2018年2月25日日曜日

観測隊/昭和基地


 音泉で行われている『宇宙よりも遠い場所』通称『よりもい』のウェブラジオで本ブログが紹介されたそうです。おい大丈夫か大丈夫か。

→ラジオ 宇宙よりも遠い場所~南極よりも寒い番組~
 (http://www.onsen.ag/yorimoi)

 聞いてみたらすごいまともなブログみたいに宣伝されてた。Wow……。
 最初に「南極でバレンタインとかあるのかな? ( >д<)<ヘップバーン」という話がありましたが、こんな具合でした。


 ちなみに今回の越冬隊の女性はひとりのみで、スイスからの交換科学者に「コテコテ」という日本語を教えた方です(夏隊を含めると女性隊員はもっといますが)。

 さて、『宇宙よりも遠い場所』でふと思い出したのですが、小学生のときからの友人(*1)から例年のごとく忘年会(というか一緒にご飯食べて飲むだけ)の連絡が来ていたので、新年明けてから連絡を返しました(ザ・遅い)。い、いや、いちおうネットが使えるようになったのがその頃ようやくなので、連絡が間に合わなかったというかなんというか。
*1) 友だちいたのか。

 ともかくとしてそのときのやりとり。


《相手》  |  《管理人》

30日の夜暇?(*2
*2) 12/20の連絡。
すまん、今南極(*3
*3) 01/03の返答。こういう人間相手に友人関係を続けているから相手がすごい。
まじか
まじ
ペンギンとかそのへんに落ちてる
14ヶ月後くらいに帰るぜ
すげーな
来年もいないじゃん
おうよ
そういうわけで年末返事できなくてすまん
来年もいないぜ
■■がいない間に、子供産まれるわ(笑)来月予定。
網走で流氷は食ったから、違うお土産頼むわ!
まじか
うむ





 いや、この年齢(*4)になると結婚したとか子どもが生まれたとか逮捕されたとか珍しくないのですが、こうカウンターパンチ的に来たからね? もう研究とかどうでもいいね?
『宇宙よりも遠い場所』、通称よりもいの放送が始まったそうですが、宇宙よりは遠くても結婚よりは近いよな、南極*5)。
*4) ギリ二十代。
*5) ブログタイトル変えることがあれば『結婚よりも近い場所』になると思う。

 例によって導入で薪割りダイナミックしましたが、今回は昭和基地に関するお話です。


昭和基地の歴史


 まずは歴史から。昭和基地はおよそ60年前の初代南極地域観測隊によって設立された基地です。
 日本南極地域観測隊について、詳しくは

→観測隊/日本南極地域観測隊の歴史
(http://jare59.blogspot.com/2017/12/blog-post_11.html)

をご覧ください。

 該当記事にもあるとおり、1956年11月8日に晴海埠頭を出港した53人の初代南極観測隊を乗せた宗谷は1957年1月20日に定着氷縁に接岸。
 同月29日にはここから東へ進み、東オングル島に上陸。このときにこの地点が「昭和基地」と命名されました。
 当時の技術の結集であるプレハブ住宅の資材が持ち込まれ、2月には無線棟・居住棟・発電棟などの4棟が完成。初の南極観測隊にも関わらず、越冬観測を開始することができるようになりました。


昭和基地の位置


 昭和基地は南緯69度00分、東経39度35分の位置に存在します。ここはリュッツォホルム湾と呼ばれる湾の中のオングル諸島にある東オングル島という島内です。
 この領域はタイムゾーンがUTC+03(世界標準時より3時間早い)で、UTC+09(同様に9時間早い)の日本からすると、6時間だけ遅れていることになります。たとえば日本が12時のとき、昭和基地はまだ6時です。

 下に南極大陸と昭和基地付近の地図を示します。


 上の地図だと昭和基地が海の上に浮いているように見えますが、えーなんだこれは、地図解像度のせいか。pythonのmatplotlibで描いているのですが、pythonでBasemapのfullより解像度高い地図があったら教えてください。

 描画するのは厳しいので手近にあった地図を載せるとこんな具合となります。


 広く領域をとった地図なので詳細がわかりにくいですが、基本的に隊員が生活している場所はAエリア(黒枠で囲われた場所)の北側半分となっており、居住施設として後述する一夏、二夏、管理棟などはすべて北側半分の中にあります。


