電。研究所にいたのでPC等シャットダウンしてしまったがサーバーはUPS(無停電電源装置。バッテリーがついてて30分〜1時間程度の停電であれば頑張ってくれる装置)があるので大した打撃ではない。

 しかし心配になってくるのが家の猫。こういうときに限って窓を閉めて冷房をかけて出てきた日であった。電力会社のページで見ると家の付近は停電してないから大丈夫かな、と思ったけど怖くて買い物せずに急いで帰ってきたら冷房が止まっていた。うぉう。
 幸い、暑さが収まってくるタイミングだったから「ちょっと暑い」程度で済んだが、午前中から冷房止まっていたらと考えると怖い。

 のでクラウド経由で室温を見られる温度計を購入。
 冷房を入れていてもおそらく日中の室温は外気温に近い日変化を示すだろうと思われるので、どのくらいに閾値取れば異常値=冷房停止なのかを判定するために数日モニタリングしておく必要はあるが、これでとりあえず異常は察知できるようになったぜ。





 ニンテンドーストアのリングフィットアドベンチャーの抽選に応募する。応募しただけで痩せた気になる。さすが任天堂。





 スーパー(書籍に載っていたA COOPではない)でブルーベリーが安く売っているのを見つけて買ってしまう。わたくし、子どもの頃から果物めちゃくちゃ好きで、特に桃、林檎、梨、蜜柑、葡萄あたりが好きです。果物は全人類共通の好物だとわりと最近まで思っていたので、そうでもないことがちょっと衝撃である。

 ブルーベリーは日頃食べる機会が少ないので「好きな果物」として特段挙げることはないものの普通に好き。
 果物は単純に何もつけずに食べたい(苺も練乳かけないほうが好き)が、ベリー系は見ると昔食べたハンバーグのベリーソースがけを思い出す。北極の観測基地、ニーオルスンに行く手前のロンブイヤビエンという小さな炭鉱町があるのですが、そこで食したやつ。たしかトナカイ肉だったような。ハンバーグではなく、ハンバーガーだったかもしれぬ。

 果物のソースというと得体の知れない感がすごいけれど、甘いソースに肉というと照り焼きソースとかも似たようなもので、けっこう合うのである。

 といっても味を覚えているわけではなく、なんとなく美味かったレベルの話なので、てきとうに調べつつソースを作ると意外と美味い。半信半疑で食うのでいっそう美味いのが良い。





 文化放送『大竹まこと ゴールデンラジオ』から出演の依頼が来てしまう。ヴァッ。

 人前に出るの恥ずかしいし、そもそも喋るの苦手だから出たくないのだが、『南極で心臓の音は聞こえるか』の話を中心に、ということなので売り上げ考えると出ないといかんだろうなという打算もある。取り次いでくれた編集の人に「出たら売り上げ上がるか」などと訊いてみて、もし「いやぁそんなでもないよ」と言ってくれれば……と思ったらさすがにそんなに都合の良いことは言われなかった。
 スタジオに来てくれ、という話ならコロナ禍でうまく断れたのだが、リモートで良いとのこと。くそ、うまく逃げ道塞いでくるな。

 本だけではなくこれまでの活動も振り返って、などとも言われたがいったい何を喋れというのか。やはり『魂斗羅スピリッツ』か『超魔界村』か、それとも『風来のシレン』か。少し時代を経て『風のクロノア』か『エアガイツ』か、それとも次世代機で『バウンサー』か。捻って『エアロダンシング4』か。突き詰めて『Fallout: New Vegas』か。

 考えるだけでプレッシャーで吐きそうですが、8月12日(水)の14時25〜50分の「大竹メインディッシュ」というコーナーで出演するそうです。なんだこのコーナー名。こういうことラジオでは言ってはいかんのだよな。いまのうちに言っておこう。





 リングフィット当選。これはもう気分だけで5kgは痩せたな。さす任(さすが任天堂)。





2020年7月16日木曜日

書籍化記録:2020年6月_すべてがFになる


 タイトル攻防戦が続く。

 最近はAV(オーディオ・ヴィジュアルではないほう)もタイトルがなろう小説みたいに全部解説しているらしいとどこかで聞いた。たぶん『失踪した彼女が改造された挙句ドリスコルのヴァンツァーの強化パーツになっていた件〜格97近98遠99回避99〜』みたいなのだろうか。

 新たに編集から、「█████[注:削除済み]」というタイトルを挙げられたのだが……うーむ、ここで退いたらいかんな、ということで厭だという理由をその場で3つ捏ねくりあげる。

『█████』というタイトルがあまり良くないと思う理由は3つあり、ひとつは「南極観測隊が特殊(異常)である」という事実はある程度既出、もしくは予想できる話だと思うのです。
 もちろん観測隊なんて知らない、何をやっているのかわからない、そもそも南極がどこにあるのか知らないという人が大多数だと思いますが、知らないとしても観測隊が特殊ではないと思う人はいないと思います。というのも、「どっか知らんところに行ってなんかやってくる人たち」だからで、たとえば石油掘削行者や蟹工船も特殊なわけです。
 そこに微に入り細に入り見ていくと面白いことはあるのだと思いますが、異常ですよ、と宣伝しても特にタイトルで驚きはないのではないかな、と思います。
 WEBで調べれば無料でいくらでも情報が手に入る時代、日常生活、基地、仕事、行事、たとえば海氷上のそうめんなんかも極地研のHPで出していたりするわけで、単に特殊性を求めるだけならそこで完結してしまうわけですし。
(旧タイトルは削除)

