2020年8月12日水曜日

書籍化記録:2020年8月_ラジヲ

 

 ラジオ放送当日の話。

 夏季休暇を取っていて、接続テストは昼からなので寝ていて良いのだけれど、たまに無限に寝てしまうのでいちおう7時半に起きる。相変わらず猫は近くで見守っているだけで起こしてこない。

 起きて猫の水を変えて餌をやって顔を洗って、今から気が重いので食欲がなくてグラノーラだけ食べる。


 メールを見ると朝6時半に構成作家から台本が来ていた。えっ、おまえちゃんと寝てるの……? 

 台本といっても、おそらく想定されるQ&Aがあるだけで、しかも大竹まことも壇蜜も台本に沿って行動しないので台本は気にしなくて自由にやって良いとのこと。大変だな構成作家。六時間以下の睡眠を続けていると身体壊すからな、ちゃんと寝ろよ構成作家。盆と正月は実家に帰れよ、構成作家。


 気が重くてやる気が起きないので、スーパーへ行ってトマトと生ハムとビールを買う。何を作るのかというとトマトファルシですよ。 

 トマトファルシはエースコンバット5に出てきた潜水空母ではなく、トマトをくり抜いた中に肉とか野菜とか詰めるやつである。なんか……あのほら、西のどっかの国の料理だと思う。

 知っているトマトファルシが挽肉やパン粉、野菜を加えてオーブンで焼くタイプなので、オーブンがない我が家では無理かと思っていたが、冷製のもあるらしいということで作ってみることにしたのである。食欲があるのかないのかよくわからぬ。

 作り方は簡単で、ヘタの部分を切ってスプーンで中身を掻き出しておき、硬い部分を刻んだ中身を適当にほかのなんかと混ぜてからトマトに戻すだけである。今回は玉葱、胡瓜、チーズ、生ハム、オリーブオイルを混ぜて塩胡椒とパセリで味付けした。


 自分はトマトが好きで、トマトが野菜最強とすら思っている。

 急に小学生男子みたいな最強議論を始めてしまって恐縮だが、べつだん味が格別に好きかというとそうでもない(嫌いでもないが)。ただ基礎スペックが高い。

 トマトが高度なのは栄養価の高さと「栄養価が高そうな見た目」の両方を保持している点にある。仮に栄養価が高くても栄養価が高そうな見た目をしていないと、心理的な栄養が入ってこないのでいまいち吸収されない気分だが、栄養価が高そうな見た目が心に浸透して衝撃を与える。

 さらに生で食べられるのが素晴らしい。皮を剥く必要がないため、朝もう人生面倒くせぇはぁくそうもう駄目だ、というときは洗ってそのまま食べればいい。焼いてもいい。煮るのもありだ。

 水分が多いのも素敵である。いつも飲み物飲んでいるような人間なので、水分は重要だ。


 余談だが(もうどこから余談なのかわからないが)ラジオで食事の話をしたときに肉ばっかり挙げたのは肉が好きだからではなく、ほかの食べ物だと名前を聞かれても答えられないし味の評価も「なんか味がすごい」とかしか言えないからである(あとただのギャグ)。肉は「柔らかい」と正直に言っておけばとりあえず伝わるのだ。

 閑話休題。



 完成。

 トマトの中身をくり抜いてから他の具材と混ぜて戻すわけで、抜けるのが水分だけなのでどう考えても中に入れる具が余る。余ったぶんはパンに載せて焼くことにする。食欲がないので昼飯はトマトファルシと中身パンだけで良さそう。

 死にそうな調子のまま『Dark Devotion』をTrue Endでクリアして早めの昼食。トマトはよい。微妙にコスパが悪いのが欠点か。いまの1.7倍くらいの大きさのものが通常版になってほしい。


 12時半に接続テスト。

 接続は最初はZoomかSkypeの都合が良いほうで、という話だったが、どっちでも良いので文化放送側の好きなほうにしてほしいと提案してみると、文化放送独自のシステムを用意すると言われていた。えっ、いや、あの、べつにZoomでもいいよ……? 無理しなくても。

 この日までにZoomとSkypeは試していたのだが、Zoomは問題ないけどSkypeは接続できない。なんでじゃ。まぁいいや。

 接続テストは特に問題なし。向こうはなんというか貸し会議室を外から見たような小スペース。よくあるオフィスの長テーブルを連結させて正方形にしたようなものが置かれていて、マイクが六本くらい突き出ている。奥には大きな窓が見え外の風景が見えるが、東京なので電子スクリーンで架空の空を写しているのかもしれない。手前側のこちらとはやはり窓で区切られているので、おそらくあちらが放送側、こちらが制御側で制御側に映し出されているのだろう。


 ちなみにこの日のために3000円くらいのマイク買ったのだけれど、よくよく考えると接続がUSBで、MacBookはUSBもLANポートもないのですよね。穴がUSB-Cとイヤホンしかない。

 USBへの変換ケーブルとLANポートへの変換ケーブルはあるのだけれど、同時には使えない。無線でも繋げるが、音声だけではなくて画像も送るのでWiFiだけというのは少々厳しい、ということでマイクを諦めることに。なんで買ったんだこれ。

 

 その後14時まで仮死状態で、14時15分に再接続。

 繋がりはしたものの、なぜか音声が出ないし向こうも聞こえない。まだ音声切っているのかな? と考えて生放送のことは忘れて一昨日から始めたSwiftの学習を始める。Swift UIはプレビューしながら構築できるので便利なのだが、画面を占拠するのが困り物。まぁ開始までいいじゃろう——などと考えていると向こうの画面が動き、カンペのようなボードに『ミュート解除できますか?』の文字が。あっ、問題あったのこっちか。

 やべっやべっ、と思ったのだが酒飲みながらだとわりと余裕が出るな。逆に何が原因かわからなかったので、一度ブラウザ閉じてもう一度開いたら直った。現在14時21分。あと4分。うひょーぎりぎり。


 生放送開始。手が震える。酒で誤魔化すしかない。クレ556のCM入れてるときにフライングしてしまった。

「蝉の声がめちゃくちゃ聞こえる」というようなことを言われたのだけれど、ヘッドホンをしているせいでよくわからない。Macbookのマイクの集音性が良すぎるのだろうか。もしかすると「東京と違ってクソ田舎の長野だと虫の音なんかが聞こえてきますのねオーホホ」という罵倒だったのかもしれない。

 ちなみに大竹まことは「耳鳴りなのかよくわからない」と言っていた。名雲桂一郎か。


 緊張で言葉が出てこない。

「暑いですね」に対して「南極の昭和基地も今はたぶん(マイナス)30度くらいなので同じくらいですね ^q^」とか想定していたのにそこまでつながらなかった。

 さらにはパニックで極夜が出てこない。相当である。日常会話で言えばうどんが出てこないレベル。「あの〜えっと、蕎麦じゃなくて、その、似てるけどこうあの……白いやつ、ほら、知ってるでしょ?」みたいな状態だった。


 最後に壇蜜がまとめに入っているタイミングで「いやそれは正確ではなくて」とか言い始める研究者にありがちなクソムーヴかましてしまう。うわー。こういう時間配分ができない輩になりたくないと思っていたのに。

 14時58分、終了。

 終わると腹が減ってきた。飲んでいるのでバイクに乗れないため、歩いてセブンイレブンまで行って唐揚げ棒を2本買う。暑い。今日も暑い。






2020年8月5日水曜日

書籍化記録:2020年7月_サイン


 発売日はまだだが、先んじて献本用の書籍9冊が届く。もともとは10冊だったのだが、1冊は「出版されたら1冊送ってくれ」という極地研からのかつての要請に応えて送っておいた。

 残り9冊。さてこの献本はどう扱えば良いんだろうか。ブックオフに売るか(SIMPLE2000シリーズThe最低)。
 そもそも献本という制度、使い方がよくわかっていない。論文でも出すと別刷りという、コピーみたいなものを貰えるのだが、これも使い道がよくわかっていない(昔は人に配ったりしたのだろうが、現代だとオープンアクセスならWEB上でダウンロードできるのでいっそう出番がない)。
 エロ小説とかとカバーすり替えて河川敷に置いておくと男子小中学生が寄ってきて面白いかもしれないが(そこからセクシーコマンドーに目覚めるかもしれないし)、新書サイズなのがネック。

 そういえば学生時代、卒業生が新しく訳した『カラマーゾフの兄弟』(これも光文社であった)を全校生徒に1巻を1冊ずつ配ってくれたような覚えがあるが、あれは訳者が献本を回したのか、訳者自身が購入して配ったのか、学校が買ったのか、それともドストエフスキーの霊がやったのか。
 1学年7クラスだったから3学年でだいたい7, 800人か。簡単のために800人800円だと64万円。うーん……? さすがに訳者が購入というのはないか……? といっても高校の図書費用で軽く出せる金額でもないし。
 なんかよくわからないおっさんが自治体に一千万寄付したりすることがあるらしいし、金はあるところにあるから訳者が買ったのかなぁ。

 理想的には知らない人に読んでもらうことである。というのも知人に読まれるのは恥ずかしいので厭だからである。基本的に自分の人生、誰からも無視されて存在を感じられずに生きたい
 とはいえ、さすがに知らない人にいきなり本を送りつけるのもアレなわけで、しかし宣伝はしなくてはならないし……などと考えていくと、これは「日常会話をするような身近な人間ではないけれど、過去に知人だった(直接は感想を聞かないで済む)人に送るのが正しいのではないか?」と思いつく。急にメールで「本が出ました買って」だとアレだが、一冊送って「本が出ました」と知らせれば、そこから人伝に情報が波及するかもしれないし。

 というわけでメールをしたためてレターパックライトを買ってちまちま発送する。これ送付される前に、出版社から「どこかに送りたいところはありますか?」と訊かれていたので、このときにここまで検討しておけば送料とか節約できたな。うむ。





 書籍発売に伴ってnote記事等が動く。
 書籍発売されたので、なぜか(なぜかではないが)『サイン』の話をします。

『サイン』のあらすじを簡単に説明。主人公のメル・ギブソンは事故で妻と信仰を失った元・神父で、いまは弟とともに息子・娘とたまにキレ散らかしながら一緒に暮らしている。弟はやさぐれているし、子どもたちはそれぞれ問題があって日々悩みつつ生きているのだけれど、あるとき自分の農場でよくわからない事件があってそこから信仰に向き合っていく、というストーリー。

 監督はM・ナイト・シャマラン(毎度シャラマンなのかシャマランなのかわからなくなる。これを書いているときも確認したら間違えていた)。『シックス・センス』で有名な——と書こうとしたが1999年の映画だから、若い読者にとっては上映当時は前世だった可能性すらあるな。
 自分は『シックス・センス』はそこまででもないが、『サイン』は好き(また観たいかと言われたらそうでもないが)。ちなみにFilmarks映画レビューだと3.1/5。めちゃくちゃ面白い映画なのだけれど、きっと友だちと喋りながら見たらつまらないというか、批評しなければいけないような見方だと面白くないと思う。

『サイン』はたぶん観た人間の受け取り方で大きく感想が変わる映画で、個人的には事件そのものには意味がないというか何でも良くて、メル・ギブソンの受け取り方にだけ意味があるのだと思う(メルギブソンの行動も面白いのだが)。
 大事なのは、べつに「神さまがいてすべて見守ってくれている、すべては啓示なのだ」とか「この世には奇跡というものがある」ということではなくて、「無駄じゃなかった」とか、「やればできる」とか、「人生良いこともある」とか、そういう肯定的な感情だと思う。

 冷静になって考えてみればサイン(啓示)のはずがなくて、何がサインだアホかおまえはとメルギブソンをバットでフルスイング、ついでにシャラマンの家もフルスイングという話に持っていきたくなるのだけれど、そうじゃなくて、あれはサインで、だからそういうものなのだと、これで良かったんだと、何も間違っていなかったのだと。ダメだったかもしれないけれど全部ダメなわけじゃなかったと。馬鹿だったかもしれないけど全部馬鹿だったわけじゃなかったと。辛かったけどそれだけじゃなかったのだ、暗い話だけじゃなかった、良いこともあったと。そういう話なのだと思う。