昭和基地の様子


 自分の場合、昭和基地を見て最初に抱いた感想は「基地だ」でした。基地です。そう、基地なのです。


 露出した岩、そびえ立つアンテナ、走り回るトラック、建設途中の構造物——夏の時期なれば、雪は沢や海に視線を向けなければ見ることはできません。


 南極を体験したことのない者が想像し得ない昭和基地というこの場所は、少なくとも夏の間は雪と氷に包まれた静謐な空間ではないのです。力と技の風車が回る、砂と岩と鉄筋と生コンの空間なのです。


 こんな砂埃で咳き込む昭和基地ですが、標高は約29mで海面は近く、夏はしばしばペンギンの姿を基地近くで見かけることができます。


主要な建物


 最初は4棟しか存在していなかった昭和基地の建物ですが、隊次を重ねるごとに建設が進み、現在では68もの建物が存在しています。そのうち、主として居住空間となる場所と、今回の59次隊夏作業で外観が完成した基本観測棟についてここで紹介します。



第一夏期隊員宿舎



 一夏と略されることが多い建物ですが、「レークサイドホテル」という愛称も持ちます。

 1979-1980年(20-21次)で建てられ、のちに2000年(41次)で増築された建物ですが、未だ現役。

 高床二階建てで、48のベッド(一部屋4ベッド)を持ち、60名が入れる食堂の機能があります。また、風呂や水洗便所も備えており、夏隊の主要生活空間となります。


第二夏期隊員宿舎



 二夏と略されますが、こちらも「ヘリポートホテル」という愛称も持ちます。

 1990年(40次)で完成、翌1991年(41次)で増築されました。高床の建物で、40のベッド(一部屋2ベッド)を持っているほか、伝説によれば2箇所のサロン、および便所があると言い伝えられています。

 まずサロンですが、下記のようなスペース。


 哀愁漂いますね。カイジで出てきそう。
 そして便所は赤丸で囲ったここ。壁にはポリタンクに漏斗を設置したものがあり、ションポリと呼ばれています。これは外というのでは。


 風呂も洗面所も水洗便所も食堂もないため、それらが使いたければ前述の一夏に行くことになります。1部屋は2人で使いますが、二段ベッドのほかは畳一畳より小さなスペースがあるだけです。「起きて半畳、寝て一畳」という文句を思い出します。

 ちなみに風が強く地吹雪になって視程が下がると、外出注意令や禁止令が発令されることがあります。禁止令の場合は建物の外に出られなくなるため、このときに腹が減っていた場合はサロンに置かれているいつのものかわからないあっいや……これ3年前に賞味期限切れてる……いやまぁいいか……な食料を食べるか、坐禅を組んで無の境地に至ることで空腹を抑えることができます。



管理棟および第一居住棟、第二居住棟、倉庫棟


 一夏・二夏が夏隊員の生活空間だったのに対し、こちらは越冬隊員の居住空間です。これらは通路棟で連結されています。

 管理棟は1991-1992年(32-33次)に建てられた3階建ての建物で、厨房・食堂・医務室・娯楽室・図書室・通信室・風呂・便所・理髪室・バーなど、生活するのに必要だったり必要なかったりする機能を持ち合わせています。


 第一居住棟、第二居住棟は管理棟と通路で繋がっており、どちらも高床二階で21人が寝泊まりできます。

 居住棟の部屋は一夏・二夏とは違い個室(*6)で棚や机があり、収納スペースもあるため、初めて入ると「こ、これが棚! すごい! 物が入れられる! この机っていう道具はなんて発明だ! 膝の上で物を書かなくても良いんだ!」と感動することができます。
*6)ただし壁は薄い。


 倉庫棟も同じく管理棟に連結された建物で、鉄骨二階建て。冷凍庫と冷蔵庫、設営事務室、倉庫、ジム・喫煙所などがあります。1995-1996(36-37次)に完成しました。




基本観測棟


 2016年(57次)から建築が進められていた建物で、現在最新の建物となります。

 高床の二階建てで、気象・地圏・電離層・生物といった主要な観測が行えるほか、便所もあるというハイスペック施設です。便所!(*7
*7) 吹きさらしにならない、ポリタンクでもない便所だ! すごいぞ!

 今回(59次)の夏で外側の建設が終了したため、上棟式が行われました。


 神主や巫女が現れて祝詞を詠みあげたり、お神酒を飲んだほか、最後にはお菓子(当たり付き)がばらまかれました。自分は雪上車のキーホルダーと気象庁のシールをゲット。キーホルダーは嬉しいけどシールは要らなあっいやなんでもないです。

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Maira Gall