 二つ目の理由としては、理数的な要素が少しでもあるということを匂わせるには軽すぎると思うからです。
 今回、添削過程でだいぶん削ることになりましたが、観測項目や観測隊の活動のほか温暖化やオゾン層などにも平易な内容で簡単に言及しました。その結果として広く受け入れられるものになっている(いてほしい)と思っています。
 しかし『█████』というタイトルは楽しさ全振りでそうした要素を匂わせることができるかというと、難しいのではないかと思います。たとえばスーツを着た50代のくたびれた役職付きのハゲの中年が電車内で読むのに選ぶか、というと難しいのではないでしょうか。
 じゃあほかのタイトルなら中年を狙えるか、というとたぶん狙えないんですね。狙って当てるような層ではないですし。
 ただ『█████』だと楽しすぎる、楽しい要素を求めている人しか取られないとは思っていて、そのためには情報がないほうが良いのではないかと思います。
 現在の序章に合わない、という問題もあります。本屋でタイトルから楽しい南極観測隊を期待してからの序章〜1章だと拍子抜けしてしまいそうです(たとえば序章が海氷そうめんや極寒の和タリアンから始まっていれば別ですが)。
 いちばん何があるか伝わってこないのが『南極で心臓の音は聞こえるか』で、南極以外の情報がゼロなんですね。タイトル見て南極で心臓の音が聞こえるかどうか検証する本だと思う人はいないでしょうし。ただ「なんかよくわかんねぇタイトル」だと思ってもらうことは最低限できると思いますし、楽しいか楽しくないかはともかく、予想がつかない状態で「なんだろう」と思って気にしてもらえれば、手にとってもらえる率が上がるのではないかなと思います。とりあえず手にとってもらわなければ何にもなりませんし。
 また、これが正しい考えなのかどうかわかりませんが、個人的にはタイトルと内容の親和性についてはあまり気にする必要がないのではないか? と思います。タイトルに文句がつけばそれは中身が良かったということですし、そもそも結末に言及したレビューがつく時点で買われて最後まで読まれたということなので(何も文句が付かないほうがまずい)。
(旧タイトルは削除)


 3つ目の理由としては単純に萌えないというか、心中できないというか、あまり好ましくないな、と感じた個人的な我が儘です。

 なにを言っているんだおまえは。

 しかしながら重要なのは最後の3つ目である。
 今回、一般向けに書籍を書いたわけだが、(たぶん)研究者の実績としてこの行為はなんらプラスにならない。基本的に研究者の評価は論文が絶対的で、とにかく論文をたくさん、評価が良いところに掲載されるのが望ましい。
 今回の書籍はあぁ仕事したくねぇだ、金が欲しいだ、お代官さま年貢は待ってけろ、といったことばかり書いているので、研究者としてはむしろマイナスだろう。こんなやつ雇いたくない。

 それでも書籍を書いている間は真面目に(ここでいう「真面目に」とは、四面四角に、という意味ではなく、面白くなるように、という意味である)書いた。

 学生時代にバイトしていたときに客が『LaLa』(少女漫画雑誌)を置いていって、なんでだっけ、処分してくれとかそんなんなんだろうか、客じゃなくて他のバイト店員かも、うーむ、細かいことが、年齢が、重みが、記憶を、消し飛ばして、いく。

 いやまぁそれはさておき、その『LaLa』に『本屋の森のあかり』が載っていた。
『本屋の森』は書店の話なのだが、当時掲載されていたのは夏目漱石の『夢十夜』の回。杜三さん(主人公が想い人の眼鏡)のお父さんが来たけど、杜三さんが仕事で抜けられないの代わりに主人公が東京名所や夏目漱石ゆかりの地を案内するという話だった(『LaLa』巻頭の新連載が飲尿の漫画だった号です)。

 わたくし個人的な法則で『2巻の法則』というのがあって、「漫画は2巻で急に面白くなるのがあるから1巻だけだと判断できない」(逆にいえば、2巻で急につまらなくなったり、あるいは1-2巻続けてつまらないとダメ)というもの。
 わりと『本屋の森のあかり』はそれにあてはまって、1巻は、こう、なんていうか、あの〜こう、女性をターゲットにした話というか。SIMPLE2000シリーズThe偏見だなこれ。
 当時『LaLa』に掲載されていた『本屋の森のあかり』が1巻の回だったらたぶん単行本買わなかっただろうなぁ、という話。

 いや、そうじゃなくて、ええと、何が言いたかったんだったか。こういう話、書いているうちに熱がこもってきて何が言いたいのかよくわからなくなるがいまがその状態です。
 そう、(たぶん)書籍のタイトルである。

 中学生のときだったか、書店に『すべてがFになる』のゲーム版のポスターが貼ってあって「なんじゃこりゃ」と思った。彼岸みたいなところで四季が腰掛けて手を差し出しているようなポスターだったような気がする。
 原作ありと知って読みたくなって講談社文庫のコーナーに向かったわけですが、わりと敷居が高いのだよなああいうところ。

 小学生までは素直に児童書コーナーの本読んでて、特に借りていたのが海外の推理小説で『モルグ街の殺人』や『ドラゴンプールの怪事件』とか、日本のだと『魔人ゴング』『夜光人間』とか。しかし内容ほとんど記憶になくて、『夜光人間』の裏表紙のにょきっと突き出ている夜光人間がめちゃくちゃ怖いこととか、小林少年がめっちゃ積極的に女装してよくわからん球に閉じ込められて川に流されていたりしたことくらいしか覚えていない。
 児童書って文字を大きくするためかめちゃくちゃでかいのですが、文庫の小さいこと小さいこと。
 考えてみれば当時『ゴクドーくん漫遊記』とかの角川スニーカー文庫で文庫そのものは読んだことあったはずなのですが、『すべてがFになる』は小さいし厚いし文字が小さいしルビがほとんどないし挿絵もないし(当時はまだこのサイズで「めちゃくちゃ分厚い」という感覚だった)で新鮮であった。新鮮で、こういった小さな本は素敵であった。

『本屋の森のあかり』に話が戻るが、4巻に『不思議の国のアリス』の話があって、これは夏休みに児童書コーナーで話の内容をネタバレしていく小学生の話。



(磯谷友紀, 『本屋の森のあかり』4巻, Kissコミックス, p26 より)