 もしかするとシャマラン監督は別のことを言うかもしれないけれど、シャマランよりわたしのほうがこの映画について詳しいので信じてくれて良いです。あいつ家抵当に入れて映画撮ってるからなやばい。





 あまりに売れ行きが気になりすぎて、暇さえあればAmazonや紀伊國屋書店の在庫を確認してしまうので、自動で在庫を確認してグラフを描くプログラムを書く
 といってもcrontabとかでほんとに自動化してしまうとDOS攻撃みたいになってしまうので、走らせるのは手動(そもそも自宅にサーバーがないので、ノートを開いているときに思いついたときだけ実行)。

 Amazonは途中で在庫補充されてしまったので残り数が見られなくなってしまったが、紀伊國屋はWEB書店の在庫(というか大元の在庫か?)が出ているのでわかりやすい。紀伊國屋在庫ありすぎでは? 不安になる。





 長野市で瞬電に近い停電。研究所にいたのでPC等シャットダウンしてしまったがサーバーはUPS(無停電電源装置。バッテリーがついてて30分〜1時間程度の停電であれば頑張ってくれる装置)があるので大した打撃ではない。

 しかし心配になってくるのが家の猫。こういうときに限って窓を閉めて冷房をかけて出てきた日であった。電力会社のページで見ると家の付近は停電してないから大丈夫かな、と思ったけど怖くて買い物せずに急いで帰ってきたら冷房が止まっていた。うぉう。
 幸い、暑さが収まってくるタイミングだったから「ちょっと暑い」程度で済んだが、午前中から冷房止まっていたらと考えると怖い。

 のでクラウド経由で室温を見られる温度計を購入。
 冷房を入れていてもおそらく日中の室温は外気温に近い日変化を示すだろうと思われるので、どのくらいに閾値取れば異常値=冷房停止なのかを判定するために数日モニタリングしておく必要はあるが、これでとりあえず異常は察知できるようになったぜ。





 ニンテンドーストアのリングフィットアドベンチャーの抽選に応募する。応募しただけで痩せた気になる。さすが任天堂。





 スーパー(書籍に載っていたA COOPではない)でブルーベリーが安く売っているのを見つけて買ってしまう。わたくし、子どもの頃から果物めちゃくちゃ好きで、特に桃、林檎、梨、蜜柑、葡萄あたりが好きです。果物は全人類共通の好物だとわりと最近まで思っていたので、そうでもないことがちょっと衝撃である。

 ブルーベリーは日頃食べる機会が少ないので「好きな果物」として特段挙げることはないものの普通に好き。
 果物は単純に何もつけずに食べたい(苺も練乳かけないほうが好き)が、ベリー系は見ると昔食べたハンバーグのベリーソースがけを思い出す。北極の観測基地、ニーオルスンに行く手前のロンブイヤビエンという小さな炭鉱町があるのですが、そこで食したやつ。たしかトナカイ肉だったような。ハンバーグではなく、ハンバーガーだったかもしれぬ。

 果物のソースというと得体の知れない感がすごいけれど、甘いソースに肉というと照り焼きソースとかも似たようなもので、けっこう合うのである。

 といっても味を覚えているわけではなく、なんとなく美味かったレベルの話なので、てきとうに調べつつソースを作ると意外と美味い。半信半疑で食うのでいっそう美味いのが良い。





 文化放送『大竹まこと ゴールデンラジオ』から出演の依頼が来てしまう。ヴァッ。

 人前に出るの恥ずかしいし、そもそも喋るの苦手だから出たくないのだが、『南極で心臓の音は聞こえるか』の話を中心に、ということなので売り上げ考えると出ないといかんだろうなという打算もある。取り次いでくれた編集の人に「出たら売り上げ上がるか」などと訊いてみて、もし「いやぁそんなでもないよ」と言ってくれれば……と思ったらさすがにそんなに都合の良いことは言われなかった。
 スタジオに来てくれ、という話ならコロナ禍でうまく断れたのだが、リモートで良いとのこと。くそ、うまく逃げ道塞いでくるな。

 本だけではなくこれまでの活動も振り返って、などとも言われたがいったい何を喋れというのか。やはり『魂斗羅スピリッツ』か『超魔界村』か、それとも『風来のシレン』か。少し時代を経て『風のクロノア』か『エアガイツ』か、それとも次世代機で『バウンサー』か。捻って『エアロダンシング4』か。突き詰めて『Fallout: New Vegas』か。

 考えるだけでプレッシャーで吐きそうですが、8月12日(水)の14時25〜50分の「大竹メインディッシュ」というコーナーで出演するそうです。なんだこのコーナー名。こういうことラジオでは言ってはいかんのだよな。いまのうちに言っておこう。





 リングフィット当選。これはもう気分だけで5kgは痩せたな。さす任(さすが任天堂)。





2020年7月16日木曜日

書籍化記録:2020年6月_すべてがFになる


 タイトル攻防戦が続く。

 最近はAV(オーディオ・ヴィジュアルではないほう)もタイトルがなろう小説みたいに全部解説しているらしいとどこかで聞いた。たぶん『失踪した彼女が改造された挙句ドリスコルのヴァンツァーの強化パーツになっていた件〜格97近98遠99回避99〜』みたいなのだろうか。

 新たに編集から、「█████[注:削除済み]」というタイトルを挙げられたのだが……うーむ、ここで退いたらいかんな、ということで厭だという理由をその場で3つ捏ねくりあげる。

『█████』というタイトルがあまり良くないと思う理由は3つあり、ひとつは「南極観測隊が特殊(異常)である」という事実はある程度既出、もしくは予想できる話だと思うのです。
 もちろん観測隊なんて知らない、何をやっているのかわからない、そもそも南極がどこにあるのか知らないという人が大多数だと思いますが、知らないとしても観測隊が特殊ではないと思う人はいないと思います。というのも、「どっか知らんところに行ってなんかやってくる人たち」だからで、たとえば石油掘削行者や蟹工船も特殊なわけです。
 そこに微に入り細に入り見ていくと面白いことはあるのだと思いますが、異常ですよ、と宣伝しても特にタイトルで驚きはないのではないかな、と思います。
 WEBで調べれば無料でいくらでも情報が手に入る時代、日常生活、基地、仕事、行事、たとえば海氷上のそうめんなんかも極地研のHPで出していたりするわけで、単に特殊性を求めるだけならそこで完結してしまうわけですし。
(旧タイトルは削除)

 二つ目の理由としては、理数的な要素が少しでもあるということを匂わせるには軽すぎると思うからです。
 今回、添削過程でだいぶん削ることになりましたが、観測項目や観測隊の活動のほか温暖化やオゾン層などにも平易な内容で簡単に言及しました。その結果として広く受け入れられるものになっている(いてほしい)と思っています。
 しかし『█████』というタイトルは楽しさ全振りでそうした要素を匂わせることができるかというと、難しいのではないかと思います。たとえばスーツを着た50代のくたびれた役職付きのハゲの中年が電車内で読むのに選ぶか、というと難しいのではないでしょうか。
 じゃあほかのタイトルなら中年を狙えるか、というとたぶん狙えないんですね。狙って当てるような層ではないですし。
 ただ『█████』だと楽しすぎる、楽しい要素を求めている人しか取られないとは思っていて、そのためには情報がないほうが良いのではないかと思います。
 現在の序章に合わない、という問題もあります。本屋でタイトルから楽しい南極観測隊を期待してからの序章〜1章だと拍子抜けしてしまいそうです(たとえば序章が海氷そうめんや極寒の和タリアンから始まっていれば別ですが)。
 いちばん何があるか伝わってこないのが『南極で心臓の音は聞こえるか』で、南極以外の情報がゼロなんですね。タイトル見て南極で心臓の音が聞こえるかどうか検証する本だと思う人はいないでしょうし。ただ「なんかよくわかんねぇタイトル」だと思ってもらうことは最低限できると思いますし、楽しいか楽しくないかはともかく、予想がつかない状態で「なんだろう」と思って気にしてもらえれば、手にとってもらえる率が上がるのではないかなと思います。とりあえず手にとってもらわなければ何にもなりませんし。
 また、これが正しい考えなのかどうかわかりませんが、個人的にはタイトルと内容の親和性についてはあまり気にする必要がないのではないか? と思います。タイトルに文句がつけばそれは中身が良かったということですし、そもそも結末に言及したレビューがつく時点で買われて最後まで読まれたということなので(何も文句が付かないほうがまずい)。
(旧タイトルは削除)


 3つ目の理由としては単純に萌えないというか、心中できないというか、あまり好ましくないな、と感じた個人的な我が儘です。

 なにを言っているんだおまえは。

 しかしながら重要なのは最後の3つ目である。
 今回、一般向けに書籍を書いたわけだが、(たぶん)研究者の実績としてこの行為はなんらプラスにならない。基本的に研究者の評価は論文が絶対的で、とにかく論文をたくさん、評価が良いところに掲載されるのが望ましい。
 今回の書籍はあぁ仕事したくねぇだ、金が欲しいだ、お代官さま年貢は待ってけろ、といったことばかり書いているので、研究者としてはむしろマイナスだろう。こんなやつ雇いたくない。

 それでも書籍を書いている間は真面目に(ここでいう「真面目に」とは、四面四角に、という意味ではなく、面白くなるように、という意味である)書いた。

 学生時代にバイトしていたときに客が『LaLa』(少女漫画雑誌)を置いていって、なんでだっけ、処分してくれとかそんなんなんだろうか、客じゃなくて他のバイト店員かも、うーむ、細かいことが、年齢が、重みが、記憶を、消し飛ばして、いく。

 いやまぁそれはさておき、その『LaLa』に『本屋の森のあかり』が載っていた。
『本屋の森』は書店の話なのだが、当時掲載されていたのは夏目漱石の『夢十夜』の回。杜三さん(主人公が想い人の眼鏡)のお父さんが来たけど、杜三さんが仕事で抜けられないの代わりに主人公が東京名所や夏目漱石ゆかりの地を案内するという話だった(『LaLa』巻頭の新連載が飲尿の漫画だった号です)。

 わたくし個人的な法則で『2巻の法則』というのがあって、「漫画は2巻で急に面白くなるのがあるから1巻だけだと判断できない」(逆にいえば、2巻で急につまらなくなったり、あるいは1-2巻続けてつまらないとダメ)というもの。
 わりと『本屋の森のあかり』はそれにあてはまって、1巻は、こう、なんていうか、あの〜こう、女性をターゲットにした話というか。SIMPLE2000シリーズThe偏見だなこれ。
 当時『LaLa』に掲載されていた『本屋の森のあかり』が1巻の回だったらたぶん単行本買わなかっただろうなぁ、という話。

 いや、そうじゃなくて、ええと、何が言いたかったんだったか。こういう話、書いているうちに熱がこもってきて何が言いたいのかよくわからなくなるがいまがその状態です。
 そう、(たぶん)書籍のタイトルである。

 中学生のときだったか、書店に『すべてがFになる』のゲーム版のポスターが貼ってあって「なんじゃこりゃ」と思った。彼岸みたいなところで四季が腰掛けて手を差し出しているようなポスターだったような気がする。
 原作ありと知って読みたくなって講談社文庫のコーナーに向かったわけですが、わりと敷居が高いのだよなああいうところ。

 小学生までは素直に児童書コーナーの本読んでて、特に借りていたのが海外の推理小説で『モルグ街の殺人』や『ドラゴンプールの怪事件』とか、日本のだと『魔人ゴング』『夜光人間』とか。しかし内容ほとんど記憶になくて、『夜光人間』の裏表紙のにょきっと突き出ている夜光人間がめちゃくちゃ怖いこととか、小林少年がめっちゃ積極的に女装してよくわからん球に閉じ込められて川に流されていたりしたことくらいしか覚えていない。
 児童書って文字を大きくするためかめちゃくちゃでかいのですが、文庫の小さいこと小さいこと。
 考えてみれば当時『ゴクドーくん漫遊記』とかの角川スニーカー文庫で文庫そのものは読んだことあったはずなのですが、『すべてがFになる』は小さいし厚いし文字が小さいしルビがほとんどないし挿絵もないし(当時はまだこのサイズで「めちゃくちゃ分厚い」という感覚だった)で新鮮であった。新鮮で、こういった小さな本は素敵であった。

