2019年2月12日火曜日

観測隊/限界医療


 帰路です。10日が経過しました。

 この間、特に何もすることはない——というわけではないのだけれども、基地とか野外に出ているよりは遥かに「やらなければいけないこと」がないので、さぞかし記事を書くのが捗っただろうと思いきやまったくそんなことはなく、しらせ艦内のレンタルビデオ室でビデオ借りて見まくっていました。


 ここに感想でも書き殴ろうかなぁ、と思ったけど『ドッチボール』(*1)とか『ピラニア・リターンズ』(*2)とか『赤ずきんVS狼男』(*3)とかの感想書いても脳を疑われるだけなのでやめておきます。
*1) ドッチボールする映画。
*2) ピラニアが戻ってくる映画。
*3) 赤ずきんが狼男と戦う映画。

 でも『キングスマン』(*4)くらいは許されるか。
 脚本はわりとアレながら、アクションと酷すぎる見せ場は素敵だったのですが、一個だけ展開で気に入らない点が。スパイたちのコードネームがアーサー王と円卓の騎士ネタだったのですが、もっとこう、なんというか、集まって欲しかった。『バトルシップ』(*5)で爺さんたちが集まってくるシーンとか好きな人間としては、映画の主役では決してないけど活躍しうる人間を描いて欲しかったし、円卓の騎士が集うってなんか良いではないか。良いではないか。
*4) 頭が爆発しまくるスパイ映画。
*5) 船が戦う映画。

 とまぁそんなこんなで映画ばっかり見ておりまして、今も『パニックルーム』(*6)見て「こいつ(犯人)強ぇな」とか言いながらこの記事を書いているのですが、そんなことは特に関係なく医療の話です。
*6) パニックルームの映画。

 以前に(しらせ乗船中なのでリンクは貼れないけれど)説明しましたが、観測隊員は11月末の出発前に5回、一堂に会する機会があります。冬の訓練、夏の訓練、そして極地研で3回行われる全体打ち合わせ会合です。
 8月に行われる第一回の全体打ち合わせ会合では、いくつかの書類と資料を手渡されることになりますが、その中には『南極における医療の現状と限界についての説明と承諾について』(以下、『医療の限界』)という書類と同意書があります。この書類は、南極における医療の現状と限界について説明したものです(*7)。
*7) 映画の注記みたい。

 内容を簡単に叙述すると、以下のようになります:

  1. 一般的な医療設備はあるし、基本的な生活の中で起きる怪我や病気には対応できる。基地には外科手術ができる設備もある
  2. 基地で対応不可能な場合に緊急搬送しなければいけないとなった場合、夏ならしらせや航空機で可能性があるが、越冬期間は不可能
  3. 一定量の薬は備品として存在するが、持病があるなら薬を持参すべし
  4. 日本南極観測隊には2名の医療隊員がいる
  5. 南極は特殊なため、危急の事態に陥った場合に国内では起こらないような後遺症が発生する可能性がある
  6. 野外活動では基地のような治療は望めないし、基地にただちに帰ることができない可能性もある
  7. 基地の医療設備は妊娠・出産は考慮していない
  8. 南極での健康判定の結果は個人情報に配慮したうえで活用する
  9. しらせが日本に戻り始めるまえに健康に異常があるとみなされれば帰国命令が下される
  10. 南極は日本ではない


 ご存知の通り、文明圏からはるか遠くに離れた南極です。大戸屋もまさし(*8)もありません。『医療の限界』では、それを突きつけ、「これで良いのだな?」と改めて問いかけるものです。同封される同意書に同意しない限り、観測隊として出発することはできません。
*8) 宇都宮市内にある餃子屋。白米なし、ビールなし、メニューは焼き餃子・水餃子・揚げ餃子のみ、というシンプルな赤単アグロみたいな構成。

 しかしながら(1)で述べているとおり、南極の医療は限界がありますが、まったく存在しないわけではありません。
 昭和基地管理棟の『オングル病院』という看板が掲げられた区画に配備されている設備は、ちょっとした診療所に相当するものであり、

  • ・一般的な治療・手術(全身麻酔・開胸・開腹含む)
  • ・心電図、レントゲン、内視鏡、採血といった一般的な検査
  • ・テレビ会議システムを利用した遠隔医療
  • ・最低限の歯科治療

といったことは可能です。
 逆にいうと、

  • ・歯科医レベルの歯科治療
  • ・妊娠・出産関連の対応
  • ・CTスキャン、MRIなどの高度な検査
  • ・大量の輸血(隊員から取れる以上の輸血)

などは不可能ということになります。
 特に一般に健康とされる隊員でも関係がありそうなのは、歯科治療の関連でしょう。観測隊員には医療従事者であり医者が参加しますが、あくまで医者であり、歯医者ではありません。素人目には何が違うのかわかりませんが、領分が違うそうです。なので出来る限り歯科治療はしなくても良いように、出発前には健康診断での検査 / 歯科治療 /親不知の抜歯 などが言い渡されます。
 また夏期間の砕氷船しらせ乗船中であれば、しらせには船医と歯科医がいるため、歯科治療も可能です。実際、今回の59次越冬隊がしらせに帰還した直後に数人が歯科治療を受けていました。


 さらりと書いてありますが、(4)の医療隊員が2名というのは、他の外国基地にはない特徴です。一般に外国の南極観測隊では医療隊員はせいぜい1名、というところが多く、こうなると長期旅行や医者本人が怪我・病気をしたときに対応できないのですが、日本の観測隊ではそうはなりません。組体操もできます。
 しかしながらいるのは医者だけ。看護師はいません。通常、国内の外科手術では、

  • ・麻酔科医1名 - 患者の管理
  • ・手術担当医2-3名 - 執刀とその助手
  • ・機械出し看護師1名 - 術者に道具を手渡す
  • ・外回り看護師1-2名 - 患者の介助やライトの調整

という役割になるそうですが、南極だと執刀以外の役割と一般隊員が行わなければいけないというわけです。だいぶ怖いですね。手術されるほうも、するほうも(*9)。
*9) 個人的な話だが、過去に人が建物から落ちたときに第一発見者・通報者になってしまったときに、救急から『傷口の状態を確認してください』と言われたときに「怖くて無理です」と答えたことがある。

『医療の限界』には書かれていませんが、隊員に配られる資料の中には、『南極救急医療マニュアル』(以下、医療マニュアル)という小冊子があります。これは医療隊員によって発行されるもので、60ページほどの冊子ですが、船酔いからAEDによる心肺蘇生まで、昭和基地で起こりうるさまざまな症例への対処法が網羅されています。まぁこんなもん現場で読んでいる暇はないのですが、ないよりは頼りにできます。
 この『医療マニュアル』の最大の特徴は、毎年改定されている点です。
 たとえば、第57次越冬隊では帰還直前の夏期間にノロウイルス胃腸炎が発生し、越冬隊・夏隊含めて羅患者30名の大災害となったのですが、これを受けて59次隊の『医療マニュアル』では感染症対策の項目が追加されています。

 さて、59次隊では大きな病気も怪我もなく帰路についています。
 南極観測は冗談抜きに危険と隣り合わせで、今回大きな災害もなかったのは単純に幸運ゆえ、という気もします。だから、まぁ、そういうわけで、なんと申しますか、この幸運が続けば良いのではないでしょうか。


 ちなみに以前の隊では遺体袋を3枚調達したらしく、3人分は基地にあるそうです。本日は以上です。

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Maira Gall