 いろいろあって、児童書コーナーしか行かなかった小学生が一般向け書籍に入るのだが、そこでの本はやはり今まで手にとってきた本とは違う——と思わせておいてわりとそうでもない。大人向けの本のほうが絵や図が大きかったり、平易だったりもする。

 しかしそれでも、子どもは手に取らないものなのだ。そこで一段障壁があるからだ。大人のものは大人のものだからだ。
 子どもが一般書のコーナーに行くときに限らず、新しい本を手に取るには(もともと本が好きというのでない限り)何か足掛かりが要る。何かひとつ、乗り越えるための何かが必要で、それがタイトルなり表紙なり、本文とは別の要素なのだ。

 今回の書籍はべつだん子どもがターゲットなのではないが、とにかく手にとって欲しいということで齧り付いてどうにか自分が良いと思うタイトルをなんとか刻むことができた。実際良いかどうかはまた別問題ではあるのだが、とにかく納得できるものにはなった。
 ちなみに『すべてがFになる』のゲーム版は当時すぐには買わず、数年経ってからふと見つけて購入した。打越鋼太朗のパートで急に熱血になっていた。



「帯はこれで良いか」という旨のメールが届く。

 本の帯とかCDの、あのーなんだ、あの、あれよ、ほら、背表紙的なところについている、あのほら、あれ……あれよ、わかる? え? CDは買わない? あっ、はい、いや、そう……というアレなのですが、あの手のやつは中に入れておくというのが一般的だと思う。CDならライナーノーツとか歌詞カードに重ねて(サイズが微妙に大きすぎるときは折れるのを見ないフリ)、本だと帯代わりに使う。

 本に限らないのかもしれないが、自分の所有物を出来る限り最初の状態のまま綺麗にしておきたい、という人は多いと思う(姉がそうである)。
 自分はどっちかというと汚いほうが好きまであるので、水と油。本は南極に行く前に大部分処分してしまったが、たとえば『戦闘妖精・雪風』シリーズだとこんなレベル。形が留められなくなったのでテープで止めている。極端に汚染されていない限りは読めればなんでもいい。



 ちなみに自分の場合、バイクでもそうで、最初に乗ったボルティST1も今乗っているCB223Sも前の持ち主の色が濃く、ボルティだとエンジンガードの棒が突き出ていて、CB223に至ってはシールドが付いていたり、グリップヒーターが付いていたりする(ちなみにグリップヒーターはアクセル回したときに戻りにくくなったので外しました)。

 帯の文言を見ると、『宇宙よりも遠い場所(よりもい)』の予想の影響がでかいのだろうなぁ、と感じられる。あれがバズったというより、正確にはあれにリンクつけてツイートしてくれた人がバズったような気がするが。
 出版社側でそういう認識だとすると、あのリンクツイートをしてくれた人のおかげで出版社に目をつけられたわけで、そう考えるとありがたいものよ。印税は流しません。



 編集側の確認で、大量の赤が入る。誤字脱字ほか、文章的・構造的におかしいところもあったり。

 前回、初稿を送るときに、

今回かなり直したので、たぶん再校のときは大丈夫なはずです。

 などと言っておきながらうひょー恥ずかしー!

 基本的に調子に乗りやすいというか、勢いで行動しやすい性分で、自分自身でもそれがわかっているから日頃はできるだけ感情を動かさないようにしているわけで。自分の中では比較的真面目に見たと思ったから「大丈夫!✌️^q^✌️」とか書いちゃったけど気をつけよう。




 今のところ定価が1200円くらいになってしまうという連絡。

 1200円。
 1GV = 1960円なので、0.61GV。

 うーむ、高いよなぁ、と思いながら近くにあった山内恭 著『南極・北極の気象と気候』をひっくり返してみたら1800円でした。あ、あれ、意外とこんなもの? いやでもこれ新書じゃないのか? 新書サイズだけど。
 わたくしあんまり値段見てもの買うタイプじゃないので、たまに物の値段見るとビビります。結局人間界で生きるのに向いてないのだよな。比較的物欲(というか所有欲)が薄いから助かっている部分はある。

 それはともかく、1200円はいかにも高い。
 前の記事でも書いたとおり、「高くても1000円くらいにしたい」と編集とは話していたので、もうちょっと頑張ってもらう。

 ちなみに安く仕上げたいというのはべつに「みなさまの負担にならずにお手元に届けば……」とかおクソみたいなこと考えているわけではなく、売れてほしいからです。
 理想的には税抜き980円なのだよな。でレジに持っていって1078円……あれ高い、あそうか税抜きかこの値段、くそ、騙された、でももうレジまで持ってきちゃったし、と思っていただきたかった。







2020年7月13日月曜日

書籍化記録:2020年4-5月_ねこだまり


 編集から後半の章含めて全章が戻ってくる。相変わらず長かったので文章を削られる。
 チェックしようとしたところ、最初に『█████』(検閲済み)というタイトルが付けられているのが目に入る。

 む。

 好みではないタイトル。
 うーむ、いかん。いやいかん。
 自分も最初タイトルを『凍てつき村の心臓歌』にしていて、本文とか写真について「良いですね! 素晴らしいですね!」と全肯定・低姿勢で殴ってくる編集が何も言わなかったので「あ、まずいんだな」と思って打ち消したが、これよりは良いと思う。

 とりあえず返信。
1点だけ、いまのうちに聞いておきたいことがあります。
0-1章ファイルでタイトルが載っていたのですが、『█████』だと売れる・売れないはわからないのですが、個人的には現代的であまり好きではないです。
自分も原稿書いている間にタイトルあまり考えていなかったのですが、『南極の火』か『南極への火』あたりだと最後の終章でオチて良いのではないかな、と思うのですが、どうでしょうか? 地味すぎてダメ、キャッチーではないなどあるでしょうか?
(黒塗り部分、削除済み)

 これに対する編集からの返信をまとめると、

  • 社内で企画を取り扱うのに呼称が必要なので仮タイトルをつけた
  • 名付けたのは編集長
  • 最後まで協議していきたい


 編集長か! こうなったら光文社ごとぶっ潰すしかねぇ! くそう、やったらぁ! 