『本屋の森のあかり』に話が戻るが、4巻に『不思議の国のアリス』の話があって、これは夏休みに児童書コーナーで話の内容をネタバレしていく小学生の話。



(磯谷友紀, 『本屋の森のあかり』4巻, Kissコミックス, p26 より)

 いろいろあって、児童書コーナーしか行かなかった小学生が一般向け書籍に入るのだが、そこでの本はやはり今まで手にとってきた本とは違う——と思わせておいてわりとそうでもない。大人向けの本のほうが絵や図が大きかったり、平易だったりもする。

 しかしそれでも、子どもは手に取らないものなのだ。そこで一段障壁があるからだ。大人のものは大人のものだからだ。
 子どもが一般書のコーナーに行くときに限らず、新しい本を手に取るには(もともと本が好きというのでない限り)何か足掛かりが要る。何かひとつ、乗り越えるための何かが必要で、それがタイトルなり表紙なり、本文とは別の要素なのだ。

 今回の書籍はべつだん子どもがターゲットなのではないが、とにかく手にとって欲しいということで齧り付いてどうにか自分が良いと思うタイトルをなんとか刻むことができた。実際良いかどうかはまた別問題ではあるのだが、とにかく納得できるものにはなった。
 ちなみに『すべてがFになる』のゲーム版は当時すぐには買わず、数年経ってからふと見つけて購入した。打越鋼太朗のパートで急に熱血になっていた。



「帯はこれで良いか」という旨のメールが届く。

 本の帯とかCDの、あのーなんだ、あの、あれよ、ほら、背表紙的なところについている、あのほら、あれ……あれよ、わかる? え? CDは買わない? あっ、はい、いや、そう……というアレなのですが、あの手のやつは中に入れておくというのが一般的だと思う。CDならライナーノーツとか歌詞カードに重ねて(サイズが微妙に大きすぎるときは折れるのを見ないフリ)、本だと帯代わりに使う。

 本に限らないのかもしれないが、自分の所有物を出来る限り最初の状態のまま綺麗にしておきたい、という人は多いと思う(姉がそうである)。
 自分はどっちかというと汚いほうが好きまであるので、水と油。本は南極に行く前に大部分処分してしまったが、たとえば『戦闘妖精・雪風』シリーズだとこんなレベル。形が留められなくなったのでテープで止めている。極端に汚染されていない限りは読めればなんでもいい。



 ちなみに自分の場合、バイクでもそうで、最初に乗ったボルティST1も今乗っているCB223Sも前の持ち主の色が濃く、ボルティだとエンジンガードの棒が突き出ていて、CB223に至ってはシールドが付いていたり、グリップヒーターが付いていたりする(ちなみにグリップヒーターはアクセル回したときに戻りにくくなったので外しました)。

 帯の文言を見ると、『宇宙よりも遠い場所(よりもい)』の予想の影響がでかいのだろうなぁ、と感じられる。あれがバズったというより、正確にはあれにリンクつけてツイートしてくれた人がバズったような気がするが。
 出版社側でそういう認識だとすると、あのリンクツイートをしてくれた人のおかげで出版社に目をつけられたわけで、そう考えるとありがたいものよ。印税は流しません。



 編集側の確認で、大量の赤が入る。誤字脱字ほか、文章的・構造的におかしいところもあったり。

 前回、初稿を送るときに、

今回かなり直したので、たぶん再校のときは大丈夫なはずです。

 などと言っておきながらうひょー恥ずかしー!

 基本的に調子に乗りやすいというか、勢いで行動しやすい性分で、自分自身でもそれがわかっているから日頃はできるだけ感情を動かさないようにしているわけで。自分の中では比較的真面目に見たと思ったから「大丈夫!✌️^q^✌️」とか書いちゃったけど気をつけよう。




 今のところ定価が1200円くらいになってしまうという連絡。

 1200円。
 1GV = 1960円なので、0.61GV。

 うーむ、高いよなぁ、と思いながら近くにあった山内恭 著『南極・北極の気象と気候』をひっくり返してみたら1800円でした。あ、あれ、意外とこんなもの? いやでもこれ新書じゃないのか? 新書サイズだけど。
 わたくしあんまり値段見てもの買うタイプじゃないので、たまに物の値段見るとビビります。結局人間界で生きるのに向いてないのだよな。比較的物欲(というか所有欲)が薄いから助かっている部分はある。

 それはともかく、1200円はいかにも高い。
 前の記事でも書いたとおり、「高くても1000円くらいにしたい」と編集とは話していたので、もうちょっと頑張ってもらう。

 ちなみに安く仕上げたいというのはべつに「みなさまの負担にならずにお手元に届けば……」とかおクソみたいなこと考えているわけではなく、売れてほしいからです。
 理想的には税抜き980円なのだよな。でレジに持っていって1078円……あれ高い、あそうか税抜きかこの値段、くそ、騙された、でももうレジまで持ってきちゃったし、と思っていただきたかった。







2020年7月13日月曜日

書籍化記録:2020年4-5月_ねこだまり


 編集から後半の章含めて全章が戻ってくる。相変わらず長かったので文章を削られる。
 チェックしようとしたところ、最初に『█████』(検閲済み)というタイトルが付けられているのが目に入る。

 む。

 好みではないタイトル。
 うーむ、いかん。いやいかん。
 自分も最初タイトルを『凍てつき村の心臓歌』にしていて、本文とか写真について「良いですね! 素晴らしいですね!」と全肯定・低姿勢で殴ってくる編集が何も言わなかったので「あ、まずいんだな」と思って打ち消したが、これよりは良いと思う。

 とりあえず返信。
1点だけ、いまのうちに聞いておきたいことがあります。
0-1章ファイルでタイトルが載っていたのですが、『█████』だと売れる・売れないはわからないのですが、個人的には現代的であまり好きではないです。
自分も原稿書いている間にタイトルあまり考えていなかったのですが、『南極の火』か『南極への火』あたりだと最後の終章でオチて良いのではないかな、と思うのですが、どうでしょうか? 地味すぎてダメ、キャッチーではないなどあるでしょうか?
(黒塗り部分、削除済み)

 これに対する編集からの返信をまとめると、

  • 社内で企画を取り扱うのに呼称が必要なので仮タイトルをつけた
  • 名付けたのは編集長
  • 最後まで協議していきたい


 編集長か! こうなったら光文社ごとぶっ潰すしかねぇ! くそう、やったらぁ! 

 とりあえず仮案で、
南極の火
南極で心臓の音は聞こえるか
生還の保証なし 59次南極地域探検隊
とタイトル案を出して裏で価格に関する話し合いも進める。
 
 この時点で原稿が約370ページ。いくつかの写真についてはカラーになるため、価格帯は1000円を超えるくらいになりそう、という連絡。

了解です。
税抜きで1000円くらいだとちょうど良いな、と思っていましたが、高くなると少し不安がありますね。出版のことはよくわかりませんが。
「Xページ削ればXX円価格を安くできる」「カラー予定の写真X枚に収めればXX円程度にできる」などの情報で、もし有用そうなものがありましたらお知らせください。

 個人的な論だが、同じ商品でも価格は高いほうが満足度は高い
 なんだっけ、下條信輔の本で読んだような、いわゆる通過儀礼効果みたいなもんで、要は費やした金や時間を正当化するため、高い金額を出したほうが人間は自分自身満足させるものなのだ。

 が、今回は満足度なんぞ知ったこっちゃねぇ。お手軽価格が大好きで、1000円がわかりやすくて良いのだ。税込1080円だと煩悩感があってちょうど良い、などと思ったらそういえば昨今消費税が10%になっていたのだったか。日頃まともな金銭感覚がないので忘れがちである。



 そろそろ完成が近づいてきたあたりで、本に掲載する写真の許可取りを開始するために写真の整理をしていると、「あれ、これって描写して大丈夫なんだろうか」という部分がいくつも出てくる。アレとかアレとかさぁ。
 確認してみると出さんほうが良いのかなー、というのがけっこうある。黒の組織南極観測隊(隊員にそれぞれペンギン種類でコードネームが割り当てられている)。

 出してまずそうなのは出さなくて良いのだが、問題は出して良い情報と出してはいけない情報の区別がつかない。
 こういうときに役立つのが観測隊報告。極地研の学術情報リポジトリには インデックスリスト:日本南極地域報告 でまとまっている。

https://nipr.repo.nii.ac.jp/index.php?action=pages_view_main&active_action=repository_view_main_item_snippet&index_id=1268&pn=1&count=20&order=16&lang=japanese&page_id=13&block_id=104

59次隊なら
[第59次(2017-19)]
-> [第59次日本南極地域観測隊報告]
で見られる。これは公開情報なので、ここに載っているような内容(たとえばビールを5回、どぶろくを2回仕込んだ、とか)は出しても問題ないわけである。もし問題があっても、責任転嫁ができる。



 4月後半、急に月末まで在宅勤務に。
 SNSだと「在宅勤務だと猫が仕事させてくれなぁい❤️ 困るぅ🐓=3🐖=3🐂=3🚗=3」というような発言が散見されるが、うちでは昼飯に起きてくる以外は昼間はたいてい寝ているので何もない。
 というか我が家の猫、保健所でもらってきた方なのだがなんかやけに落ち着いているというか、猫って朝起こしてくるとかそういう話をよく聞くけれど、朝は枕元で座って監視しているだけで特に起こしにはこない。猫のくせに狭いところ入らないし、なんなんだこいつ。もしかして猫じゃない?

 在宅勤務。
 多くの人は研究者がどういうことをやっているのか知らないだろうが、実は研究している。分野によって何をやっているかは違うだろうが、自分は特にパソコンの前に座っていることが多いタイプで、実際修士以降は他人が観測したデータをネット経由でダウンロード→解析というのが9割9分である。気象系は多くのデータが無料で公開されていて、たとえば気象庁の地上観測データなんか日本語であるから簡単に取れるけど、衛星データなんかも簡単に取得できるので解析する力があれば特に(PC以外の)機材はなくても研究ができてしまう。安楽椅子研究者なのだ(こういう話も本には書かれている)(これ宣伝です)(買ってね)(コーナーで差をつけろ)。

 だから在宅勤務でも特に大きな変化はない……と言いたいのだが現在の職場がお役所のお膝元の研究所なのでネットワーク関係が厳しく、外からサーバーに接続できない。PCがあれば良いとはいえ、気象計算をするとなると高い計算能力や大規模な容量を必要とするので、普通のPCだと具合が悪いのだ。
 幸いというか不幸なことに先日出した論文が不受理(リジェクト)で戻ってきたので直すのをメインで行うとわりと時間が経つ。




 編集から、イラストレーターのイラスト案がいくつか送られてくる。ペンギンのイラストでいくつか案があったが、個人的には過剰にデフォルメしすぎない、図鑑レベルから一〜二段階柔らかくしたくらいが良い。漫画でいうと、『ぽんぽこたぬきのティーポット』とか『ねこだまり』とか。いや『ねこだまり』はそうでもないか。でもあれは鳴き声がリアルで好き。
(郷本, 『ねこだまり』1巻, ラバココミックス, p124より)




『ぽんぽこたぬきのティーポット』はクローディアス回がめっちゃ好きなのですが、それを除くとエジプトのミイラの話とかが好き。「ミイラから遺体を復元して3D画像で当時の人間の画像を再現する」というテレビの話に対して、「それってほとんど復活に成功しているのでは?」と言う話。


(森長あやみ, 『ぶんぶくたぬきのティーパーティー』2巻, LAZA COMICS, p100より)

「た、たし蟹!」と思ってしまった。これ元ネタとかあるのかな。



 ドームふじの写真について細々と編集とやりとり。

 日本の基地の中ではもっとも南極点に近い(大陸中心側にある)ドームふじ基地は映画『南極料理人』の舞台で、当時は越冬していたわけですが現在は雪に埋もれていて人はいない。
 書籍の中だと昭和基地のほかにS17、袋浦、みずほ基地、中継拠点、ドームふじといろいろな場所に行っているが、このうちみずほ、中継拠点、ドームふじは内陸と分類される地点で、最も近いみずほ基地ですら片道1週間程度は要する。そんな場所だからそこまで行く人間は少なく、たとえば59次越冬隊の中だと、58次合同のドーム旅行、59次越冬の中継拠点旅行、60次合同のドーム旅行に行った隊員だけで、10人程度。昭和基地〜沿岸くらいで一生を終える隊員は少なくない。

 一度行ってしまえばどういう場所なのか、というのは容易に思い描ける(雪だけだから)ような場所なのだが、実際に行ったことのない人にとっては想像しにくい場所ではあると思う。
 ザ・雪なので、写真もうまい具合に選出しないと何がなんだかわからない。今回のやりとりでたぶんきっとできればわかりやすい写真が掲載できたはずだと思いたい。




 顔が認識できる程度に隊員が写っている写真に関して、掲載許可を取っていく。
 以下、さまざまな隊員からのさまざまな反応。

  • 「ご自由にどうぞ」
  • 「ほかに何か必要なものがあったらご連絡ください」
  • 「本楽しみ」
  • 「変顔なのが不本意」
  • 「論文書いてます?」
  • 「タイトルは『四ツ玉ショット』にしろ」
  • 「印税の何%還元されるのか」

ウォォォォオオ!



 発行部数が8000部で決まる。8000冊限定! うぉおおお! ナウオンセール!(まだ)

 8000部、47都道府県のうち岩手は0で残り46と仮定。あとAmazonとかのWEB書店や図書館が+4ぶん取るとして50。
 とすると1都道府県あたり平均で160冊。1つの都道府県の書店数がどれくらいかわからないが、小さいのも含めると少なくとも100はあるだろうと考えると1店舗あたり1.6冊
 つまり店舗に置かれている1-2冊を買い占めれば書店から小売に注文がかかる……? 騙すか、出版社。かけるぞ、増版。



 細かく図版を調整。
 ついでに初稿も送られてきたりなんかして、一週間で直せとのお知らせ。うっひょー楽勝じゃい、と思ったのだけれど文章直すのってクソ面倒でございますのだよね。

 論文でもそうなのだが、とりあえず後ろを振り返らずに書くのはクソ楽でございますですよなのだけれど、それを細かく直していくのが七面倒くさい。特に今回は書いてからけっこう間が空いているので、どういう流れなのかはちゃんと読まないのかわからない。

 初稿については説明していなかったが、どの本でも同じかどうかはわからないが、今回の出版までには、

  1. 原稿完成(内容が完結)
  2. 初稿確認(一次確認)
  3. 再稿確認(二次・最終確認)
  4. 書籍完成

という流れになるようである。

 初稿は郵送されてきて修正箇所を赤ペンで入れていく。今時紙か。
 紙は確認には良いのだが、赤入れるのにはちょっと不便(字が汚いため)。なのでついでにPDFも送ってもらう。





「そういや参考文献入れたいんだけど」ということを今更ながらに言うと、現在ページ数が320pで、コスト的にちょうど良いサイズと言われる。
 でも他人の都合聞かないマンなのでゴリ押す。

 参考文献って論文書くときには間違いなく必需で、

  1. 前提条件をいちいち書く必要がなくなる
  2. 知ってますよアピールができる

の2つの機能がある。

 1に関しては、たとえばお話だと世俗から隔絶された天才が独自の理論で超技術を作り出したりするのだが、実際はそういうことはありえない。なぜなら前提となる基礎知識がなくては何がわからなくて何がわかるのか、どういう計算が使えるのか、何が駄目で何ならできそうなのか、ということができないからである。特に観測的なデータについては4、5000年にわたる蓄積があってこそのデータなので、ひとりの人間がどれだけ賢くても歴史には及ばない。アインシュタインだって特許庁で働いていたから最先端の科学技術や物理法則、数式を知ることができたのだ。論文検索サイトGoogle Scholarでは『巨人の肩に立つ』というニュートンも引用していた文言が掲げられている。
 新たな知見を生み出すための前提条件について、それらを改めていちいち書き出さずとも済ませてくれるのが引用である。

 2の要素もでかい。
 基本的に論文というのは何かしら新しいことを書くものなので、これまでの常識とは必ずしも合致しないケースもある。これは完全に目新しい、たとえば地球は実は平たいだとかそういう話ではなくてもありうる。
 引用がないと、新しい話やデータが出てきた場合に、「こいつはこの業界のことをわかってない・適切な計算をしていない・適切な手法で解析を行なっていないからこんな結果になっちゃったんじゃないか」と思われかねない。が、適切な論文を引用できていると、「いやちょっとだけ教科書的な認識とは違っているかもしれないけどね?」と念頭に押して新たな知見を表に出せるのである。

 今回は、特に新しい結果を出すわけではない。そもそも研究論文ではないわけで、単純に引っ張ってきた知識を引用すれば良いだけである(一般的にはこういうやり方のほうがスタンダードな引用だろう)。とはいえ論文で書くように調べながら書いているならともかく、聞き齧りの知識だとどういう文献から引用するべきかが不明なことがあったりする。たとえば往復のしらせでは「南極大学」という講座があって、そこで得た知識を書く場合だと適当な引用が思いつかない。普通の大学の授業で得た知識とかもわりとこの傾向がある。

 どうせ使えるページもほとんどないようなので、最低限で適切な引用ができるやつだけにするか……ということで引用は4章の背景知識部分に集約させた。が、蓋を開けてみるとけっこう引用ページ余ったので、これはもうちょい付け足したほうが箔がついたかもしれない。まぁいいか。




 初校返送。

初稿見直し終わりました。すみません、紙になって読みやすくなったのと、外に出して問題ない&都合が悪い部分が明確に確認できたため、けっこう修正を入れています。
今回かなり直したので、たぶん再校のときは大丈夫なはずです。

 と返信メールで書く……が、この時点ではまだかなり見落としがあることがわかっていなかったのであった。






2020年7月11日土曜日

書籍化記録:2020年2-3月_Iconoclasts


 久しぶりに編集から連絡。編集長の承認が取れたとの連絡。あぶねぇまだ刃物を使わずに済んだか。

 残りの章の執筆OK(いやもう書いているんだが)とともに、光文社のnoteで原稿の序盤の試し読みができるようにしてはどうか、という話が来たので承諾しておく。




 南極半島北端のエスペランサ基地(アルゼンチン)で過去最高の18.3℃とのこと。2015年の17.5℃の記録塗り替え。ほーん。

 南極半島というのは南極大陸をカブトエビに見立てたときに尻尾に相当するところ。あるいは横にしたエビの尻尾……いやエビには見えないか、なんだろうこの大陸の形。群馬県民なら鶴にたとえて「かわいい〜」とか言うんだろうけど。
 このあたりはもともと温暖化傾向が強くて………といった蘊蓄を書こうと思ったけど本に書いてあるのでいいよね! 販促! 露骨!

 よく猛暑や異常気象があると「これは温暖化の影響か?」だとか(逆に冷夏だったりすると「温暖化は嘘」とメトロノームみたいなことを)言われたりするけれど、いやぁそんなにざっと断定できたら研究してねぇって。
 せめて「これは温暖化の影響はほぼ確実(発生確率が99-100%)、もしくは可能性が非常に高い(90-100%)ですか?」と訊いていただきたい(IPCC評価報告書的ジョーク)。




 5章(越冬開始)〜7章(終わり)までの執筆完了して送付する。
 ここまで来ると特に波乱万丈ないので書籍化関連で書くことがなくなってきた……と思いきやまだタイトル戦争があるのであった。



『Mount&Blade 2: Bannerlord』の早期アクセス日が3/31で決まってしまう。なんてこった。だらだら過ごしていても「だってまだM&B2発売してないし……」と誤魔化せていたのにそれができなくなった。勘弁してくれ。



『VA-11 Hall-A』人気投票結果発表。「しかしクリープは浮くものだ!」って意味がさっぱりわからんけどボス感があってよいと思いませんか?

 魔都トーキョーシティだと『VA-11 Hall-A』コラボバーがあったりするらしいけど、出てくるカクテルがふもふもドリームとシュガーラッシュだそうでなんか違うんじゃないかと思う。
『VA-11 Hall-A』のカクテルといえば、そう、ビールですよビール。合成ビール。ドノヴァンに大で出すビール。あれほど味が気になる飲料もない。日比谷Barはそのへんよく考えていただきたい。

『VA-11 Hall-A』、めちゃくちゃ好きではあるのだけれど、2回しかクリアしたことないのですよね。裏ルートも行ってない。『N1-RV Ann-A』の発売日が決まったらまたプレイしようと思う。



 編集から読み終わって、細かく修正、調整していく旨の連絡。はい。



 最近解析していた台風19号の論文を投稿する。



 先日投稿していた論文、「書類不備だから送ってくれ」というメールが来ていたのに気づかず数日経過してしまう。すまん英語のメール見たくないマンで。いや日本語のメールも見たくないが。

 また、編集より7月頃に刊行になりそうという連絡。最初の打ち合わせ(というか長野と東京の距離のせいで、結局この1回しか打ち合わせしていない)で「だいたい11ヶ月くらいかかる」という話だったが、ほぼそのとおりになってしまった。




 アクション、『Iconoclasts』をクリア。
 なんだこれは……名作すぎる。

 昨今(=ここ10年くらいの意味)、『Oneshot』『VA-11 Hall A』『死印』『Risk of Rain』『ブラスターマスターゼロ』(2含む)と、「べつに期待せずに買ったけどものすごく好きになってしまった」ゲームがあるが、これもそれに加わる。まじか。なんたることか。これをシナリオ、音楽、ドット、プログラム、すべてをヨアキム・サンドバーグ(konjak)一人で7年かけて作ったというのだから信じられない。いわゆる神ゲーである。
 敢えてダメ出しするとしても「絵がバタ臭い」ということくらいしかない(ドットはかわいくて良い)。本当。また7年くらいかけないとこの作者の作品が出ない可能性が高いというのも欠点か。もっと売れてくれ。SwitchでもPS4でもあるからさ。

 とはいえこれは個人の好みで、良いと思っている部分が人によっては良くないと思われるところもあるだろう(だからSteamでも評価9/10なんだろうし)。
 たとえばメトロイドヴァニアに近い形式ながら、収集要素がものすごく弱いところは個人的にはサクサクプレイできてとても良かったのだが、収集癖のある人にとっては「もの足りない」と感じるかもしれない。
 あるいは登場人物たちが基本的にめちゃくちゃ仲悪くて、お互いに足を引っ張りあっているの、わたくしとても好きなのですが、たぶん人によっては駄目なのだよな。ゲームで「仲間割れのシーンが厭」という人もいるくらいだし。わたくしは大好物です。

 他ゲームだとよくありがちな「仲間だろ」「信頼している」みたいな発言、本当に駄目で、もう集団行動なんてクソねな人間だから仕方ないのだが、とにかくそういう嘘は厭。嘘が厭というか、嘘は好きなのだけれど、明らかに嘘なものを法螺ではなく真実だと言い聞かせているというか、読み取らせているのが気持ち悪くて厭。どう考えても人間汚くてどろどろしているわけで、それを理解した上で言うのは良いけど、そうじゃなくてカルトみたいな集団強制心理を見せつけられたくはない。

『Iconoclasts』でも「仲間だろ」に近いシーンはあったりするのだけれど、そこだと「ここまでいろいろあったしあんたのことは嫌いだけど、いちおうここまで一緒に来たからまぁ………」くらいのすごく緩いもんで、そういうのが本当に良かった。他人は無条件で信頼しないし(作中随一の真人間が仲間のこと信用していない)、努力しても報われないし(命をかけて一か八かの作戦を決行しても成功しないで孤独に死ぬ)、そういういろんな積み重ねがあって人生というか、作品というか、そういった感情がとても良かった。Iconoclastsは偶像破壊者とのこと。