 とりあえず仮案で、
南極の火
南極で心臓の音は聞こえるか
生還の保証なし 59次南極地域探検隊
とタイトル案を出して裏で価格に関する話し合いも進める。
 
 この時点で原稿が約370ページ。いくつかの写真についてはカラーになるため、価格帯は1000円を超えるくらいになりそう、という連絡。

了解です。
税抜きで1000円くらいだとちょうど良いな、と思っていましたが、高くなると少し不安がありますね。出版のことはよくわかりませんが。
「Xページ削ればXX円価格を安くできる」「カラー予定の写真X枚に収めればXX円程度にできる」などの情報で、もし有用そうなものがありましたらお知らせください。

 個人的な論だが、同じ商品でも価格は高いほうが満足度は高い
 なんだっけ、下條信輔の本で読んだような、いわゆる通過儀礼効果みたいなもんで、要は費やした金や時間を正当化するため、高い金額を出したほうが人間は自分自身満足させるものなのだ。

 が、今回は満足度なんぞ知ったこっちゃねぇ。お手軽価格が大好きで、1000円がわかりやすくて良いのだ。税込1080円だと煩悩感があってちょうど良い、などと思ったらそういえば昨今消費税が10%になっていたのだったか。日頃まともな金銭感覚がないので忘れがちである。



 そろそろ完成が近づいてきたあたりで、本に掲載する写真の許可取りを開始するために写真の整理をしていると、「あれ、これって描写して大丈夫なんだろうか」という部分がいくつも出てくる。アレとかアレとかさぁ。
 確認してみると出さんほうが良いのかなー、というのがけっこうある。黒の組織南極観測隊(隊員にそれぞれペンギン種類でコードネームが割り当てられている)。

 出してまずそうなのは出さなくて良いのだが、問題は出して良い情報と出してはいけない情報の区別がつかない。
 こういうときに役立つのが観測隊報告。極地研の学術情報リポジトリには インデックスリスト:日本南極地域報告 でまとまっている。

https://nipr.repo.nii.ac.jp/index.php?action=pages_view_main&active_action=repository_view_main_item_snippet&index_id=1268&pn=1&count=20&order=16&lang=japanese&page_id=13&block_id=104

59次隊なら
[第59次(2017-19)]
-> [第59次日本南極地域観測隊報告]
で見られる。これは公開情報なので、ここに載っているような内容(たとえばビールを5回、どぶろくを2回仕込んだ、とか)は出しても問題ないわけである。もし問題があっても、責任転嫁ができる。



 4月後半、急に月末まで在宅勤務に。
 SNSだと「在宅勤務だと猫が仕事させてくれなぁい❤️ 困るぅ🐓=3🐖=3🐂=3🚗=3」というような発言が散見されるが、うちでは昼飯に起きてくる以外は昼間はたいてい寝ているので何もない。
 というか我が家の猫、保健所でもらってきた方なのだがなんかやけに落ち着いているというか、猫って朝起こしてくるとかそういう話をよく聞くけれど、朝は枕元で座って監視しているだけで特に起こしにはこない。猫のくせに狭いところ入らないし、なんなんだこいつ。もしかして猫じゃない?

 在宅勤務。
 多くの人は研究者がどういうことをやっているのか知らないだろうが、実は研究している。分野によって何をやっているかは違うだろうが、自分は特にパソコンの前に座っていることが多いタイプで、実際修士以降は他人が観測したデータをネット経由でダウンロード→解析というのが9割9分である。気象系は多くのデータが無料で公開されていて、たとえば気象庁の地上観測データなんか日本語であるから簡単に取れるけど、衛星データなんかも簡単に取得できるので解析する力があれば特に(PC以外の)機材はなくても研究ができてしまう。安楽椅子研究者なのだ(こういう話も本には書かれている)(これ宣伝です)(買ってね)(コーナーで差をつけろ)。

 だから在宅勤務でも特に大きな変化はない……と言いたいのだが現在の職場がお役所のお膝元の研究所なのでネットワーク関係が厳しく、外からサーバーに接続できない。PCがあれば良いとはいえ、気象計算をするとなると高い計算能力や大規模な容量を必要とするので、普通のPCだと具合が悪いのだ。
 幸いというか不幸なことに先日出した論文が不受理(リジェクト)で戻ってきたので直すのをメインで行うとわりと時間が経つ。




 編集から、イラストレーターのイラスト案がいくつか送られてくる。ペンギンのイラストでいくつか案があったが、個人的には過剰にデフォルメしすぎない、図鑑レベルから一〜二段階柔らかくしたくらいが良い。漫画でいうと、『ぽんぽこたぬきのティーポット』とか『ねこだまり』とか。いや『ねこだまり』はそうでもないか。でもあれは鳴き声がリアルで好き。
(郷本, 『ねこだまり』1巻, ラバココミックス, p124より)




『ぽんぽこたぬきのティーポット』はクローディアス回がめっちゃ好きなのですが、それを除くとエジプトのミイラの話とかが好き。「ミイラから遺体を復元して3D画像で当時の人間の画像を再現する」というテレビの話に対して、「それってほとんど復活に成功しているのでは?」と言う話。


(森長あやみ, 『ぶんぶくたぬきのティーパーティー』2巻, LAZA COMICS, p100より)

「た、たし蟹!」と思ってしまった。これ元ネタとかあるのかな。



 ドームふじの写真について細々と編集とやりとり。

 日本の基地の中ではもっとも南極点に近い(大陸中心側にある)ドームふじ基地は映画『南極料理人』の舞台で、当時は越冬していたわけですが現在は雪に埋もれていて人はいない。
 書籍の中だと昭和基地のほかにS17、袋浦、みずほ基地、中継拠点、ドームふじといろいろな場所に行っているが、このうちみずほ、中継拠点、ドームふじは内陸と分類される地点で、最も近いみずほ基地ですら片道1週間程度は要する。そんな場所だからそこまで行く人間は少なく、たとえば59次越冬隊の中だと、58次合同のドーム旅行、59次越冬の中継拠点旅行、60次合同のドーム旅行に行った隊員だけで、10人程度。昭和基地〜沿岸くらいで一生を終える隊員は少なくない。