2020年7月9日木曜日

書籍化記録:2020年1月_ブリジット・クリアリー焼殺事件


 この日のために祈願としてAmazon PrimeのDアニメストア体験で『機動戦艦ナデシコ』を観ていた。

『よりもい』に乗っかって光文社が宣伝しているのにアレなことを言うが、実はテレビアニメはほとんど見ない。一定量をちゃんと見たことがあるのは、


  • 『機動武闘伝Gガンダム』(子どもの頃観た)
  • 『名探偵コナン』(同上)
  • 『08小隊』(友人から借りた)
  • 『ラーゼフォン』(同上)
  • 『TIGER & BUNNY』(企業とタイアップが気になって)
  • 『RWBY』(Vol5までYOUTUBEで)
  • 『宇宙よりも遠い場所』(南極で)


くらい(そもそも一人暮らしを始めてから家にテレビがないので、最近のやつは配信サイトでしか観られない)。
 あとは総集編や映画版、OVAも含めると、


  • 『風の谷のナウシカ』等ジブリ
  • 『グレンラガン』
  • 『戦闘妖精・雪風』
  • 『ポケットの中の戦争』
  • 『ガンダムSEED』
  • 『パプリカ』


くらいか……? 映画はけっこうだばだば観るし、ゲームも漫画も小説ももちろん好きで、特にゲームを好むのだが、アニメはあまり好かん。もちろん『ポケモン』とかも観たことはあるけれど、そんなに熱心ではなかったような。

 なぜだろう、と振り返ってみると、第一にアニメは(今は違うのかもしれないが)決まった時間にテレビの前にいなければいけない、というのが厭だった気がする。幼い頃から既に社会性がなかった。小学生の頃はピアノの教室に通っていて、ちょうど帰路がポケモンの時間帯に被っていたというのも理由の一端かもしれない。
 が、それ以上に大きいのは、アニメというのがめちゃくちゃ効率悪い媒体に感じるからかもしれない。

 自分は自分大好き人間なので、自分の中にあるものがいちばん良くて素晴らしいと思っている。だから綺麗な景色見ても「綺麗だなぁ」だけの感想で、むしろその道程で自分の精神に与える影響のほうが大事だったりする。
 だからたとえば小説とか読んでいても、小説そのものの物語が素晴らしいというより、小説が自分の中に形作られたもののほうが大事なのだ。

 森博嗣のエッセイ(たぶん水柿くんシリーズ。いやエッセイじゃ……まぁエッセイか)で、
「読むの早いね。3行ごとに読んでるの?」
「3行ごとに読んだら話がわからないでしょ。3ページごとに読んでるの」
 というようなジョークがあったが、実際自分の読書はこれに近くて、感動した話ほど物語を仔細には覚えていない。書いてある内容よりも、そこから想起されるもののほうが大事だからである。

 だいぶん脱線したが、なんだっけ、えーと、そう、アニメは効率悪いという話である。別の言い方をすればめちゃくちゃ贅沢だといえるかもしれない。
 小説だと一文で読者に想像させて済むところを、アニメだとそのものを視聴者に見せるために頑張って動かさないといけない。いろんな人が協力しなければいけない。それが面倒くさいと感じてしまう。あまり綺麗な絵を見ても大きな情動がないので、自分の中でのインプットとしては格段に効率が悪いのだ。
 オープニングは好きだが、それはオープニングは物語として観ていないからだろう。

 単純に受け身のコンテンツが嫌いなのかもしれない。スポーツ観戦とかも嫌いだし、生放送とか動画とかも見ない。実況動画とか何が良いのかわからない。Youtuberも知らんし、VTuberもマシーナリーとも子くらいしかわからない。
 そのくせ映画は普通に見るのは……なんだろう。なんだ。映画は謎だな。うむ。

 じゃあ一方ゲームはどうか、というと、話がだいぶ長くなりそうなので(しかも面白くない)のでこの話はここで切る。

 祈願ってなんだよと思われるかもしれないが、サバトのネルガルである(この文章を読んでいる読者のうち72%くらいは何を言っているかわからないと思うが、あまり親切な記事ではないので特に説明はしない)。幸い祈願が叶って引けたうえにネフィリムも召喚できた。
 
 初詣。ぶらぶらと徒歩で近くの神社仏閣に赴く。諏訪大社系列とおぼしき神社では神主さんから蜜柑をもらう。




 編集から、編集長が確認中であるとの連絡。良い度胸だ、かかってこい。




 唐突にNintendo Switchが欲しくなる。

 据置機はPS2が最後である。ちなみにPS2はワゴン常連の『バウンサー』のために買った。中学時代の友人のSが最初のムービースキップしてシオンを選択した場合の英語音声の「ドミニィーク」(日本語だと「下がってろ! ドミニク!」)という真似がめちゃくちゃ上手かったという、たぶん誰にも通じない思い出が。

 欲しくなったのは『リングフィットアドベンチャー』みたいな加速度センサーを利用したゲームが面白いな、と思ったからなのだが、しかし『リングフィット』は品薄で買えないし、ほかに何か欲しいのあったけな、うーむ、などと2時間くらいで悩んだものの考えるのが面倒になって購入する。




 Switch届く。小さい……小さいぞ!?

 とりあえず『ARMS』を買ってみたが、めっちゃ画質良いな、と思ってしまう。よくよく考えればPCゲーマーである以上はこの程度の画質見慣れているはずなのだが、上でも書いたとおりコンシューマー機はPS2以来なのである。あれでイメージが止まっているもんだから。

 関係ないこと喋るが(このブログはいつもそうだが)、PS2って初期のやつはわりと読み取りのレーザーが弱くて読み取り不良になりやすかったりする。
 若い読者は知らないかもしれないが、PSはCD-ROMのみ扱っていた一方、PS2はDVD-ROMとPS2用CD-ROM(と既存のCD-DOM)が使えた。PS2用CD-ROMってなんやねんと思われる方もいるかもしれないがたぶん圧縮方式やら何やらが違ってデータ容量が違うものと思われる。『スカイガンナー』とかがそうで、ディスク裏が青かった。

 CDやDVDは「光磁気ディスク」と呼ばれるが、これはレーザーの光を当てて熱した箇所に磁石を近づけると偏光方向が変わることを利用している(『まんがサイエンス』知識)からである。レーザーを当てて跳ね返ってきた変更がどうなっているかで読むのだ。
 だからレーザーが弱くなると読み取り不良となるのだが、初期のPS2は経年劣化でこの読み取り不良になりやすかった。しかし絞りを変えることで出力を戻すことができるということがまことしやかに囁かれている。分解するとメーカー保証外になるが、ハードオフでは大量のジャンクPS2が待っている。




 最近研究所のほうで市民向けのセミナーで話してくれという依頼があったので、そこで本の宣伝をすれば良いのではと思いつく。ひょっひょう金ぇ!
 いちおうお役所なので期日決定が早く、前年(今年)中に決めておかなければならない。のでいまのうちに編集に出版予定日を聞いておく。やることやらんといかん。

 新書である。初版も少ないだろうし、すぐに絶版するというイメージだ。
 個人的に新書は嫌いではなく、特に研究者の書いたものはその人間を研究ごとぐちゃぐちゃにかき混ぜて煮詰めた上澄みを凝縮したようで面白い。

 好きな新書を挙げると、たとえば平賀英一郎の『吸血鬼伝承』がそれだ。
 現存する吸血鬼像、つまり美男美女の白人というのは基本的にブラム・ストーカーの『ドラキュラ』の影響を強く受けている。もともとの吸血鬼は農夫や犯罪者で、火を吐きながら坂道を転がってくる肉袋だったりする。
 こうしたパターンはけっこう多くて、たとえばティンカーベル的な可愛らしい少女の姿の妖精というのはウィリアム・シェイクスピアの『真夏の夜の夢』からであって、もともと妖精というのは日本の妖怪に近い。湖に引き摺り込んで殺す妖精などもいる。
 現代に近づくとコボルトなんかもそうで、もともとは小鬼的な(害が薄く、ものによってはうまく付き合えるタイプの)妖精だったのだが、TRPG『ダンジョンズ&ドラゴンズ』で犬頭戦士の獣人に描かれてから犬頭で描かれるのが一般的になった、などという話もある。
『吸血鬼伝承』は本来の吸血鬼像に立ち返っており、さまざまな吸血鬼の姿や伝承を見ることができる。

 あとは下楠昌哉の『妖精のアイルランド―「取り替え子」(チェンジリング)の文学史』なんかも良い。
『妖精のアイルランド』の何が良いって、とにかく最初のブリジット・クリアリー焼殺事件が良い。
 ブリジット・クリアリー焼殺事件はブリジット・クリアリーが焼き殺された事件である(言い直しただけ)。ブリジットはアイルランドの農村に住まう女性で、うだつのあがらない農夫のもとに嫁いだが気立てがよく洒落者なうえ働き者で、などという描写がありつつ焼き殺される。犯人は夫のマイケル・クリアリー(とその親戚数人)だが、動機は「妻が妖精と入れ替わっていたから」というこの事件、なんと19世紀末、つまり日本だと文明開化した明治期の事件なのである。当時の日本でも「妻が妖怪だったから殺した」という事件はないだろう……と思ったけど時代を遡れば狐が家族に化けていたから燻り殺した(けど狐の幻覚だった)、という話はあったはずなので、比較的現代でも探せばありそうだな。今度探してみよう。

 ちょっと古めなところにいくと宮岡伯人の『エスキモー 極北の文化誌』で書かれている伝承「セドナ」は好き。
 これは犬に嫁いだエスキモーの女性が父親に裏切られ、指を斬られて片目の女神となり、海の底に横たわっている、という話。

 女はセドナとなった。いまセドナは下界の、石とクジラの骨でできたじぶんの家にすんでいる。目はひとつしかない。歩くことはできず、片脚をおり、他の脚をのばして、いざれるだけである。父親はというと、おなじ家に娘とすんでいるが、テントをかぶって横になっているだけである。犬はその戸口にいる。
(宮岡伯人, 1987: 『エスキモー―極北の文化誌』, 岩波新書, p91より)

 という描写で終わる。恐ろしく不気味で気持ち悪く美しい。セドナの民話は一種の生物創造(アザラシがセドナの指から生まれたりする)なので、原初の神々のような性質もあるのかもしれない。

 そんなわけで新書は面白いものが多いのだが、初版部数が少なく、一度買い時を逃すと(昨今はネット通販があるから中古で買いやすくなったとはいえ)なかなか買えない。買い時は逃したくないものである。遠回しにおれの本を買ってねと言っています。
 編集からの回答で、6-7月であろう、ということでそれに合わせてセミナーにしようと思ったがうまくねじ込めなかった。まぁいいや。何事も予定通りに行くとは思えないし。




 Amazon Primeで配信している『The Boys』を見終わる。

 正直序盤から中盤にかけてかなりイライラするのだけれど、最終話になって異様に面白かった(銃撃戦のコントとか)。中盤でもいちおう赤ちゃんビームみたいな面白いところもあるんだけれど、基本的にただゲスなシーンが多くてさほど面白くない。シーズン2以降は最終話みたいなスチャラカバカを継続的にやってほしい。

 ディープが面白すぎる。




『リングフィット』が買えないので代わりに購入した『Fitボクシング』をプレイしているのだが、日頃運動不足なのでごほっごぼごぼとなりながら拳を打ち込んでいる。
 画面ではCV:上坂すみれのキャラが一切呼吸を乱すことなく殴りかかってくるので「すみれ、勘弁してくれ………」と呟いてみる。









2020年7月7日火曜日

書籍化記録:2019年12月_天元無限智勇双全ブラスターマスターゼロ2


 第1-2章が4章に分けられて戻ってくる。編集曰く、「かなり大幅にカットし、原稿を入れ替えています」とのこと。実際、大幅に削られていたうえ、


  1. 航海
  2. S17観測
  3. S17と昭和基地と船の往復
  4. 過去追憶
  5. 昭和基地で越冬開始
  6. 中継拠点旅行
  7. ドームふじ旅行


という章構成になったわけである。

 こうなると1章のパンチ力が弱い。しらせは船であり、航海中の南極感が薄い。とりあえずのっけに金の話をブチ込んでみたものの、パワー感が足りない。最初にぶん殴ってから始めるぐらいの初動が必要である。
 しかし序章で(長いし冗長だから外すかと思って勝手に削除した)S17でのブリザード描写を戻して欲しいということで、それならまぁ最初に南極感がある描写が入るからアリか……ということで進める。

 1章が完全に航海部分になり、2章が大陸氷床斜面S17での活動、3章がS17と昭和基地の夏(S17については大半2章で語ったので昭和基地がメイン)という形で、章は細分化されたがそのぶんだけ場所が分けられて立地的な差異がわかりやすくなった……と思う。たぶん。

 章分けというおおまかな区切りはそんなところだが、細かく削除・添削されていた場所もあった。特に気になった部分は以下である。

タイの男の半分はゲイ。もう半分はゲイになる。
タイ人留学生による心に残るパワーワードだったのだが、削除されていた。

ちょうどダブルラリアットをしている屈強なプロレスラーにダンプカーが突っ込んできても弾き飛ばされるように
「ちょうどダブルラリアットをしている屈強なプロレスラーのように」に修正されていて、ダンプカー部分が消えていた。もしかして編集はプロレスラーがダンプカーを弾き返せないと勘違いしている?

キン肉マンの超人もいる。タイガーマスクもいるし、サンダーライガーもいる。ザ・グレート・サスケも。多すぎる。覆面レスラーが多すぎる。
は丸ごと削除されていた。
 光文社はプロレスを忌み嫌っている……?🤐 いやわたしもあとはヨシヒコとケニー・オメガくらいしか知らない程度のプロレス知識しかないのだが(両方とも覆面ではないが)。

何よりも大事なのは、喰って飲むことである。フリーマントルは港町だ。海老がでかいし、酒が美味い。Little Creaturesという名の地ビールがあるのだが、これがとても生臭い。上流住宅街に生えているハイソな草みたいな匂いがして生臭いのだが、これが美味いのだ。
しらせが出発するオーストラリア港フリーマントルの地ビール、リトル・クリーチャーズの宣伝が消えていた。金もらって宣伝していたわけではないが、好きなのに。誰か送ってください。

大事マンブラザーズバンドの「負けないこと、投げ出さないこと、逃げ出さないこと、信じ抜くこと」という歌に対してと同じくらい「どれが一番なんだよ」と言いたくなるが
歌詞は大事マンブラザーズバンド『それが大事』(1991, 作詞・作曲 立川俊之)より。

たとえば結婚については、
「子どもは可愛いですよ」
「それに子どもは可愛いし……」
「あと子どもが可愛い」
という有用なアドバイスがいただけた。
あまりに有用なアドバイスすぎて消されたものと思われる。


 逆になぜか残っていたものとして、
南極の研究観測活動でいえば花形だ。野球なら四番、フルコースならメインディッシュ、機動戦士ガンダムならゲルググだ。
があるのだが、果たしてゲルググは花形なのか。
『ジオニックフロント 機動戦士ガンダム0079』ではドムがスーパースターで、スピード感がそれまでの機体とまったく異なっており最&高なのだが、一度ドムを使い始めると他の機体が遅すぎて戻れなくなるという弊害もあった。



 Steam版『ブラスターマスターゼロ2』をクリアする。

 リメイク(正式にはリメイクではないらしいが)元の『超惑星戦記 メタファイト』はファミコンで1988年に出たゲームで同い年じゃねぇか、さすがにプレイしたことはないのだが、『ブラスターマスターゼロ』は南極で3DSで遊んでいた。見た目はレトロながら洗練されたデザインでテンポが良く、ガイアシステムが素晴らしい。何より演出が良かった。ゼオグセブってこいつ、魂斗羅スピリッツのラスボスじゃない?(SFC世代感)

 あとイラストレーターの夏目裕司のコメントが、



などと酷くて好き。

——人類の”新しい性癖(instinct)”を・・・生み出してみたいと思った
(上のTwitter画像より引用)
は名言。夏目くん大丈夫か。

 余談になるが、『悪魔城ドラキュラ』シリーズのIGAがキックスターターで1000%を超えて出資を受けた『Bloodstained』というゲームがあるのだが、本編である『Ritual of Night』のほかに、キックスターターのストレッチゴール達成の結果として8bitふうアクションの『Curse of the Moon』が発売されている。
 3Dで美麗なビジュアルの『RoN』に対して『CotM』は2Dのレトロなドットゲームなのだが、演出で言えばCotMのほうが優れていた。ゲームとしてはどちらも面白いのだが、特にファイナルアタックの点でCotMは演出に優れる。このCotMを開発していたのが『ブラスターマスターゼロ』シリーズのインティ・クリエイツである。女の子を機械に繋ぐのが大好きなだけの会社じゃないんだぞ。

 さて『ゼロ2』だが、ここまで綺麗に(そして欠点を残したままで)続編に昇華させた作品も珍しい。次回作では移動システムはもうちょっと改善してください。それ以外は文句の付けようもない。あ、いや、でもあの梯子飛び移ったりするステージは勘弁して。

 こういう(見た目)レトロなゲームについて熱く語っていると『異世界おじさん』感がすごいな。南極は異世界だからあんまり間違ってないし。
 実際、レゲーではないが、
「Figureheadsが繋がらない……!? なんでだ、たかふみ!?」
「おじさんが南極行ってる間にFigureheadsは終わったよ……」
「War of the Brainsも! またメンテか!?」
「ウォーブレも廃村したよ」
「リブートしたのに!?」
「リブートしたけど……」
という具合だったから。



 猫が人を駄目にするクッションの上で尿をする。猫に駄目にされた人を駄目にするクッション。そうだよなぁ、中のビーズが砂みたいなもんだもんなぁ………!
 カバーが尿に侵入を防いではいたものの、

・洗ってもまたされてしまう
・クッションで慣れて布団などでされると困る

ということで捨てることを決意。ちなみにこのクッション、初任給で買ったもののような気がする。



 新1-4章に朱を入れたものを返送する。
 いくつか気になったところを記述して、具体的には以下のようなことを編集宛に書く。

・口語的な部分について
→体言止めが多くなってきて、特に「こと」で終わる表現が口語的すぎるのではないかと思いました。
これはターゲットとしている層がどのような層なのか、という問題もあるのですが、転換に「じゃあ」という表現や感嘆符の多用があるとあまりに軽くなってしまうと思います。
「〜ということ」「〜だから」というような表現も口語的で、わかりやすく読み聞かせているような印象を感じるので、「〜ということである/ためである」もしくは「〜ということだ」という書き方のほうが良いのではないかと思います。
また、「次章で綴ってみよう」「どうなってしまうのか?」といった語りかけが親しみを感じさせるものになっていますが、「親しみが持てる研究者(=一般的な研究者の怜悧な像ではなく柔和で親近感のある存在)」ではインパクトが薄く、「南極で異常な行為を淡々と行う頭がおかしい人」のほうが売れるのではないでしょうか?
もしこの本が想定以上に売れる可能性があるとすれば、SNS等で拡散されることしかないのだと思いますが、そのためには一言で述べられるような要素が必要で、「この本は南極について詳しく書いた本です」だとか「親しみやすくわかりやすく解説している」とかそういう丁寧な話ではなく、真面目にバカなことを書いているだとか文章が意味わからんだとかそういった取り繕っていない部分で押したほうがまだ可能性があるのではないかと思います。
要はこれ、「わかりやすくするな」「優しくするな」「親しみを持たせるな」ということで改めて読み返すと何言ってるんや山岡はん感が強い。
 しかし個人的には理解できる(そりゃそうだ、自分で書いたんだから)話で、ぶっちゃけ親しい知人が書いた本とか読みたくない。わかりやすく読み聞かせしてくれる話よりも、得体の知れないじゅるじゅるした生き物のほうが興味が湧く。

 昨今はSNS等でどんな媒体であれ作者と読者(視聴者)の距離が近い時代であるが、距離感の近い作家というのはべつに嬉しくはない。神林長平に会いたいとは思わないし、マーティンに会っても「ダイエットして『冬の狂王』をさっさと書け。『Elden Ring』に協力している場合か」とビンタするイメージしかない。そういうわけで、親しみの高さは捨ててもっと気持ち悪さを推したいのである。

・主語について
→上の内容と関連しますが、「我々」「わたしは」という主語が多く追加されていますが、省略した方が読者が入り込むのに良いのではないでしょうか?(個人的な内容の多い序章と4章は例外ですが)
これもわりと何言ってんだよ感が高いが、改めて見返すとやっぱり何言ってんだよ感が強い。編集は研究者のこういうコメント見て適当に相槌打たなければいけないから大変である。苦労がしのばれる。

・目次に統一性が欲しい
→序章より先に読者が目に入るのが目次なのだから、当たり障りのないもので済ませないほうが良いと思います。
長く書いた怪我の功名というか、章が分割されたのである程度期間に広がりができたので、目次で時間の幅がわかるように日付(年と月)を入れた方が良いと思う、ということで以下のように追加しつつ、各節もいくらか変更しました。
これは比較的理解ができる話で、なんというか目次というのは説明書である。
 昨今は電子化されることが多く、説明書を読む機会は本当に減った。しかし説明書は楽しかった。正直ゲームやらなくて説明書だけでも良いレベルで、それでも足りなければ昔は攻略本があった。SFCの時代は実際にゲームを買わず、攻略本で済ませていた物もあったくらいである。

 もともとの目次というか章タイトルは最初の送付時点では、

  • 1章:お金持ちにはなれない
  • 2章:少年Aから始めよう
  • 3章:ヴァルハラ
  • 4章:No Money, No Pride

 というものだった。まぁわりと問題があるのでこれが修正されるのは仕方ないとして、章の中の節にそれぞれ日付を振っていた(たとえば「2017年12月2日、しらせ出港」のように)のだが、それも削除されてしまった。しかしこうなるといまひとつ統一性が感じられない。
 完全に新規の客がどういう要素で本を買うかというと、まず手に取るかのとっかかりとなるのはタイトル8割、表紙2割くらいだと思うのだが、手に取らせたあとは最初の2、3ページ(本文に入る以前)で興味を引けないとアウトだろう。つまり目次である。

・機械にはいくらか規格や型番が入っていたほうが良さそう
→しらせやヘリ名称について、いくらか規格の数値部分を戻しました(全長など)。
サイズ感に意味があるというよりは、数値的なものや型番があると男性としてはなんとなく格好良さのようなものがあるかと思います。
女性でも、自販機の高さが183cmなので小栗旬や向井理と比較したりして感じいるらしいので、一見してただの羅列にしか見えない数値データが興奮を掻き立てるものになるのではないか、ということでしらせのデータを戻したり、ヘリの型番(AS350など)を追加しました。
何言ってんだこいつ。

 そのほか、細々とした部分を修正し、その旨を書いた。たとえば、

P2 :「地球全体の課題解決に向けて」
「地球の諸問題を解決する」「環境問題を解決する」「人類の役に立つ」という方向になってしまっている気がするが、あまり人類貢献的な話になると趣旨がずれる気がする。

P10:耐寒訓練に関して
サンダーライガーやタイガーマスクの名を出すのはまずいのか? 近年ではプロレス関係は受けないのか?

P4:昭和基地の素敵なホテル
「素敵な」という皮肉がフランス革命的で少し気になる。

P8:「1月7日。我々は数日前に待機チームの名を返上し、この日、既にS17に戻っていた。」
同じネタは2回がせいぜいと思われる。
(*「大気チーム」と「待機チーム」をかけたネタが出てくる二度目の文章。しかし思い返してみると、これ自分で書いたのでは?)

P16:電気を失い、チームの空気はかなり重くなった
このあたりも仲良しグループのような感覚がある。

P2:「ポンとそれだけの金を出せれば、南極は遠くない。」
「札束でペンギンの頬を叩く」という表現はまずいか?