 一度行ってしまえばどういう場所なのか、というのは容易に思い描ける(雪だけだから)ような場所なのだが、実際に行ったことのない人にとっては想像しにくい場所ではあると思う。
 ザ・雪なので、写真もうまい具合に選出しないと何がなんだかわからない。今回のやりとりでたぶんきっとできればわかりやすい写真が掲載できたはずだと思いたい。




 顔が認識できる程度に隊員が写っている写真に関して、掲載許可を取っていく。
 以下、さまざまな隊員からのさまざまな反応。

  • 「ご自由にどうぞ」
  • 「ほかに何か必要なものがあったらご連絡ください」
  • 「本楽しみ」
  • 「変顔なのが不本意」
  • 「論文書いてます?」
  • 「タイトルは『四ツ玉ショット』にしろ」
  • 「印税の何%還元されるのか」

ウォォォォオオ!



 発行部数が8000部で決まる。8000冊限定! うぉおおお! ナウオンセール!(まだ)

 8000部、47都道府県のうち岩手は0で残り46と仮定。あとAmazonとかのWEB書店や図書館が+4ぶん取るとして50。
 とすると1都道府県あたり平均で160冊。1つの都道府県の書店数がどれくらいかわからないが、小さいのも含めると少なくとも100はあるだろうと考えると1店舗あたり1.6冊
 つまり店舗に置かれている1-2冊を買い占めれば書店から小売に注文がかかる……? 騙すか、出版社。かけるぞ、増版。



 細かく図版を調整。
 ついでに初稿も送られてきたりなんかして、一週間で直せとのお知らせ。うっひょー楽勝じゃい、と思ったのだけれど文章直すのってクソ面倒でございますのだよね。

 論文でもそうなのだが、とりあえず後ろを振り返らずに書くのはクソ楽でございますですよなのだけれど、それを細かく直していくのが七面倒くさい。特に今回は書いてからけっこう間が空いているので、どういう流れなのかはちゃんと読まないのかわからない。

 初稿については説明していなかったが、どの本でも同じかどうかはわからないが、今回の出版までには、

  1. 原稿完成(内容が完結)
  2. 初稿確認(一次確認)
  3. 再稿確認(二次・最終確認)
  4. 書籍完成

という流れになるようである。

 初稿は郵送されてきて修正箇所を赤ペンで入れていく。今時紙か。
 紙は確認には良いのだが、赤入れるのにはちょっと不便(字が汚いため)。なのでついでにPDFも送ってもらう。





「そういや参考文献入れたいんだけど」ということを今更ながらに言うと、現在ページ数が320pで、コスト的にちょうど良いサイズと言われる。
 でも他人の都合聞かないマンなのでゴリ押す。

 参考文献って論文書くときには間違いなく必需で、

  1. 前提条件をいちいち書く必要がなくなる
  2. 知ってますよアピールができる

の2つの機能がある。

 1に関しては、たとえばお話だと世俗から隔絶された天才が独自の理論で超技術を作り出したりするのだが、実際はそういうことはありえない。なぜなら前提となる基礎知識がなくては何がわからなくて何がわかるのか、どういう計算が使えるのか、何が駄目で何ならできそうなのか、ということができないからである。特に観測的なデータについては4、5000年にわたる蓄積があってこそのデータなので、ひとりの人間がどれだけ賢くても歴史には及ばない。アインシュタインだって特許庁で働いていたから最先端の科学技術や物理法則、数式を知ることができたのだ。論文検索サイトGoogle Scholarでは『巨人の肩に立つ』というニュートンも引用していた文言が掲げられている。
 新たな知見を生み出すための前提条件について、それらを改めていちいち書き出さずとも済ませてくれるのが引用である。

 2の要素もでかい。
 基本的に論文というのは何かしら新しいことを書くものなので、これまでの常識とは必ずしも合致しないケースもある。これは完全に目新しい、たとえば地球は実は平たいだとかそういう話ではなくてもありうる。
 引用がないと、新しい話やデータが出てきた場合に、「こいつはこの業界のことをわかってない・適切な計算をしていない・適切な手法で解析を行なっていないからこんな結果になっちゃったんじゃないか」と思われかねない。が、適切な論文を引用できていると、「いやちょっとだけ教科書的な認識とは違っているかもしれないけどね?」と念頭に押して新たな知見を表に出せるのである。

 今回は、特に新しい結果を出すわけではない。そもそも研究論文ではないわけで、単純に引っ張ってきた知識を引用すれば良いだけである(一般的にはこういうやり方のほうがスタンダードな引用だろう)。とはいえ論文で書くように調べながら書いているならともかく、聞き齧りの知識だとどういう文献から引用するべきかが不明なことがあったりする。たとえば往復のしらせでは「南極大学」という講座があって、そこで得た知識を書く場合だと適当な引用が思いつかない。普通の大学の授業で得た知識とかもわりとこの傾向がある。

 どうせ使えるページもほとんどないようなので、最低限で適切な引用ができるやつだけにするか……ということで引用は4章の背景知識部分に集約させた。が、蓋を開けてみるとけっこう引用ページ余ったので、これはもうちょい付け足したほうが箔がついたかもしれない。まぁいいか。




 初校返送。

初稿見直し終わりました。すみません、紙になって読みやすくなったのと、外に出して問題ない&都合が悪い部分が明確に確認できたため、けっこう修正を入れています。
今回かなり直したので、たぶん再校のときは大丈夫なはずです。

 と返信メールで書く……が、この時点ではまだかなり見落としがあることがわかっていなかったのであった。






2020年7月11日土曜日

書籍化記録:2020年2-3月_Iconoclasts


 久しぶりに編集から連絡。編集長の承認が取れたとの連絡。あぶねぇまだ刃物を使わずに済んだか。

 残りの章の執筆OK(いやもう書いているんだが)とともに、光文社のnoteで原稿の序盤の試し読みができるようにしてはどうか、という話が来たので承諾しておく。




 南極半島北端のエスペランサ基地(アルゼンチン)で過去最高の18.3℃とのこと。2015年の17.5℃の記録塗り替え。ほーん。

 南極半島というのは南極大陸をカブトエビに見立てたときに尻尾に相当するところ。あるいは横にしたエビの尻尾……いやエビには見えないか、なんだろうこの大陸の形。群馬県民なら鶴にたとえて「かわいい〜」とか言うんだろうけど。
 このあたりはもともと温暖化傾向が強くて………といった蘊蓄を書こうと思ったけど本に書いてあるのでいいよね! 販促! 露骨!

 よく猛暑や異常気象があると「これは温暖化の影響か?」だとか(逆に冷夏だったりすると「温暖化は嘘」とメトロノームみたいなことを)言われたりするけれど、いやぁそんなにざっと断定できたら研究してねぇって。
 せめて「これは温暖化の影響はほぼ確実(発生確率が99-100%)、もしくは可能性が非常に高い(90-100%)ですか?」と訊いていただきたい(IPCC評価報告書的ジョーク)。




 5章(越冬開始)〜7章(終わり)までの執筆完了して送付する。
 ここまで来ると特に波乱万丈ないので書籍化関連で書くことがなくなってきた……と思いきやまだタイトル戦争があるのであった。



『Mount&Blade 2: Bannerlord』の早期アクセス日が3/31で決まってしまう。なんてこった。だらだら過ごしていても「だってまだM&B2発売してないし……」と誤魔化せていたのにそれができなくなった。勘弁してくれ。



『VA-11 Hall-A』人気投票結果発表。「しかしクリープは浮くものだ!」って意味がさっぱりわからんけどボス感があってよいと思いませんか?

 魔都トーキョーシティだと『VA-11 Hall-A』コラボバーがあったりするらしいけど、出てくるカクテルがふもふもドリームとシュガーラッシュだそうでなんか違うんじゃないかと思う。
『VA-11 Hall-A』のカクテルといえば、そう、ビールですよビール。合成ビール。ドノヴァンに大で出すビール。あれほど味が気になる飲料もない。日比谷Barはそのへんよく考えていただきたい。

『VA-11 Hall-A』、めちゃくちゃ好きではあるのだけれど、2回しかクリアしたことないのですよね。裏ルートも行ってない。『N1-RV Ann-A』の発売日が決まったらまたプレイしようと思う。



 編集から読み終わって、細かく修正、調整していく旨の連絡。はい。



 最近解析していた台風19号の論文を投稿する。



 先日投稿していた論文、「書類不備だから送ってくれ」というメールが来ていたのに気づかず数日経過してしまう。すまん英語のメール見たくないマンで。いや日本語のメールも見たくないが。

 また、編集より7月頃に刊行になりそうという連絡。最初の打ち合わせ(というか長野と東京の距離のせいで、結局この1回しか打ち合わせしていない)で「だいたい11ヶ月くらいかかる」という話だったが、ほぼそのとおりになってしまった。




 アクション、『Iconoclasts』をクリア。
 なんだこれは……名作すぎる。

 昨今(=ここ10年くらいの意味)、『Oneshot』『VA-11 Hall A』『死印』『Risk of Rain』『ブラスターマスターゼロ』(2含む)と、「べつに期待せずに買ったけどものすごく好きになってしまった」ゲームがあるが、これもそれに加わる。まじか。なんたることか。これをシナリオ、音楽、ドット、プログラム、すべてをヨアキム・サンドバーグ(konjak)一人で7年かけて作ったというのだから信じられない。いわゆる神ゲーである。
 敢えてダメ出しするとしても「絵がバタ臭い」ということくらいしかない(ドットはかわいくて良い)。本当。また7年くらいかけないとこの作者の作品が出ない可能性が高いというのも欠点か。もっと売れてくれ。SwitchでもPS4でもあるからさ。

 とはいえこれは個人の好みで、良いと思っている部分が人によっては良くないと思われるところもあるだろう(だからSteamでも評価9/10なんだろうし)。
 たとえばメトロイドヴァニアに近い形式ながら、収集要素がものすごく弱いところは個人的にはサクサクプレイできてとても良かったのだが、収集癖のある人にとっては「もの足りない」と感じるかもしれない。
 あるいは登場人物たちが基本的にめちゃくちゃ仲悪くて、お互いに足を引っ張りあっているの、わたくしとても好きなのですが、たぶん人によっては駄目なのだよな。ゲームで「仲間割れのシーンが厭」という人もいるくらいだし。わたくしは大好物です。

 他ゲームだとよくありがちな「仲間だろ」「信頼している」みたいな発言、本当に駄目で、もう集団行動なんてクソねな人間だから仕方ないのだが、とにかくそういう嘘は厭。嘘が厭というか、嘘は好きなのだけれど、明らかに嘘なものを法螺ではなく真実だと言い聞かせているというか、読み取らせているのが気持ち悪くて厭。どう考えても人間汚くてどろどろしているわけで、それを理解した上で言うのは良いけど、そうじゃなくてカルトみたいな集団強制心理を見せつけられたくはない。

『Iconoclasts』でも「仲間だろ」に近いシーンはあったりするのだけれど、そこだと「ここまでいろいろあったしあんたのことは嫌いだけど、いちおうここまで一緒に来たからまぁ………」くらいのすごく緩いもんで、そういうのが本当に良かった。他人は無条件で信頼しないし(作中随一の真人間が仲間のこと信用していない)、努力しても報われないし(命をかけて一か八かの作戦を決行しても成功しないで孤独に死ぬ)、そういういろんな積み重ねがあって人生というか、作品というか、そういった感情がとても良かった。Iconoclastsは偶像破壊者とのこと。