P11:「やはり南極の気象観測は大切だと言いたい。」
あまり言いたくはない。
昨今、日本のノーベル賞の受賞などがあると受賞した科学者が「基礎研究は大事。基礎研究にもっと国は力を注ぐべき」というようなことを言ったりするが、個人的にはあまりそういったことは思わない。無駄といえばその通りで、もしかすると発展的な内容が生まれるかもしれないが、ほとんどは無駄である(序文では糞尿にたとえているが)。
全般を通してだが、「(基礎)研究が尊く、人間の未来に通して必要であるもの」ということを書くのではなく、「とりあえずそれで成立している仕事」として書きたい。
(*ノーベル賞受賞科学者がというより、その周りか)

 などである。以前のメールを見返しつつこの記録を書いている(引用くくりは注記がない限り原文ママ)のだが、見返すにつけ「編集者にならなくて良かったなぁ」と思う。




 編集から1〜4章へのコメントに対する返信が戻ってくる。
 たとえば上の、
・「サンダーライガーやタイガーマスクはまずいのか?」という疑問に対して、「ストーリーとしてつながるように全体を整えることを最優先にして長い表現を削った」
・「ペンギンの頬を札束で叩くのはまずいのか?」という疑問に対して、「少しきつい言い回しなので一旦カットにした」など。




 メガクリスマス!

『スナック バス江』と『VA-11 Hall-A』を混ぜた同人誌、『Bar バル原』を出すというサークルがあるというのを聞いて本が欲しくなる。





 年休取って年末年始休暇に突入。
 めまいが通って7章3節クリア。怒闘で残りひとりのギリギリ。ありがとうアラストール。




 年末に入ってから、南極で中継拠点旅行中に発症した顎関節炎に似た状態で左の顎が熱を持って痛い。口が1cmくらいしか開けられず、隙間から辛うじて食物を入れても咀嚼できない状態が2日ほど続いていた。ひどくなったときにちょうど年末に入って病院が閉鎖状態だったため寝るしかなかった。

 バイクもバイク屋に預けてしまっているため、歩行の振動ですら響く痛みを堪えながら薬局に相談してみたところ、恒例のバファリン。
 そして効くバファリン。洋画で洗面台でバファリンを煽るわけである。ようやく落ち着いて寝正月を迎えられる。







2020年7月5日日曜日

書籍化記録:2019年11月_シャイニング続編


 Amazonプライムで『カットバンク』を観る。
 ドラマ版『ファーゴ』と同じ監督という話。『ファーゴ』は映画版しか観たことがないが、一種独特の映画である。両方とも舞台がクソ田舎という点が共通している。

『カットバンク』が『ファーゴ』と大きく違う点が登場人物のひとり、ダービーにある。『ファーゴ』が変な顔の男なら『カットバンク』はダービーなのだ。
 ダービーはクソ田舎のさらに森の奥のような僻地に住んでいる(森の動物の剥製とかを作って売っている?)男性なのだが、本作ではこのナード野郎にしか見えないダービーが大活躍、などと書いてしまうとスチャラカしながら田舎町で起きた事件を解決する流れに見えてしまうが間違っていないようなそうでもないような。唐突にレベルを上げずに物理で殴りはじめるので驚く。あのぐらい大雑把に生きたい。



『シャイニング』の続編が出るとのこと。
 なぜか映画の話題が2つ続いてしまったので、長々となんか語っても良いかなと思い始める。『ラ・ラ・ランド』とか。ちなみに映画の話題が続くのは、書籍のほうだとゲームや漫画関連の話をほぼシャットアウトしている代わりに「映画なら大丈夫だろ」と盛り込んだ流れで。

 観た方はわかると思うけど『シャイニング』は本編はあんまり怖くなくて、たとえばジャケットにもなっているジャックが斧でドア壊すシーンで「あぁ、そんな雑な攻撃して」と心配していると反撃されたり、奥さんにあっさりワンキル喰らって謎の力でリスポン(保管庫脱出)したり、アヘ顔で凍っていたりと気軽に楽しめる映画である。

 ただ唯一めちゃくちゃ怖いシーンがあって、それがあの犬ですよ。
(観たことない方は「シャイニング 着ぐるみ」とかで検索してみてください)

 映画後半、実質的な主人公であるジャックの奥さんがホテルの中を逃げ回すシーンがあるのだが、その際に過去のホテルの情景と思しきシーンをいくつか見ることになる。そのうちのひとつが客室らしき場所で衆道的行為(婉曲表現)に耽っているおっさんと犬なのか熊なのかよくわからない着ぐるみを着た男。おっさんと犬男がカメラ側を向くシーン。あれが異常に怖い。

 何が怖いかというと説明するのが難しく、単純に犬男の着ぐるみの顔が気持ち悪いというのもあるが、得体の知れなさがものすごい。婉曲表現に耽っていたというのはわかるのだが、場違いさが溢れ出ていて、無理矢理地面から生えてきたような異物感が恐ろしい。牛肉の中から筍が生えているかのようなイメージ。何もかもが恐ろしい。



 第三章(越冬編)と、ついでに第四章+終章(帰路編)まで書き終わる。それぞれ6万字、2万字。文字数を抑えめにしたので早い。

 構成として、越冬期間のほぼ大半を扱った第3章は本来の期間に変換するとかなり長い。
 おおまかな流れとしては、

[2章]
南極出発前の準備行動

[1章]
2017年11月末:日本出発→オーストラリア着&しらせ乗船
2017年12月末:南極到着、夏観測開始

2018年1月末:夏期間終了

[3章]
2018年2月:越冬期間開始

|2018年9-10月:中継拠点旅行

[4章]
|2018年11月-2019年1月末:ドームふじ旅行

2019年2月:越冬終了、しらせ乗船
2019年3月:オーストラリア着&日本帰国

という流れになっている。つまり、出発前期間である2章を除くと、

  • 1章 - 2ヶ月ちょい
  • 3章 - 9ヶ月
  • 4章 - 5ヶ月

となっている。これだけ長い期間があればいろいろと語ることがあろうというもので、実際にあるにはあるのだが、越冬期間について長々と語るには二つ問題がある。

 ひとつはわりと内輪ネタ気味になりそうなこと。細かいネタは伝わらないので、あまり細かいことを言っても仕方がない。

 もうひとつは語れる範囲の問題である。
 このブログを書いているのは初校を終えた段階(すべての原稿を書き終えて確認する最初の段階)で、次に直す機会はもう再校しかない。
 再校では基本的に初校で直した部分がきちんと反映されているか確認するだけで、基本的には大きく直せないと言われているので、実質的にもう書いてしまったものは出てしまうと考えるほかない(こういう言われたところをきちんと守ろうとするのがダメだと思うので、再校では初校の5倍くらい直したい)。

 しかし南極観測では情報発信等に公序良俗とかにゃんかこういろいろ厳しくて。観測隊員として活動している頃よりは(7-9月の記事で書いたように)自由にはなっているのだけれど、下手すると出てすぐ発禁とかありそうで怖い。

 だいたい輸送の海上自衛隊(しらせ)関連がまず難しくて、そもそも観測隊と別組織だし「威容の保持(軍人らしくしっかり見せよう)」という概念があるから、あんまりアレに書けない。アレもまずいしこれもまずい、耐寒訓練(往路で南極が接近した頃に行われる、水着等で外に出て上から水かけジジイが現れる訓練)なんかもまずいかな……と思ったら『宇宙よりも遠い場所』のHPで出ていたり、どこまで良いのかがよくわからない。

 観測隊自体も南極が国際協調の場とか言っててうわーもっとクソみたいな内容書きたいんじゃという欲求が抑えられない。
 海氷上でそうめんするのは良いんだっけ。調べる。あるな。極地研のHPですら出てる。大丈夫。
 じゃあ観測隊がビン入りの宇宙人の脳に精神支配されていることは? 調べる。ないな。じゃあ書けない。わずかな望みはグリーマックスが明らかにフレイバー・テキストに無関心なことだ。 

 というような地味な流れをのちのちすることになるのだが、とりあえずこの段階では下調べせずに全部書き殴った次第である。

 編集へメール。
ひとまずこちらのほうで考えたぶんは書き終わりました。以下、だいたいの文字数です。
序章+第1章(夏):10万字(送信済)
第2章(南極に行くまで):2万8千字(送信済)
第3章(越冬):5万9千字
第4章+終章(越冬終わり〜帰国):2万字
3章以降、比較的少なめに書いたので1章が減らせればある程度少なめの文字数になるのではないかな、と思います。
そちら1章の確認はどうなっていますでしょうか?
とプレッシャーをかけていく。

 現況、正直言って編集との力関係を図りかねている。
 基本的に最終決定権があちらにあり、しかも正式な契約書類がない現況、優勢なのは間違いなく編集側だろう、と考えている。
 しかし今回は生産的な行動をしないことにかけては右に出る者がいない研究者に依頼して本を書かせるという話なわけで、とすると相手も「研究者って下手につつくとウィトゲンシュタインみたいに火かき棒持って暴れ回りそう」と思って下手に出てくるだろう。

 とすると、今回の出版は、

  • 決定権があるけど下手に出る出版社 対 裁量部分ないが強気に出られる研究者

という構図になる。いやだからなんだよという話ですが。







2020年7月4日土曜日

書籍化記録:2019年10月_台風19号通過


 チリアットが自爆する。チリアット……!

 編集から先月送った半端な第一章のうち、序章についてのおおよその修正案が送られてくる。といってもこの部分はあくまで前節のようなものなので、特に大きな修正部分はない。




 台風19号通過。




 第一章(12-2月の夏のS17観測編)が完成したので、写真とともに送る。11万字。

 今回の原稿であるが南極到着後の夏のS17(大陸上の観測地点)編となっている。もともとブログを見ていた方ならある程度時系列はわかるかもしれないが、順を追って解説していく。

 まず自分の南極関連の出来事をある程度イベント・期間分けをしていくと以下のようになる。


  1. 高校での南極に行くきっかけ
  2. 大学〜大学院時代
  3. 極地研就職
  4. 冬・夏訓練、訓練航海、およびその他訓練
  5. 出発〜航海
  6. [夏]南極氷床斜面S17観測拠点での観測
  7. [夏]昭和基地、その他での活動
  8. [冬]越冬開始
  9. [冬]中継拠点旅行
  10. [冬]ドームふじ旅行
  11. 帰路
  12. その後

 構成にあたってまず考えたのは「とりあえず南極に着いたところから始めるべきだろう」ということである。大人気の大御所であるまいし、凡骨デュエリストの新書など手に取って読まれたとしても最初の数ページ。そこでとりあえず南極の厳しさを叩き込んでやらなければなるまい。
 そういうわけで、最初に南極到着後の話から進めなければいけないだろう、ということで、


  • 序章:S17の終盤(6の終盤)
  • 第1章:航海〜南極氷床斜面S17観測拠点での観測(5の後半〜6、7)
  • 第2章(未筆):高校〜大学〜大学院〜訓練〜出発(1〜5の前半)


というまとめかたをしてみた。つまり、第1章の終わりが序章につながり、第2章はさらに遡って第1章につなげる形である。
 こうすることで、いきなり「南極らしい南極」(夏の昭和基地はまったく南極らしくない)からスタートしたうえで、第1章では徐々に肩慣らししながら南極に到達できる、という具合である。第2章は南極に行くまでの準備や訓練を書いておきたいものの、直接的な南極描写がないため後ろに譲った形で、これも逆に第2章から第1章につながる形だ。『メメント』か。

 さらに、


  • 第3章(未筆):越冬開始〜中継拠点旅行(8〜9)
  • 第4章(未筆):ドームふじ旅行〜帰路、その後(10〜12)


で終われば起承転結、史上最強、痛快無比、天元無限、智勇双全の全4章でキリが良いだろう、ということでほくそ笑む。この完璧な構成に編集は反論もないはずだ!