2020年7月9日木曜日

書籍化記録:2020年1月_ブリジット・クリアリー焼殺事件


 この日のために祈願としてAmazon PrimeのDアニメストア体験で『機動戦艦ナデシコ』を観ていた。

『よりもい』に乗っかって光文社が宣伝しているのにアレなことを言うが、実はテレビアニメはほとんど見ない。一定量をちゃんと見たことがあるのは、


  • 『機動武闘伝Gガンダム』(子どもの頃観た)
  • 『名探偵コナン』(同上)
  • 『08小隊』(友人から借りた)
  • 『ラーゼフォン』(同上)
  • 『TIGER & BUNNY』(企業とタイアップが気になって)
  • 『RWBY』(Vol5までYOUTUBEで)
  • 『宇宙よりも遠い場所』(南極で)


くらい(そもそも一人暮らしを始めてから家にテレビがないので、最近のやつは配信サイトでしか観られない)。
 あとは総集編や映画版、OVAも含めると、


  • 『風の谷のナウシカ』等ジブリ
  • 『グレンラガン』
  • 『戦闘妖精・雪風』
  • 『ポケットの中の戦争』
  • 『ガンダムSEED』
  • 『パプリカ』


くらいか……? 映画はけっこうだばだば観るし、ゲームも漫画も小説ももちろん好きで、特にゲームを好むのだが、アニメはあまり好かん。もちろん『ポケモン』とかも観たことはあるけれど、そんなに熱心ではなかったような。

 なぜだろう、と振り返ってみると、第一にアニメは(今は違うのかもしれないが)決まった時間にテレビの前にいなければいけない、というのが厭だった気がする。幼い頃から既に社会性がなかった。小学生の頃はピアノの教室に通っていて、ちょうど帰路がポケモンの時間帯に被っていたというのも理由の一端かもしれない。
 が、それ以上に大きいのは、アニメというのがめちゃくちゃ効率悪い媒体に感じるからかもしれない。

 自分は自分大好き人間なので、自分の中にあるものがいちばん良くて素晴らしいと思っている。だから綺麗な景色見ても「綺麗だなぁ」だけの感想で、むしろその道程で自分の精神に与える影響のほうが大事だったりする。
 だからたとえば小説とか読んでいても、小説そのものの物語が素晴らしいというより、小説が自分の中に形作られたもののほうが大事なのだ。

 森博嗣のエッセイ(たぶん水柿くんシリーズ。いやエッセイじゃ……まぁエッセイか)で、
「読むの早いね。3行ごとに読んでるの?」
「3行ごとに読んだら話がわからないでしょ。3ページごとに読んでるの」
 というようなジョークがあったが、実際自分の読書はこれに近くて、感動した話ほど物語を仔細には覚えていない。書いてある内容よりも、そこから想起されるもののほうが大事だからである。

 だいぶん脱線したが、なんだっけ、えーと、そう、アニメは効率悪いという話である。別の言い方をすればめちゃくちゃ贅沢だといえるかもしれない。
 小説だと一文で読者に想像させて済むところを、アニメだとそのものを視聴者に見せるために頑張って動かさないといけない。いろんな人が協力しなければいけない。それが面倒くさいと感じてしまう。あまり綺麗な絵を見ても大きな情動がないので、自分の中でのインプットとしては格段に効率が悪いのだ。
 オープニングは好きだが、それはオープニングは物語として観ていないからだろう。

 単純に受け身のコンテンツが嫌いなのかもしれない。スポーツ観戦とかも嫌いだし、生放送とか動画とかも見ない。実況動画とか何が良いのかわからない。Youtuberも知らんし、VTuberもマシーナリーとも子くらいしかわからない。
 そのくせ映画は普通に見るのは……なんだろう。なんだ。映画は謎だな。うむ。

 じゃあ一方ゲームはどうか、というと、話がだいぶ長くなりそうなので(しかも面白くない)のでこの話はここで切る。

 祈願ってなんだよと思われるかもしれないが、サバトのネルガルである(この文章を読んでいる読者のうち72%くらいは何を言っているかわからないと思うが、あまり親切な記事ではないので特に説明はしない)。幸い祈願が叶って引けたうえにネフィリムも召喚できた。
 
 初詣。ぶらぶらと徒歩で近くの神社仏閣に赴く。諏訪大社系列とおぼしき神社では神主さんから蜜柑をもらう。




 編集から、編集長が確認中であるとの連絡。良い度胸だ、かかってこい。




 唐突にNintendo Switchが欲しくなる。

 据置機はPS2が最後である。ちなみにPS2はワゴン常連の『バウンサー』のために買った。中学時代の友人のSが最初のムービースキップしてシオンを選択した場合の英語音声の「ドミニィーク」(日本語だと「下がってろ! ドミニク!」)という真似がめちゃくちゃ上手かったという、たぶん誰にも通じない思い出が。

 欲しくなったのは『リングフィットアドベンチャー』みたいな加速度センサーを利用したゲームが面白いな、と思ったからなのだが、しかし『リングフィット』は品薄で買えないし、ほかに何か欲しいのあったけな、うーむ、などと2時間くらいで悩んだものの考えるのが面倒になって購入する。




 Switch届く。小さい……小さいぞ!?