「1章までの文字数を新書のページ数に換算すると、約240ページになる。新書はせいぜい200-300ページなんだが」という旨のメールが編集から送られてくる。

 あれ、またオレ何かやっちゃいました?^^;




 第二章(学生時代追憶編)が完成。今度は抑えに抑えて3万字! 編集に送る。




「まだ一章も終わってねぇのに二章なんて読めねぇよ。書くの止めろ」という旨の連絡が来る。
 これに対し、
了解しました。
こちらとしては、早めに書いておいたほうが忘れにくいですし、あとあと駄目になったとしても何かしら応用が効くと思うので、書いておこうと思います。
と返しておく。







2020年7月3日金曜日

書籍化記録:2019年7-9月_村長召喚


 極地研広報室より、『「ブログを読み書籍執筆を依頼したい」と光文社から連絡が入ったので対応せよ』という旨のメールが来る。やっと罠にかかったか、と小躍りする。
 へっへっへ、こんなことがあろうかと思ってブログをやっていたのだよなぁ。ひっひひぃ金だ金だ印税だ。

 いろんなところに話したいなぁ! と思うものの、途中でポシャったら恥ずかしいし、そもそも詐欺かもしれないということで必要な範囲(所属している研究所)以外ではできるだけ口外せずに、水面下で編集と連絡を取る。だって光文社って、森博嗣の『ZOKU』くらいしか買ったことないからぜんぜん知らないし、ほんとに出版社なのかぁ?



 初サバトで村長が来る。
「我が名はバ☝️フォメット! この世界の支☝️配者となる者だ!」
 めっちゃ前向き。めっちゃ高笑い。めっちゃ唇ツヤツヤ。
 ここで何の脈絡もなく、本のタイトルを『凍てつき村の心臓歌』にしようと決める(のちに変わる)。



 編集から参考資料として、光文社新書として発刊されている、
  • ・『宇宙飛行士選抜試験』
  • ・『雲を愛する技術』
  • ・『土』
  • ・『辺境生物探訪記』
  • ・『バッタを倒しにアフリカへ』
が送られてくる。光文社、本当に本を出している会社だったか……いや、このくらいなら十分詐欺で対応できる範囲内だな。しかし詐欺ならもっと金持ち狙うべきだと思う。

 この中で最も記憶に残ったのは『宇宙飛行士選抜試験』で、「南極観測隊と比べるとなんて真面目に試験をやっているんだ……」と感じ入る。南極観測隊なんて、
「行く?」
「へぇ」
で終わるぞ。



 長野駅MIDORIビル内タリーズで編集者と打ち合わせ。平日だったが、ちょうどこの月の頭に休日の観測があり、代休が取れていた。
 大学4年間はドトールコーヒーショップでアルバイトをしていたため、かなり慣れ親しんでいるのだが、それ以外のコーヒーチェーン店にはかなり親しみやすさの違いがある。比較すると、

■ドトール
 我が家のような安心感。ブレンドは安くて美味い。しかし二杯目安くなるとかはないので、あまり長居には向かない。
 あまり解説することがないので日替わりの「本日のコーヒー」について解説すると、これはブレンドではなく、単一種の豆を使ったコーヒーなので、味にかなり差異がある。ブレンドというのは「良い感じに混ぜた」コーヒーなので、単体の豆だと尖る。あまりコーヒーの品種に拘らないが飲んでみたい、という場合はブラジルサントス(サントスNo.2)のような味のバランスが整った豆のときにチャレンジするか、炭火コーヒーのようなブレンドのときに試すのが無難であろう。

■ベローチェ
 安い。昔(ドトールのブレンドSが200円だった時代)はブレンド170円だか180円だった。
 大学時代は近くにはなかったのでほとんど行く機会がなかったが、立川では駅前にベローチェがあり、しばしば利用した。立川のドトールは比較的席の間隔が狭いという印象なのだが、ベローチェはどうかというと別に言うほど広くもない。すまん今褒めようと思ったんだけど「よく考えると広いわけではないな」と思ってしまった。
 ただなんとなくひとりでだらっとWiFi使う場合は気安いというか、等身大の座りやすさがある。もっと薄汚いと嬉しい。

■タリーズ
 なんかたまに生えてくる店という印象。タリーズ行こうと思って行ったことがない。これまで近くにはなかった(けど学会や出張で行くとたまにある)からかもしれない。
 長野では駅前などにあり、急激に行く回数が増加したが、タピオカとか出しているのでもしかすると最先端の人間以外は入ってはいけないのかもしれない。フードメニューを頼んでみたいが、試したことがない。

■サンマルクカフェ
 ちょこくろ、うまい。

■ミスタードーナツ
 立川には駅前や立飛にあるのでしばしば行っていた。しかしどうしても行くと食ってしまう。いやドーナツ屋だからいいんだけどさ。昔、中華メニューが好きではあったが、ここ20年くらい食べてない気がする。なんで子どもの頃はあんなに好きだったのだろう。今はオールドファッションが好きです。あと抹茶のやつ全般。

■星乃珈琲店
 内装がレトロで良い。メープルシロップ好きなのでスフレパンケーキが美味いが、あまりこういうもの食べていると健康診断で引っかかりそうな気がする。普通にコーヒーも飲んでいるはずなのだが、パンケーキのせいでまったく印象が残らない。

■上島珈琲店
 札幌で一度だけ行ったことがある。カップが好き。内装も好き。しかし近くに店がない。

■珈琲哲学
 甲信越〜北関東中心のチェーン。近くにあるので利用しているが、アイスコーヒーを「愛す珈琲」と表記するのはいかがなものかと思う。よくピザを焼いているのがみられるが、コーヒーとケーキ以外注文したことがない。四人以上の席が多いので、ひとりで占領するのは申し訳ないなぁと思いつつ面の皮が厚いので占有している。

■エクセルシオール
 高いドトールだということは知っているが、何度か行っているにも関わらずよくわかっていない。貧民が行くと上流階級に睨まれそうで怖い。
 エクセルシオールとはまったく関係がないのだが、立川のエクセルシオールと同じビルに入っている大戸屋で飯を食っていたときに、異様に世間離れしたお嬢(ゴスロリという意味ではない)っぽい人が隣で食べていたので、あれは深窓に住んでいるけど株主優待で食いに来た人、という解釈をすることにした。

■スターバックス
 日本では行ったことがない。おしゃれ族が徘徊しているので、たぶん入口で結界に弾かれると思う。
 海外だとチェコとアメリカでなら行ったことがある(複雑な工程を踏んで生まれたハイソ感を出しています)。なんとかふらぺちーのにんにくましましーの的なのではなく、カフェラテ頼んだら普通に出てきた。なんだ楽勝じゃねぇか。しかし日本ではまだチャレンジする気になれない。WiFiが飛んでいるという伝説がある。

 
 タリーズは慣れ親しんでいない部類だったし、タピると喉がオカらせそうだったので特に難しい注文はせず、普通にアイスコーヒーで店に3、4時間ほど居座った。
 久しぶりに喋りすぎて、翌日喉が痛くなり蜂蜜レモンのど飴を購入した。

 とりあえずおおよその方針が決まり、この日から真面目に執筆を開始する。



 南極観測は国の事業なのでいろいろと規制があって、そういう規制があるということ自体はわかるのだが具体的な規制がよくわかっていない。越冬中もブログをやっていたが、かなり曖昧でふわふわした感覚でやっていた。 

 出版本って極地研に見せなきゃ駄目なんだっけ、とよくわからなかったので極地研の広報室に問い合わせてみたところ、概ね、
  • ・帰国後のことなので当人の判断で行動して問題ない
  • ・発行後一部送ってもらえると嬉しい
という回答であった。買ってください。
 当人の判断でということは……つまり、何書いても問題ないということだな。ふむ。




 打ち合わせの際に「とりあえずできているところだけでも見せてもらいたい」ということを言われたので、とりあえず1週間ほど使って夏時期の観測(第1章)について半分ほど書いた2万9千字を編集に送る。

 今回の出版はブログの書籍化というのが近いが、光文社noteを見てもらえばわかるとおりほぼ一から書いた形になっている。というか、もともとブログで書いたような内容も盛り込んでいたのだが字数の都合で大半が消えた。
 書き下すにあたっては、

  1. もともと公開していた文章(ブログ)
  2. 書いていたけど公開していなかったもの(記事にならなかったメモ、日記、記録など)
  3. 新たに書き下ろした物

の合算で、1と3についてはわかりやすいが、2は何かというとブログにしようとしてネタだけ出していたものもそうだが、越冬中にいろいろとメモを残していたのでそこから捏ねあげたものもある。メモは絵入りでなんだこの絵は。



 車両隊員や気象隊員にずんどこずんどこ(茶々を入れられるときの擬態語)言われていた絵だけど、絵を見るとパッと見何を考えていたのかがわかり……いやそうでもねぇか。なんだこの絵は。
 しかしこの手の絵は描いておくと記憶を思い出すという点では非常に有利で、当時考えていたこととかを思い出しやすくなる。
 問題は描いてた時点でろくなこと考えていないから、その記憶を思い起こしても書籍に使えるのは一部分で、結局観測隊の公式記録を見直して最終段階で直したりする。




 59次隊のアルバムが間違って一冊多く郵送されてきたので返送したのだが、庶務隊員から「届いた。最近子どもと人狼ゲームをやっている」という旨の連絡が届く。そういえば昭和基地のバーに『汝は人狼なりや』のカードセットがあったので、紹介したような。

 ちなみに自分がやっていた人狼は単純なクローンではなく、一種のヴァリアント(派生作品)であり、
  • ・人狼・狂人の職業被りあり(つまり、人狼や狂人は職業ではない)
  • ・初日全員強制CO(もちろん人狼などは職業でないのでCOしない)
  • ・狩人GJで人狼狩人両者死亡
  • ・村人襲撃時、相方に人狼の名前を遺す
  • ・長期村は通常通り1日が1日で進むが、短期は1日が1時間で進み、3-7時間ぶっ続けでゲームする
といった要素があるかなりの異種であった。ガワはともかく、システムは『MAD PEOPLE』(宇宙人に納豆投げつける人狼)より異端だと思う。最近久しぶりにやりたいなぁと思うのだが、あんなペースでゲームする体力がないわぁもう。



 公益財団法人日本極地研究振興会から依頼されていたシリーズ「南極観測隊員が語る」第10回が公開される。

シリーズ「南極観測隊員が語る」第10回|紅は黄茅白葦に在っても隠れなし
http://kyokuchi.or.jp/?page_id=8869

「何を書いても良い」と言われたものの、南極にいた頃に書いた(ブログ以外の)寄稿はたいてい検閲喰らいまくって原型がなかったので、「今回もどうせ修正喰らいまくるんだろうなぁ……」と思っていたのでてきとうに書いたら直されたのは段落くらいだった。おかげで「魔女の乳首」「キャッキャッキャロム、キャロキャロム」といった文言が残ることになってしまった。

 特に解説求められなかったから書いていなかったが、タイトルは「黄茅白葦(痩せた土地)」と「紅は園生に植えても隠れなし(突出した人物はどんな場所でも目立つ)」を組み合わせた造語なのだけれども、特に意味はなくてただ白・黄・紅で昭和基地のキャロム・ビリヤードの球の色を表しているだけだったりする。



 月に一度程度メールで文通していた59次夏隊の隊員から、
  • 「腰が絶不調」
  • 「仕事は落ち着いてきたが、仕事以外のことを考えるまでにはいたっていない」
という怪文書メールが送られてくる。ちなみに公務員という時間に規則的な仕事のはずだが、送信時刻は25時58分。毎度毎度、送信時刻が深夜なのはこの時間でないと自由な時間がないかららしい。

 返信で「本を出す予定です。出たら5兆冊くらい買ってください。」とクソデカ冊数を書くと、「5冊は書います」と無難な返信が帰ってくる。




 まともに勝負しても売れる見込みがなさそうなので、
「速水螺旋人に挿絵描かせようぜ」
と提案してみたところ、編集側から
「メジャー級の漫画家は原稿料が高そうなのでやめておこう」
というようなことをやんわりと言われる。おいおい、まともに文章で勝負することなんてやめてガンガン投資していこうぜ? サタスペみたいなノリでいこうぜ? 生きててよかった!









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Maira Gall