 とりあえず『ARMS』を買ってみたが、めっちゃ画質良いな、と思ってしまう。よくよく考えればPCゲーマーである以上はこの程度の画質見慣れているはずなのだが、上でも書いたとおりコンシューマー機はPS2以来なのである。あれでイメージが止まっているもんだから。

 関係ないこと喋るが(このブログはいつもそうだが)、PS2って初期のやつはわりと読み取りのレーザーが弱くて読み取り不良になりやすかったりする。
 若い読者は知らないかもしれないが、PSはCD-ROMのみ扱っていた一方、PS2はDVD-ROMとPS2用CD-ROM(と既存のCD-DOM)が使えた。PS2用CD-ROMってなんやねんと思われる方もいるかもしれないがたぶん圧縮方式やら何やらが違ってデータ容量が違うものと思われる。『スカイガンナー』とかがそうで、ディスク裏が青かった。

 CDやDVDは「光磁気ディスク」と呼ばれるが、これはレーザーの光を当てて熱した箇所に磁石を近づけると偏光方向が変わることを利用している(『まんがサイエンス』知識)からである。レーザーを当てて跳ね返ってきた変更がどうなっているかで読むのだ。
 だからレーザーが弱くなると読み取り不良となるのだが、初期のPS2は経年劣化でこの読み取り不良になりやすかった。しかし絞りを変えることで出力を戻すことができるということがまことしやかに囁かれている。分解するとメーカー保証外になるが、ハードオフでは大量のジャンクPS2が待っている。




 最近研究所のほうで市民向けのセミナーで話してくれという依頼があったので、そこで本の宣伝をすれば良いのではと思いつく。ひょっひょう金ぇ!
 いちおうお役所なので期日決定が早く、前年(今年)中に決めておかなければならない。のでいまのうちに編集に出版予定日を聞いておく。やることやらんといかん。

 新書である。初版も少ないだろうし、すぐに絶版するというイメージだ。
 個人的に新書は嫌いではなく、特に研究者の書いたものはその人間を研究ごとぐちゃぐちゃにかき混ぜて煮詰めた上澄みを凝縮したようで面白い。

 好きな新書を挙げると、たとえば平賀英一郎の『吸血鬼伝承』がそれだ。
 現存する吸血鬼像、つまり美男美女の白人というのは基本的にブラム・ストーカーの『ドラキュラ』の影響を強く受けている。もともとの吸血鬼は農夫や犯罪者で、火を吐きながら坂道を転がってくる肉袋だったりする。
 こうしたパターンはけっこう多くて、たとえばティンカーベル的な可愛らしい少女の姿の妖精というのはウィリアム・シェイクスピアの『真夏の夜の夢』からであって、もともと妖精というのは日本の妖怪に近い。湖に引き摺り込んで殺す妖精などもいる。
 現代に近づくとコボルトなんかもそうで、もともとは小鬼的な(害が薄く、ものによってはうまく付き合えるタイプの)妖精だったのだが、TRPG『ダンジョンズ&ドラゴンズ』で犬頭戦士の獣人に描かれてから犬頭で描かれるのが一般的になった、などという話もある。
『吸血鬼伝承』は本来の吸血鬼像に立ち返っており、さまざまな吸血鬼の姿や伝承を見ることができる。

 あとは下楠昌哉の『妖精のアイルランド―「取り替え子」(チェンジリング)の文学史』なんかも良い。
『妖精のアイルランド』の何が良いって、とにかく最初のブリジット・クリアリー焼殺事件が良い。
 ブリジット・クリアリー焼殺事件はブリジット・クリアリーが焼き殺された事件である(言い直しただけ)。ブリジットはアイルランドの農村に住まう女性で、うだつのあがらない農夫のもとに嫁いだが気立てがよく洒落者なうえ働き者で、などという描写がありつつ焼き殺される。犯人は夫のマイケル・クリアリー(とその親戚数人)だが、動機は「妻が妖精と入れ替わっていたから」というこの事件、なんと19世紀末、つまり日本だと文明開化した明治期の事件なのである。当時の日本でも「妻が妖怪だったから殺した」という事件はないだろう……と思ったけど時代を遡れば狐が家族に化けていたから燻り殺した(けど狐の幻覚だった)、という話はあったはずなので、比較的現代でも探せばありそうだな。今度探してみよう。

 ちょっと古めなところにいくと宮岡伯人の『エスキモー 極北の文化誌』で書かれている伝承「セドナ」は好き。
 これは犬に嫁いだエスキモーの女性が父親に裏切られ、指を斬られて片目の女神となり、海の底に横たわっている、という話。

 女はセドナとなった。いまセドナは下界の、石とクジラの骨でできたじぶんの家にすんでいる。目はひとつしかない。歩くことはできず、片脚をおり、他の脚をのばして、いざれるだけである。父親はというと、おなじ家に娘とすんでいるが、テントをかぶって横になっているだけである。犬はその戸口にいる。
(宮岡伯人, 1987: 『エスキモー―極北の文化誌』, 岩波新書, p91より)

 という描写で終わる。恐ろしく不気味で気持ち悪く美しい。セドナの民話は一種の生物創造(アザラシがセドナの指から生まれたりする)なので、原初の神々のような性質もあるのかもしれない。

 そんなわけで新書は面白いものが多いのだが、初版部数が少なく、一度買い時を逃すと(昨今はネット通販があるから中古で買いやすくなったとはいえ)なかなか買えない。買い時は逃したくないものである。遠回しにおれの本を買ってねと言っています。
 編集からの回答で、6-7月であろう、ということでそれに合わせてセミナーにしようと思ったがうまくねじ込めなかった。まぁいいや。何事も予定通りに行くとは思えないし。




 Amazon Primeで配信している『The Boys』を見終わる。

 正直序盤から中盤にかけてかなりイライラするのだけれど、最終話になって異様に面白かった(銃撃戦のコントとか)。中盤でもいちおう赤ちゃんビームみたいな面白いところもあるんだけれど、基本的にただゲスなシーンが多くてさほど面白くない。シーズン2以降は最終話みたいなスチャラカバカを継続的にやってほしい。

 ディープが面白すぎる。




『リングフィット』が買えないので代わりに購入した『Fitボクシング』をプレイしているのだが、日頃運動不足なのでごほっごぼごぼとなりながら拳を打ち込んでいる。
 画面ではCV:上坂すみれのキャラが一切呼吸を乱すことなく殴りかかってくるので「すみれ、勘弁してくれ………」と呟いてみる。









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Maira Gall